●過労死する人がいる。かわいそうだとは思うが、どうしてもぬぐい切れない違和感もある。それは自分の身は自分で守るということだ。こんなことは基本中の基本で、どんな職業でも当然のことだ。ところが、過労死する人はどうなのか?という気がしてならない。
pochiの父親は働き盛りと言ってよい50代初めに脳溢血で倒れた。酒は飲めなかったが、毎日のように残業していたらしい。当時はそんなものだった。命はとりとめたが、右半身不随が残った。営業担当だったから復帰できるはずもなく、お情けで軽い仕事を与えられ母と二人で一般のお客相手の窓口のようなところで働いていた。社内報に「怪しげなロシア語で煙に巻く」と書かれていたのを見たことがあるが、その片言のロシア語はシベリア抑留で覚えたらしい。pochiは19歳で最悪学校を中退することも考えたが、なんとか卒業できた。それは孫の大学の費用はあると言っていた祖父の遺産のおかげだった。毎春、株をいくらか売って授業料に充てていた。
そのせいか、父のように会社のためにシャカリキに働くという意識はなかった。会社は健康であることが大前提で“会社のために”といくら頑張っても関係はないのだ。死んだり、病気になればそれまでなのだ。それはヒラだけのことではない。管理職でも役員でも社長でも同じだ。倒れればそこで終わりなのだ。働きが良ければお情けで軽い仕事を見つけてくれることがあるかもしれないがそれが精いっぱいだろう。
だから、健康には気を付ける、危ないと思ったら休むというわけだ。そういう意味で、過労死した人の意識がどうなっていたのかが興味があるし、不思議だというわけだ。
pochi自身は編集プロダクションみたいなところにいたことがあったが、その時も比較的早く帰っていた。飲みに行くのが嫌だったからだ。愚痴の羅列みたいなことを聞いていてもプラスにはならない。
出版社に移ってからもほぼ定時で帰っていた。私一人だったと思う。管理職になっても同じだった。定時に仕事を上げて当然と思っていたからだ。だから、残業手当はほとんどなかった。ちなみに飲みに行くのは営業の次席とだった。気が合うということもあったし、編集と営業立場は違うが、クライアント向けの企画を提示するときなどは営業の知識が必要だ。持ちつ持たれつという面もあったかと思う。
pochiの父親は働き盛りと言ってよい50代初めに脳溢血で倒れた。酒は飲めなかったが、毎日のように残業していたらしい。当時はそんなものだった。命はとりとめたが、右半身不随が残った。営業担当だったから復帰できるはずもなく、お情けで軽い仕事を与えられ母と二人で一般のお客相手の窓口のようなところで働いていた。社内報に「怪しげなロシア語で煙に巻く」と書かれていたのを見たことがあるが、その片言のロシア語はシベリア抑留で覚えたらしい。pochiは19歳で最悪学校を中退することも考えたが、なんとか卒業できた。それは孫の大学の費用はあると言っていた祖父の遺産のおかげだった。毎春、株をいくらか売って授業料に充てていた。
そのせいか、父のように会社のためにシャカリキに働くという意識はなかった。会社は健康であることが大前提で“会社のために”といくら頑張っても関係はないのだ。死んだり、病気になればそれまでなのだ。それはヒラだけのことではない。管理職でも役員でも社長でも同じだ。倒れればそこで終わりなのだ。働きが良ければお情けで軽い仕事を見つけてくれることがあるかもしれないがそれが精いっぱいだろう。
だから、健康には気を付ける、危ないと思ったら休むというわけだ。そういう意味で、過労死した人の意識がどうなっていたのかが興味があるし、不思議だというわけだ。
pochi自身は編集プロダクションみたいなところにいたことがあったが、その時も比較的早く帰っていた。飲みに行くのが嫌だったからだ。愚痴の羅列みたいなことを聞いていてもプラスにはならない。
出版社に移ってからもほぼ定時で帰っていた。私一人だったと思う。管理職になっても同じだった。定時に仕事を上げて当然と思っていたからだ。だから、残業手当はほとんどなかった。ちなみに飲みに行くのは営業の次席とだった。気が合うということもあったし、編集と営業立場は違うが、クライアント向けの企画を提示するときなどは営業の知識が必要だ。持ちつ持たれつという面もあったかと思う。