ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

車 ‐ 想い出のカタリナ

2013年12月18日 | 想い出のカタリナ

 箕面市の墓地公園にあるカタリナ の両親のお墓。
 この日(12/12)に墓参したのは、夏に行けなかったことに加えて、もうひとつ理由(わけ)があった。

 話は遡るが、ガラシア病院に転院することになって、さて? と思案したのは通う算段。
 余談だが、駅に至便、国道を挟んでトヨタレンタもありで、転宅を機に車を離して20年近く、少し寂しくもあったが直に慣れた。
 途中、おねだりしたこともあったが、酒に締まりのない誰か?を慮ってか縦に振って貰えず。

 話Aを戻して、初めて息子と外来面接でガラシアへ行った折、最寄り駅の千里中央からタクシーを利用、その日の交通事情あるだろうが15分ほど掛かった。
 駅と病院を往復する無料バスは1時間に1本ほど、最終バスは18時30分に病院を発ち、夕食にも付き添ってやれない。

 外来の日、復路はそのバスを利用したが、北千里駅を廻るため30分近く掛かった。
 タクシーは片道二千円余り、毎日となればまず無理。
 で、今春、関西に転勤になった息子、「車庫で遊んでいることが多いので使って」と言ってくれた。

 娘が介護休職を取ってくれた3月間は電車で病院へ行き、娘と車で帰宅。
 名神吹田ICを経て病院まで33km余、小一時間かかったが、酷暑でもあり電車に比べて格段に楽だった。
 何より、カタリナの傍に少しでも長くいてやれるのが嬉しかった。
 同乗者たちは我慢?していたようだが、ユーミンの「春よ、来い」や「飛行機雲」、山下達郎の「クリスマス・イブ」などを聞きながら通った4月、長かったのか短かったのか。

 退B_2院前の1月余はひとり、専ら復路だったがヒヤリとしたことも二度や三度あったような。
 9月の豪雨では阪大病院付近で路肩が崩れ復路が通行止め、迂回が何日も続きうんざりしたこと、ガンバ大阪のゲームの終了と鉢合わせ、渋滞に巻き込まれたこともあった。

 その車、12月が車検、息子は自分が車検を、また、その後も使ってと言ってくれる。
 が、大きな役目を終えた今、万が一の際の貸し手責任を何時までも負わせては・・・、整備をして返すのがけじめ。

 ディーラーへの納車が16日、その前に墓参をと思った次第。
 往路、ガラシアへの道と同じルート(写真上)を走ってみた、同じようにユーミンを聞きながら。
 久し振りに走って、表現は聊か穏当を欠くが、あの頃は楽しくもあったなあ・・・、と思った。
 病室の扉(写真下)を開けると、「お早う」「今日は」と声を弾ませてくれる人が待っていて、「ありがとう」「お休みなさい、気をつけて帰ってね」と笑顔で送ってくれる人がいたもの。

 とまれ、サンタさんの橇(そり)もどき、R 君とI 君へのプレゼントを積んでメリー・リスマス!、ありがとう」の言葉を副えて返すことにした。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.743

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