ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

別れ

2011年09月23日 | 宗幸雑記

 10年以上もの間、ともに仕事をした友がいた。

 彼女は私より10歳上だが、大柄でスポーツ好き、声が大きく、よく笑い、場を和ませ、無口で愛想なしの私が、10人のチームの中で浮くことがないよう気を配り続けてくれた。
 姉妹のない私にとって、彼女はお姉さん、姉貴のような存在だった。

Photo_5  チームは解散したが、以後10年以上も同窓会と称して一、二年に1回は出会い、おしゃべりを楽しんできたのも、チームの誰もが彼女の温かさが心地良いと感じていたからだろう。
 それなのに、死に一番無縁のように思っていた彼女が逝った。

 ご主人は、「昨年の秋から疲れやすく徐々に体調が悪化、今年の春くらいには寝たきり状態に。脳に出来た悪性の腫瘍が彼女を連れ去った」と話される。

 また、「しっかりした頭の良い彼女のイメージのままにしておいてやりたくて、誰にも知らせず、ご近所の人にもお見舞いを断った」とも話された。

 そして、「一番辛かったのは、筋金入りの無神論者だった彼女が、『何でもしますから・・・、死にたくない』 と言った時、それまでの彼女の考え方を判っているだけに哀れで、可哀想でたまらなかった」と続けられた。
 洗礼は受けても芯の部分で彼女に共感できる私、迷える私は涙した。

  大伴旅人は、世の中は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり (万葉集巻五)と詠んだ。

 Photo_6人の世が無常なものであることは誰しも判っていることだが、身近な人の死に直面した今、改めてそのことを思い知らされ、ますます悲しみが募ってきてならない、という意だと理解している。

 この “ 悲しかりけり ” は、愛おしい感情を表していると何かの本で読んだことがある。
 人を、自分を、愛おしむ、なんと大事なことだろうと思う。

 彼女の最後の言葉は、「おとうさん」だったとか。
 何時もの呼びかけだと思い、何かして欲しいのかなと次の言葉を待ちましたがありませんでした、と呟かれた。

 辛く悲しい話、ブログにしていいの? と躊躇いつつ、8月8日、立秋とはいえ暑さ厳しい日に、天に召された友がいたことを書きたかった。
 今日は彼岸の中日、彼女が愛したカサブランカ、ペトロ にフォトファイルから選んで貰った。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.382

コメント
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