ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

春は届く ‐ 想い出のカタリナ

2014年03月16日 | 想い出のカタリナ

 先週の初め(3/10)、晴れてはいたが身を切るような風が吹いた。
 そして翌日からは、一転、暖かくて穏やかな日が続いたが、ここにきて寒の戻りというのだろうか、雨の日もあって少し寒い日が続いた。

 ところで、“ 生きていればどんなに喜んだことだろう ” という言い回し、小説や映画などに限らず実社会でもしばしば目や耳にする。
 思い込んでいるだけかも知れないが、ここ二年ばかり少しもいいことがなくて、近くでは<冬土用>(01/17)で散々ぼやいたりもした。

 A1んな我が家にも、“ カタリナ が生きていればどんなに喜んだことだろう ” と、思う知らせが届いた。
 他人(ひと)様からみれば、「何だ、そんなことでご大層な」と、呆れられるので詳らかにはしないけれど。

 嬉しい知らせが届いた日の翌日(3/11)は、大震災と原発事故から三年の節目の日。
 愛する人を失った悲しみは、生きている限り忘れることはできないだろうが、未曾有の天災と人災も傍(はた)の者には風化しつつあるのも現実。
 過日の朝日、“ 被災地の首長たちが陳情に行った復興庁で、東京オリンピックのポスターに唖然とした ” と書く。

 毎B2B1年カタリナ任せだったH25年分の確定申告、聊か難儀しながらH24年分の更正請求と併せ翌水曜日(3/12)に提出したが、“ 復興特別所得税 ” なるものが洩れていると修正させられた。
 その復興、“ 東京オリンピックに資材も労働者も流れてままならぬ ” とも朝日は書いていた。

 アッシジの聖フランシスコは、“ 絶望のあるところに、希望を/悲しみのあるところに、喜びを/闇のあるところに、光をもたらすことができますように ” (平和を願う祈り)と祈った。

 被災された方々に、“ 生きていればどんなに喜んだことだろう ” と、ご霊前に報告できるような希望や光が届いていることを祈らずにはいられない。

 提出した日の夜、心許せる友と美味しいお酒を楽しんだ。
 気になっていた申告が片付いたことも手伝って、少し過ぎたかなと思いつつの帰りの電車、シートに背を凭(もた)せ、“ そうなんだよなあ、希望を捨てちゃいかんのだ。誠実にさえ生きていれば、いつかきっと春は届く ” などと、もごもごと呟く酔狂老人なのであります。

 お彼岸の入り(3/18)も近い穏やかな日、陽射しを浴びて咲く花に心が和む、そんな三月の第三週だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.780

コメント (2)
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