ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

箸休め ‐ 散歩道

2010年06月10日 | 散歩道/山歩き

 口直しのさっぱりとした料理のこと、“ 箸休め ” と言う?
 大辞林には、食事の間に味や気分を変えるためにつまむ、ちょっとしたおかずや珍味など、とある。

 いくら印象派の絵と言ってもそこは油絵、日本画や水彩画とは趣が違って、続けばやはり胸焼けや胃もたれもする。

 Photoそれで、暫し箸休めを。
 新政権が誕生した翌日、梅雨入り前のいい天気に恵まれた日の午前、散歩の足は翠を求め、久しぶりに甲山の方へと向った。

 途中の池で、たぶん白鷺と黒鷺と思うのだが、中州の枯れ木に羽を休めていた。
 それが、何十羽もの群れともなると異様で、加えて人に慣れた鳩までが群れをなし、人が近づく度に埃をたてて飛び立つ。

 喘息気味のカタリナ ならずとも少しおぞましく、早々に池から離れると、東川というコンクリートで固められた小川に出た。
 並行する道の幅が狭いせいか、橋のすぐ隣に別の橋?を架け、バス停にしているのが珍しい。

 Photo_4Photo_5そこから、小さな坂を下ると広田神社。
 参道付近の集合住宅の小さな花壇に、「タチアオイ」が咲いていて初夏を感じさせた。

 神社近く、畑は見かけるものの今時珍しい田んぼがあって、植えたばかりの「稲」が風に揺れていた。

 そういえば、6日から二十四節季のひとつ、“ 芒種 ”(ぼうしゅ
 
暦の本に、イネ科の植物の果実を包む「穎(えい)」、稲でいうところの籾殻にあるとげのような突起、その頴を持った植物である「芒(ぼう)」の種を蒔く時季を指すとある。乱暴に言えば、田植えの季節のこと?

 芒種が過ぎれば、“ 夏至 ” 、やがて鬱陶しい “ 入梅 ”、そして、炎暑の夏はもうそこまで来ている。
 えっ、ちっとも箸休めにならんへん? ご尤も。

コメント
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