長崎での一日のことを長々と書いた。
浦上教会の信徒会館だったか、教会と別棟にあるショップのピエタでロザリオなどを眺めていると、シスターから、「聖年の巡礼ですか?」と声を掛けられた。
頷くカタリナに、「今晩の大浦のミサに出席しますが、あなた方も?」と訊かれ、「お伺いします」と答えると喜んで下さった。
夕刻、路面電車で再び大浦天主堂(写真上)へと向かった。車中で聖職の方を何人か見かける。
坂道に手こずったふたりが天主堂に着いた時、仄かなロウソクの灯りにつつまれた内陣からは、入祭唱の ♪ キリエが流れていた。
1865年、プチジャン神父が、長崎に居留する人のためのミサをしていた時、浦上から小船に乗って大浦まで来た何人かの日本人がいたという。
ここからは些か芝居めくが、彼らはプチジャン神父に、“ マリア様の像は何処にありますか? ” と聞いたのが話の発端。
彼らは、訥々と、それとも堰を切るように話したのか知らぬが、“ 浦上のキリシタンは、七代経てば黒衣のパードレ・神父様が黒船に乗って現れ、良い世の中にして下さると信じ、200年の間ひたすら隠れて信仰を守ってきた ” と話したという。
このニュースは、時のローマ教皇にもたらされ、世界のキリスト者を歓喜の渦に巻き込んだとされている。
イエズス会創設者のひとりフランシスコ・ザビエルが、日本で布教を始めて310年余り。厳しい弾圧によって根絶やしにされた筈の信仰が、庶民の暮らしの中に脈々と受継がれてきたという事実に、宗教のもたらす何かに驚く。
カトリックではこの日を「信徒発見の日」として、記念すべき日、任意の祝日にされている。
ミレニアム・大聖年の小さな巡礼の途中、国宝の浦上天主堂で長崎大司教が祭祀するミサに与れたのも何かの縁だと思う。
その聖マリアの像(写真中)は、礼拝堂の右脇の祭壇に静かに安置されている。
その日が、今から145年前の今日、3月17日なのである。
長崎と別れたふたり、西海公園の九十九島(写真下)に遊び、有田焼を楽しみ、田んぼの中の有明佐賀空港から、JAS、日本エアシステムで帰路についた。
(写真の一部、天主堂のHPから)
諏訪神社隣の幼稚園に1歳の子をおんぶし、3歳になったばかりの子の手をひき長い坂と石段を送り迎え、毎日の買い物も自転車が使えないので華奢な娘の腕がみるみる逞しくなり不似合いな力瘤ができてたわ。
それから私はカトリックの信者ではないのですが99’にフランスのルルドに行きその後長崎にもコルベ神父が作られたルルドがあると聞き大河内教会を訪ねていきました。
ペトロとカタリナが行かれた同時期に私も行ってたと思うとなんだか不思議。
聖書は見たこともないですが、教会好きだし神様は信じています。
投稿失敗ばかりだけどうまくいくかな?
何時も楽しいコメントをありがとうございます。
あなたが何時も、ボランティア活動に熱心に取り組まれていること、カタリナから聞いて感心しています。
ところで、我ながら不評だろうなあ、と思うコメント投稿の際のキャプチャー画像の読み取りですが、試行的にやめることにしました。
ただ、一旦お預かりするのは、もう暫く続けさせて下さい。
これからも、楽しいコメント、お待ちしていま~す。
この我儘なやんちゃ姫が続けて来れたのはただ楽しかったから、と思います。私だけでなく会員の殆んどはそんなに大そうな事してると思っていないと思います。
ただ、主な支援国のバングラデシュに行ってみると2万坪の敷地に孤児院、職業訓練所、農業研修センター、病院、私立の学校、等皆さんからの支援が役立てられているのを見たり、現地の人達が心からの有難うという言葉でまた頑張ろうと思えるのです。
今年でバングラに支援始めて25周年、私は3回目の訪問に4月11日から行きます。
この場を借りてバザー用品などのご協力お願いいたします。