ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

泣き虫ペトロ ‐ 想い出のカタリナ

2013年12月07日 | 想い出のカタリナ

 昨日(12/6)は、カタリナ が逝って30日、救霊のミサを依頼した。
 その日は初金(はつきん)、17世紀、聖女マルガリータにキリストが現れ、“ 9月間続けて月初の金曜にミサに与り、聖体を拝領すれば罪の中に死ぬことはない ” と約束されたことにちなむとか。

 ミサといえば、先回の “ 追悼式 ‐ 想い出のカタリナ ” にコメントを頂いた。
 それは、“ 驚いたのが、(ブログにある)『もう少し毅然とできると思っていた』でした ” と始まり、葬儀での挨拶時の振る舞いをご主人に話され、“ 意外にも、もっと毅然とできるタイプだと思っていた ” と言うものだった。

 そのように思われたのも無理からぬこと。
 現役時代、仕事は誰にも・・・との強い自負心があって、それが風貌とも相俟って強面(こわもて)で生意気な男のイメージを作ってきたようだ。
 葬儀には元の職場の方が幾人かお集まり下さったが、昔の姿を思い浮かべ、押しなべて同じように受け止められたのではと思う。

 話は遡って、大聖年だから13年も前になる。
 入門講座に通い始めて1年、Yシスターの強い勧めもあって洗礼を受けた。

 カCatherine_3タリナ から霊名を訊かれ、「そりゃ、聖パウロだろう」と言うと笑い転げ、私なら *聖トマスを戴くとのたまう。
 失礼な! と思いつつも、理論派、学究的で才弾けたパウロはないよなと自分でも納得。
 ならばライバル<聖ペトロ>にすると言うと、ぴったし!と喜ぶ。

 主イエスに従った12人の使徒の頭目にして、主からペトロ・岩の名とともに天国への鍵を与った聖ペトロ。
 主を想い、何時も懐に入れた布で溢れる涙を拭っていた、と伝えられている。
 その誠実さ、実直さが、「
一番求められていること。聖人から多くのことを学んで」と祝ってくれた。

  おやすみなさいと病室を後にし、翌朝、よく眠れた?とまた病室へ、日をつなぎながらともに闘った180日。
 酷い暑さの日も土砂降りの雨の日も、着替えを抱え電車を乗り継いで往き、娘と車で復(かえ)る日々だった。

 9月に入ってふたりだけになり、些細なことから “ そろそろ飽きる頃、今放っとかれても困ります ” とのメールが届いたり、東京へ行くと言ってきかなかったことなどもあったが、介護が辛いと思うこともなく、病床で明るく健気に振舞う彼女を、誇りとも愛しいとも思う日々でもあった。

 ひょっとすれば奇跡がと思わせてくれる時期もあったが、誕生日を迎えるのを待つかのように小さく小さくなった体でか細く、「お願い、ごめん、ありがとうとしか話せなくなり、最後の数日はそれすら聞き取れずペンを持たせて紙に書かせたりもしたが、十分意を汲み取ってやれなかった

 ともに暮らすようになって他人様には話せぬ苦労をかけた。
 その聊かも返せぬまま先に天に帰してしまうことが悔しく、あと僅かで斎場へ・・・と思うと
堪(たま)らなくなってしまった。 
 

 そうなんだ、聖人に似て涙もろきペトロ、悲しさ辛さを耐え忍ぶ、高倉健さんのごとくストイックな男のロマンティシズムは、恥ずかしくも爪の垢ほども持ち合わせていなかったのだ。
 フーテンの寅さんのだらしないほどの弱さは、それこそ、堪らなく持っているのに。
 その日のミサで主イエスの御前(みまえ)に、今を限りに泣き虫ペトロは卒業するからと祈った。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.738

 * ふたりのHP、<一枚だけの美術館>(工事中)にカラヴァッジョ「トマスの不信」を収録、アクセスしてみて下さい。

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