年初の茶会の日、ペトロ、大原美術館を楽しむことにしていたようだ。 ()
ところが、「私も行きたいな」と言い出した。
会が終わってしまえば、時間も気持ちにも余裕ができると言う。
折角?のひとりだけの遠足、「なんてことを!」と思ったものの、ふたりもまた楽しからずや、切符が「上手く手に入ればね」と言っていたら、話を聞かれていたのかと思うばかりに都合よく、一回券がチケットショップに。
くどくなったが、3月中旬の暖かさの大寒の入り、この日限りの青春18きっぷで、吉備路を走る電車に並んで座っている訳は、ざっとこういう次第だ。 ()
倉敷は、遠い日に逝った父の故郷。
私自身この町に暮らしたことはないが、倉敷という名前を聞いただけで懐かしい思いがするのは、三人の兄弟の他ただひとりの女の子の私を、ことのほか慈しんでくれた父への思いが何時も心の隅にあって、この町の名前を聞く度に甦るからかも知れない。
独身時代から何度かこの町を訪れた。
かなり前になるがこの町が再開発され、随分と雰囲気が変わったように思う。
倉敷川沿いの柳並木と古い町並の一角に美術館はある。 ()
紡績で財をなした大原孫三郎が設立した私立の美術館。
絵画と彫刻に限れば、マニエリスムから印象派までの本館と洋画と現代美術の別館からなり、一時間もあれば足りる。
児島虎次郎が、蒐集を託された孫三郎に宛てた手紙が絵に添えられ、ふたりの強い結びつきが窺える展示方法だ。
ただ、グレコの一枚だけが、薄暗い部屋でスポットライトを浴びる、特別な扱いを受けていることに違和感を覚えた。
普通に架けられた「受胎告知」ならもう少し素直に向き合えたのに。 ()
お奨めは、青木繁の「男の顔」(写真中)だ。
ここで初めて出会った時の感動が、長い歳月を経た今も褪せずに残る。
そして、父が愛してやまなかったミレーが、パステルで描いた「グレヴィルの断崖」。
グレコの「受胎告知」が、特別扱いされていることにへそを曲げるペトロは、意外にも梅原龍三郎の「朝陽」と藤島武二の「耕到天」(写真下)という、普通のところを選んだ。
ペトロは口にこそしないもののルソーに期待していたようだが、作品の前からさっさと動いたので、それが外れたようだ。 ()
ところで、迂闊にも万年筆でメモをしていると、鉛筆を貸してくれた館員に感謝。 ()