ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ラファエロ ‐ ナショナル・ギャラリー(6)

2014年02月26日 |  ∟イギリスの美術館

 イタリア中部ペルージアに工房を置くペルジーノ(1450-1524/ルネッサンス)のもとで修行、その後、フィレンツエやローマで活躍した若き天才画家ラファエロ・サンティ(1483-1520/盛期ルネサンス)。

 その彼が、ベルナルディーノ・アンシデイの注文でペルージアの聖堂内アンシデイ家の礼拝堂のために描いたのが 「アンシデイの祭壇画」とも呼ばれる 「聖母子と洗礼者聖ヨハネとバーリの聖ニコラウス」(上)。

 Aこの礼拝堂は、バーリの聖ニコラウスに捧げられたもので、画中右の司教姿の聖人は、身売りされる貧しい三人の娘たちに持参金として与えた金の入った袋を、聖人の標徴・アトリビュートとして足元に描いている。

 ちなみにバーリは、イタリア南部のアドリア海に面した港湾都市で、東地中海の国々との広範囲な貿易によって栄えたという。
 余談だがこの聖ニコラウス、死後、嵐を沈め船乗りを救ったなどの伝説が残っていて、サンタクロースの原型となった人物でもあるらしい。

 画中左、キリストの到来を予言し洗礼を授けた洗礼者聖ヨハネは、荒野での生活を表す駱駝のチュニックと預言者を表す深紅のマントをまとい、聖母の膝の上のイエスを指さしながら、聖母の頭上にラテン語で記された “ キリストの御母に幸いあれ ” を厳かに見上げている。

 さて、中央の聖母だが、キリスト教徒が日常の祈りの際に模範とすべき文章を集めた祈祷書を熱心に読んでいる姿で描かれ、信仰の重要さを表現しているとされる。

 この祭壇画は、玉座の聖母子と付き添う聖人たちが互いに会話を交わしているように見えることから、“ 聖会話 ” と称される典型的な作例とされているらしい。

 B1もう一枚は、実在しなかったともされる聖女を描いた 「アレクサンドリアの聖カタリナ」(下/左)。
 
 ラファエロはその聖人を、師のペルジーノ以上に身体を蛇状に捻って描いているが、それはこのポーズの完成者ともされるダ・ヴィンチの影響を彼が受けたためともされている。

 その捻れた姿勢で、車裂きの刑に処するため用意された車輪にもたれかかる聖カタリナは、天から細い金色の光線として降り注ぐ聖なる光を法悦の表情で仰ぎ見ている。

 聖女が拷問にかけられた車輪は、アレクサンドリアの聖カタリナの標徴・アトリビュートとされていて、ラファエロは伝説に語られる大釘が打ち付けられた車B2輪の代わりに、飾り鋲を車輪の周囲に描く優しさを見せている。

 話は聊かそれるが、時代が下がってバロック期の奇才カラヴァッジョ(1573-1610 /イタリア)も若き頃にこのモチーフ、「アレクサンドリアの聖カタリナ」(下/右)を描いている。

 徹底した写実性と劇的な明暗対を重視したカラヴァッジョの手になれば、木製の輪っかの内側に大釘が打ち付けられ、いかにもむごたらしく表現されているのも、当然と言えば当然かも知れない。

 話がそれた序でに、殆ど意味のないことだが、どちらの絵を好むかは人それぞれだろう。
 思うに彼女ならば・・・、07年にマドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館でカラヴァッジョのそれに出会い、しばし絵の前から動かなかったので、多分、後者を選んだだろうと思う。

 さらに序でに言えば、カタリナ の霊名は、“ 教会博士 シエナの聖カタリナ ”。
 そのことは、<想い出の古都シエナ>(13/07/03)や<聖カタリナに導かれ>(13/07/04)に投稿しているので、ご参考に。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.771

 ※ ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅(5)へは(コチラ)から入れます。

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