ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

1.17

2010年01月15日 | 日記

 被害を受けた多くの方からすれば、「しょせん傍観者が、知った風のことを」と思われるだろうがゆえに、震災のことに触れるのを躊躇う。

 ここ数年の間に、インドネシアや中国で大きな地震が起こった。
 今また、カリブ海に浮かぶ小さな国ハイチが巨大地震に襲われ、未曾有の真っ只中にある。

 Photo_7隣国中国が直ちに救助隊を派遣したというニュースと時を同じくして、悲しいかなわが国では、ダーティな金のやり取りで揺れる与党中枢の動向が大きく報じられる。

 やはり金の問題がついて回る首相が、いち早く決めた支援策が、人名救助でなく資金援助。
 15年前、野に落ちた自民党に、首相の椅子と引き換えに護憲の旗印を降ろして救いの手を差し伸べ、後に高くついたと臍を噛んだ好好爺だけが取り得の人と、的を外した対応振りが情けなくも重なって見える。
 当時、いち早く救助命令を出していれば、救えた命もあったと聞く。

 震災から15年という節目の日を前に、新聞やテレビが様々なその後を伝える。
 生きていれば社会人になったであろうわが子を偲び、形見の辞書のページを静かに繰る母親をテレビ画面で見て、悔しかろうと涙が滲む。

 この震災では内心忸怩たるものがあって、今も澱のように沈んでつきまとう。
 多くの犠牲者でもって贖われたものとは? そのことを改めて見詰め乍ら、“ 御霊、安からんことを祈りたい ” と、切に思う。                                                                      
 

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