Pochiのブチブチジャーニー

文字通り、Pochiが個人的な感想や意見をブチブチと語る。価値のあるものではないよ。

悲惨さを強調するばかりでなく多面的にとらえられないのか

2016-08-16 07:03:11 | Weblog
●昨日は8月15日ということもあってか、newsなどではその話が結構扱われていた。トーンはどれもこれも似通っていて、“戦争の悲惨な体験を伝えよう”というような趣旨だったけど、pochiはそれだけでよいのかと疑問に思っている。
 本土が空襲されている=ぼろ負けなのだから悲惨なのは当たり前である。その状態なのに悲惨さを強調しても意味がないのではと思えるのだ。pochiが死んだ母親から聞いた話では、母親が学校の教師をしていて宿直の晩に空襲があって、高台から見た下町は真っ赤に燃えていたという。その上をB29が悠々と飛んでいて、銀色の機体がきれいだなという印象を受けたという。また、生徒を連れて品川の工場へ勤労動員に行ったとき、艦載機の機銃掃射を受けたこと、生徒が“先生怖い”と言って抱き着いてきたけど、たいして年の変わらない自分も怖かったなどという話を聞いていた。
 多分、空襲の話をするときにB29がきれいだったなどという話はあまり聞かれないと思う。
 当時、pochiと付き合っていた女性もこの話を聞いた時、そういう話は初めて聞いたと言っていた。
 B29がきれいなのも事実であり、爆撃を受けたところが悲惨なのも事実である。悲惨さだけを強調するのは一方的だというわけである。戦争で儲けていた人間もいっぱいいるのだし、よい目をみていたのもいる。そういう点への目配りをしないというのは怠慢である。もしかしたらしているかもしれないが、それは多分、悪を強調するのに使われているだけではないのかとも考えるのだ。