キリストには十二人の弟子がいた。
そのひとりゼベダイの子ヤコブ、スペイン語でサンティアゴは、スペインで7年間布教活動をした後エルサレムに戻り殉教したとされる。
弟子達は遺骸を舟でスペインに運んだが、時の流れとともにその墓の所在は忘れられた。
9世紀の初め、星に導かれた羊飼いがとある町で彼の墓を発見、そこに小さな教会が建てられた。
ガリシア地方にあるこの小さな町で墓が見つかったという話は、やがてヨーロッパ各地に伝わり、彼のアトリビュート “ 帆立貝 ” を持って、この地、サンティアゴ・ディ・コンポステーラを目指し巡礼するようになったと言う。
絵は、バロックの奇才カラバッジョ(1573-1610/イタリア)の「エマオの晩餐」(ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)、向かって右端、胸に帆立貝をつけているのがヤコブとされている。
この地は、“ 聖墳墓教会のあるエルサレム ”、“ 聖ペテロの司教座のおかれたローマ ” とともに三大聖地とされている。
ここ数日呆れるばかりの天気が続き、とても年間200日も雨が降る地とは思えない。
青空の下オブラドイロ広場(写真中)では、目も肌も髪も、勿論、言葉の違いも、また老いたる者も若い者も子供も、そして多分、富める者も貧しい者も、その手段は徒歩であれバスであれ飛行機であれ、この聖なる地に無事着いたことを喜んでいる。
広場に面した正面から聖堂に入ると栄光の門。
ヨハネの黙示録をもとに、名匠マテオによって刻まれた200体にも及ぶ彫像で飾られている。
その中央、ひときわ目を引くのが「聖ヤコブ像」の柱、聖人が右手に巻物、左手には杖を持って長旅の巡礼者を迎える。
そして、その柱に手をついて祈りを奉げ、それから柱の裏側にある頭打ちの聖人と呼ばれる石像に三度頭を当てるのが習わしになっていると聞いていた。
ところが、残念なことにその聖ヤコブ像の柱(写真下)、周りが柵で囲われていた。
手を伸ばせば柱に届かないことはないが、常駐する警備員が厳しい視線でガード、ある巡礼者が手を伸ばし激しく叱責されていた。
巡礼者達は押しなべて恨めしげ。
どんな事情があったのか知る由もないが、何日もかけての巡礼者に対し余りにも心無い仕打ちだと思えてならない。
多分、一部の心無い人のためにこのような仕儀に至ったのだろうと思うものの・・・。
栄光の門から真っ直ぐ正面、チュリゲラ様式の中央祭壇に聖人が静かに見守る。
カタリナが、「左回りだったかしら?」と呟きながら祭壇裏手に回ると、そこには、人ひとりがやっと通れるほどの狭い階段があり、長い列が続く。
ようこそ昇ると主祭壇の真後ろ、聖ヤコブのマントにキスをすれば聖人の御心に叶うとされる。
聖人の背に手を置き、御心に叶う幸せを深く感謝したのは言うまでもない。