Pochiのブチブチジャーニー

文字通り、Pochiが個人的な感想や意見をブチブチと語る。価値のあるものではないよ。

「データなび」っておもしろい

2015-06-30 11:28:07 | Weblog
 先週土曜日の夜にnhkで「データなび」という番組をやっていた。
 これはビッグデータといろいろなものをかませるもので、なかなか面白い。
 今回は気象のデータを視覚化したものが眼をひいた。もし、比較的簡単に出来るのならば何回かに一回の天気予報は
この方式でやってもらいたい。ただ、この番組は1カ月に一度ぐらいしか放送されていない。もう少し、頻度を増してもらいたいとも思うが、
ネタがないのかなとも危惧する。

 pochiは収入と子供の数の関係を見てみたい。
 よく、収入がないから子供もつくれないというが、だとしたら、収入が多い人は子供が多いということが成り立つはずだ。
しかし、そんなことはあり得ないと思う。たとえば、多額な子供手当をもらっていた元総理は4~5人子供がいてもよいハズである。
 収入は必要条件の一つではあるが、十分条件ではないのではないか? どうしても子供が欲しいと思うほど、
子供に魅力がなくなった、あるいは子供がいてもいいかな程度にしか、子供のことを思えないというのが実態ではないのか?

 相変わらず危機感のない議員の話が続いているが、民主党の時もこの手の話があったのではないか?
 そのときに比べて、批判の程度が強いと感じるのは偏見か? 同じことをしたら、同じように批判すべきだろう。

 ギリシャの破綻が現実味を帯びて来た。今はまだよいけど、次に返済すべき金は待ってくれない。もともと、金を返す気が
ないんじゃないの?と思われる国だから。教科書の中でしか見たことのなかった国家破綻を実際に見られるのだから。

定時退社なんて当然でしょう

2015-06-29 10:57:43 | Weblog
 定時退社で文句を言われるなんて記事がnetにあった。
 pochiも現役時代は定時出勤、定時退社をつづけていた。もちろん、たまに遅くなるときもあったが、
それでもせいぜい18時台である。会議などで例外もあったが、それをのぞけばである。

 pochiは某出版社で編集をしていた。昔はよくある例のように不定時だったらしいが、これでは残業代がかかってしょうがないので、
pochiが入社する前に勤務形態を変えて、残業代は定額の手当てと変更されていた(pochiは途中入社)。

 その時代(昭和63年)でも定時で帰るのは少数に限られていて、pochiも最初はちょっと気にしたが、仕事もないのに無理して
残ってもしょうがないのでさっさと帰った。これは管理職になってからも同じである。
 なかには、なんか言っている人がいたのかもしれないが、pochiは直接にも間接にも聞いていなかったからよい会社なのかもしれない。
あるいはどちらかといえばマイペースタイプの人が多かったのかという気もする。全員で飲みに行くなんてことは忘年会ぐらいで、
個人で行くのが基本である。ある年の忘年会の翌日に二日酔いで休む人が続出したので、翌年からは忘年会は金曜日となった。

 夏休みに気が向いて保険所でエイズの検査を受けた。その後、夏休みどうしていたなんて雑談になったとき、
「エイズの検査を受けに行った」という話をしたら上司の取締役が「たとえ、陽性でも温かく迎えてあげよう」と冗談ぼく発言し、
pochiもそのときはよろしくお願いしますと発言したかどうかは覚えていないが、そんな雰囲気の会社である。

 話は変わって、相模原で遺体が発見されたという話。子供が不明ということのようだが、疑問だったのは殺された女の親が
孫の顔を見たのが8年前。それからは見ていないという。なのに親は孫が無事でいてくれればなんて言っていたが、不思議な話だ。
孫が心配ならばどんどん連絡すればよいではないか。8年間連絡もせずに孫が心配というのは理解できない話だ。
 そこにどういう事情があったのだろう。

危機感のない部下を持って総理も大変だ

2015-06-28 11:52:39 | Weblog
 自民党の勉強会での百田氏の発言が問題になっているらしい。
 2つのことが気になった。ひとつは、マスコミに対する広告の話なども含めてするのなら、場所の選択も含めて
危機感がなさすぎだということ。誰が見たって上げ足を取られないように、ここは行動等を慎重にするべきなのに
全然ない。それこそ自民党本部とかどこかのホテルとか他人が入ってこられないようにして、出来れば入口を
チェックするぐらいの用意が必要だろう。
 そんな準備もなしにこんな話をするのだから、単なるストレス発散。悪く言えば下っ端代議士の床屋談義といってもよいほどだ。 
 状況を理解しない、こんな危機感のない部下(国会議員は直接には部下ではないが)を持っていては安倍総理も大変だろう。
通る法案の足を引っ張っているのだ。

 第二は言論の自由ということ。たとえば人を殺したいと言ってもそれは自由だ。国会前では安倍総理に向かって
めちゃくちゃな悪口が言われている。しかし、それによって罪に問われることはない。発言はどんな内容でも自由なのだ。
したがって、百田氏の発言が批判されるのはちょっとおかしい。
 「新聞記者36年」という本を読んだとき、沖縄のどこかの大学の教師が「こんな発言するなら朝日も監視対象」という
ことを発言したという。ここを見て、なるほど沖縄のその手の人たちは監視とかその手の話が好きなんだなと思った。
これでは共産圏国家の総監視体制社会と変わらないなと、「華氏451」のような社会を目指しているのだろうと受け止めざるを得ない。

 

愛犬との結婚を認めるのか?

2015-06-27 10:22:21 | Weblog
 最近、性的マイノリティとして同性愛者、性別に違和感を持つ人などが取り上げられている。
アメリカでは同性愛者の結婚が認められたというから驚きだ。

 というのも、アメリカでは同性愛者を認めていなかったし、そもそもテレビでキリスト教の説教をしている
国で裁判所が認めたということに素直に納得できないのだ。アメリカでこういうことに厳しい保守派は多いはずで
さっそくブッシュ共和党大統領候補が反対と言っていたが、簡単には進まないのではないか。

 日本でも性的マイノリティとして同性愛者や性別違和感者が取り上げられているが、マイノリティはそれだけじゃないだろう。
実にいろんなマイノリティがある。 

 人間以外の動物に愛情を持つズーフィリアという人たちがいる。この人たちが、たとえば「愛犬と結婚したい」と要求したときに
現在の一般的なマイノリティは賛成するのか、そして応援するのか? pochiは疑問に思っている。自分たちと同じマイノリティとは
考えていないのではないか?
 pochiは犬が好きだが、結婚したいとまでは思っていない。しかし、そういう性癖の人がいるのも事実だ。
 
 もっと極論を言えば、この前、学校に忍び込んで女性の体操着を盗んでいた人がいたけど、彼が「自分の欲求を満足させるために女性体操着、
下着のマーケットが欲しい」として店を開いたらどうするのか。盗むから窃盗になるが、そうでなければ「ブルセラショップ」を
開業し、宣伝して、売りたい人から買い取ってもなんら問題ではないということになるのではないか。
 もし、警察やPTAなりが文句を言ってきたら、「自分の性癖を満足させるのは自分の権利だ」として訴えることも可能ではないか。
そのとき、彼らはどうするのだろう。

リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門

2015-06-24 10:11:11 | Weblog
 たまたま、ネットでこの本について触れていたのを見て、おもしろそうだと思った。
 朝日新聞の記事のリンクもあって、ざっと目を通したのだが、刺激的な内容でこれはよい。
なぜ、もっと注目されないのか疑問である。
 逆にいえば、これがさして注目されずに早稲田の教師の意見や元法制局長官の違憲という意見だけが
注目されることが不幸である。本来の議論ではない、枝葉末節だけが注目されているからだ。
 
 たまたま、集団的自衛権についての憲法談義もあったのだが、上記の本はリベラル派、護憲派、改憲派を
それぞれ批判する内容で、それぞれ納得する面が大きかった。
 違憲ならばただちに自衛隊を廃止するというのが本当だし、合憲ならば改憲しなくてはならない。
 とくに早稲田の教師や元法制局長官の言を安倍政権と同じ解釈改憲であると批判している。
 pochiは法案はこれまで自殺するのは青酸カリだけだったが、砒素も認めるという解釈だと思う。

 さらに現実的に自衛隊を廃止できない以上、改憲するのが合理的だと考える。特に9条2項は廃止すべきだ。

 ところで、この本だが値段が1600円もするので図書館で予約した。幸いにして、それほど待たなくて済むようだ。
同じように予約している本の中には30何番目、50番近いのもあった。

テレビ局に言論の自由なんてないだろう

2015-06-23 16:17:26 | Weblog
 もはやテレビに言論の自由などはないと思っている。
 それはなにも政治的な話題などではない。AKBの柏木○○のスキャンダルが全然テレビで
取り扱われていないからだ。もちろん、テレビ局を全部チェックしているわけではない。

 言論の自由と言うと政治的な問題だけかと思うかもしれないが、これだって同じである。
 芸能事務所の圧力だか何だか知らないが、その程度の圧力に負けて放送できない、取り上げない
ようなら、もっと強大な力を持つ存在に対して抵抗など出来るはずがない。
 だから、テレビに言論の自由はないというのだ。

 そういえば、たまたま昼に食事しなから「ヒルオビ」という番組を見ていたら、国立競技場問題を
取り上げていたが、不満なのは現在の設計を決めた委員がいるはずであり、それには建築関係者も
混じっているはずだと思うのだが、なぜか、その関係者は出てこない。
 関係者を呼んでこなくてどうするんだ。

国会の前でデモをしている人ってマニアじゃないのと思う時

2015-06-16 11:57:12 | Weblog
 国会の前で集団自衛権に反対する人たちのデモというニュースをやっていたが、いつも
思うのだが、この人たちは一体何をしている人なのだろう。
 一般のサラリーマンではないだろうし、学生や労組員、元教師等々ではないだろうか。

 憲法学者はもともと9条を守ることを前提にしているから、自衛隊にも反対だろう。
“専守防衛に徹していれば攻められない”というようなことを言っている人もいるらしいが
現実にはそんな甘いものではないだろう。

 なにより、こういう意見は一国平和主義の最たるもので、自分の国さえ平和なら他はどうでもよい
ということだろう。諸国民の正義なんてものは信用できないのが現実ではないのか?

 こういう人たちは、もし、日本が攻められたらどうするのだろう。日本一国で防衛するのに自衛隊の数は少ない。
同盟を結ばないのなら自衛隊員の数を少なくとも2~3倍にしなければならないだろう。

 コンピュータを守るためにあらゆる想定をした防御が必要なのに、日本国の場合はあらゆる想定を無視するらしい。

ハチ公像

2015-06-13 11:57:14 | Weblog
 渋谷駅のハチ公といえば、誰でも知っているだろう。
 しかし、現在のように親しまれるようになったのは、そんなに昔のことではないようだ。

 死んだ母親から聞いた話だと、親戚が大坂の尼崎の方にいたので、用事があって滞在したいたときのことだ。
 東京でハチ公の銅像が出来るという話を聞いた周辺の人たちは、母が渋谷に住んでいたこともあってか
みんな一様に「犬の銅像を作るなんて東京はオカシイ」と言ったという。
 pochiは犬の銅像を作るというのは、当時の人たちにとっては考えられないことだったのではと理解した。

 岡山駅前の桃太郎の銅像に犬がいるが、あれはむかし話で親しまれているからだろう。
ハチ公は当時の大坂では知られた話ではないし、そういう反応の方が自然だったのではないか。

 50肩の治療のため定期的に整形外科にリハビリに行く。最初のころに比べて痛みはだいぶ軽減した。
 この病院には患者のために新聞が7~8紙おいてある。朝日毎日読売東京で、毎日が3部位、朝日も2部位ある。
日経とサンケイはない。待ち時間が長いものだから、大体3紙くらいは読んでしまう。
 東京は安全保障法反対で100%の記事だ。これでは中立とはいえないだろう。なんで、日経とサンケイがないのか?
 以前は院長に診てもらっていたのだが、いまは院長ではないので理由を直接聞けないのが残念だが、推測することは出来る。
 

これって「恫喝」じゃないの?

2015-06-10 11:33:01 | Weblog
 国会で学力テストをやって自己満足している民主党の小西っていう議員が、官僚が安全保障法案に協力しているので、
政権をとったら処分するなんて言っているらしいが、これ明白に「恫喝」って言うんじゃないの?
 暴力に反対している皆さんは小西議員を批判しないの?

 北朝鮮大好きの和田春樹という年寄りが、例によって日本を批判しているらしい。
 慰安婦は業者ではなく軍が云々と言っているらしいが、この男、元慰安婦にお金を払った何とか基金で理事か
なんかしていたはずだ。これについて、日本国民への謝罪などはまるでない。
 自分の言動についても謝罪したらどうなの。
 


“知”も落ちた

2015-06-07 16:50:27 | Weblog
 3人の憲法学者が「違憲?」といったせいで、一部が騒いでいるようだけど、この話、
仮に昭和時代だったらもっと騒ぎになっていたのではなかろうかな?と感じたのだ。

 なぜ、騒ぎにならないかと言うと、第一に学者がカリスマ的な権威を失ったこと。
第二に反対勢力の頼りなさ。第三に現実的な対応が説得力を持ってきたこと。ではないかと考えるのだ。

 第一の点は少なくても終戦直後から現在までの文社系統の学者の行動や発言がイデオロギー色一遍だったことで
客観的な信用を失くした。この手の学者は言動と現実が全然違っても認めないのではないか。

 第二は特になにか書く必要はないだろう。最近では飲酒によるchuを攻めた本人が飲酒で騒ぎを起こしている。
しかも、タクシー代のお釣りの根拠は何かなどと妄言をぬかしたらしい。

 第三は、いわゆる平和勢力というか9条大好き勢力の言うことがあまりにも理想主義的、非現実過ぎることだ。
netでも万が一のことを考えてセキュリティ対策をするのに彼らはセキュリティを拒否している。
 万が一を否定しているのだ。これでは説得力がなさすぎだろう。

 極端なことをいえば、学者の話は憲法を守ってみんな死ねというようにも聞こえないことではないし、
だからこそ、憲法改正が必要だとも言えるのではないか。

 先日、図書館で借りて来た本の中に戦後すぐの時代の共産党の暴力革命時代の資料が不明瞭というようなことが書いてあった。
その本は松本清張の「昭和史発掘」等のシリーズを批判したもので、下山事件や松川事件の清張説はでたらめだということが書いてあり、
疑問点を共産党に確認していないとも批判していた。pochiもむかしテレビだと思ったが、清張作の下山事件などをみたことがある。
GHQの謀略だという結論だった。こうした説が大手を振って通用していた時代とは違って来たということだろう。