先月の末(6/29)はカトリック暦の 「<聖ペトロ 聖パウロ使徒>」の祝日だった。
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669 /オランダ絵画黄金期)は 「<賢者の対話>」、副題 「聖ペテロと聖パウロの会話」(メルボルン/ヴィクトリア国立美術館蔵)を描いている。
本作、画集で見ただけだが、見る度に 「どっちがペテロ?」と首を捻る(後ろ向きがペテロ)のが笑える。
その彼 「ペテロの否認>」(<アムステルダム国立博物館蔵>)を描いてい、好きな作品のひとつだ。
主題は、主イエスが裁かれた大祭司の屋敷の中庭で、巻き添えになるのを恐れたペトロ、主の言葉どおり鶏が鳴く前に三度 「そんな人は知らない」と嘘をつく場面(マタイ福音書26章)。
ところで、新約聖書の四福音書の全てが、十二使徒の頭目ペトロの恥ずかしい行為を詳らかにしたのはどうしてだろう?
一番弟子という驕り、主の教えに背いてしまった後悔、そして赦された喜び、それらは多くの信徒がいやでも通る道、聖人にして然り、いわんや・・・と、今更乍らに思う。
キリスト者からは両雄ともライバルともされる二人だが、才人<パウロ>に比べて泣き虫とも揶揄されるように極めて人間臭い<ペトロ>、そんな彼の名を霊名に頂く信徒も多い。
この日、そんなことに思いを馳せ・・・と言えば格好つけ過ぎだが、ふた昔ほども前のこと、二度目のローマに着いた日だった、晩飯をと食堂を探したものの街は祝日で真っ暗、「なんだこりゃ?」と閉口したことも遠い日の想い出。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1153
ずっと、コメントを差し上げなくては、と思っていました。
春から初夏にかけて、ささいなことですが、指に刺さった棘みたいな、少し苛つく出来事があって、晴れぬままに過ごしていました。
でも、久し振りにペトロさんのブログを読んで、「ああ、彼も頑張ってるんだ」と小さいけれど勇気を貰いました。
5年目の夏だとか、カタリナさんとは3年目かな、暑い日が続くと何かと気力も萎えますが、お互い頑張りましょう。