本年もこのコラムをどうぞよろしくお願いします。
1854年10月末、イギリス・フランス連合海軍が帝政ロシアのカムチャツカ半島海軍港より撤退しました。しかしイギリス・フランス連合軍と帝政ロシアとの戦争はバルカン半島に拡大し近隣諸国のブルガリア・ルーマニアを巻き込み戦闘が続いていました。クリミヤ戦争の主戦場となった黒海のクリミヤでは両軍共に多くの戦死者を出し戦闘が延々と続いていました。
帝政ロシアのプチャーチンは極東港湾都市ソヴィエツカヤ・ガヴァニでディアナ号に乗り換え1854年10月21日函館に入港しました。プチャーチンは幕府より函館港で待機を命じられました。プチャーチンという人は職務に忠実で一年以上も日本と極東そして東南アジアを行ったり来たりしていました。またプチャーチンは幕府に対して武力威嚇などしない軍人だったようです。
そしてオランダ王国は発展途上にある日本の近代化の主導権をライバル国であるイギリスやアメリカ合衆国に奪われることを恐れていました。だからオランダ王国は何度もアメリカ合衆国海軍の艦隊が日本に来航すると幕府と長崎奉行に対して警告を続けました。しかし幕府は何の海防対策をも取りませんでした。
1854年11月11日、オランダ商館長クルティウスは幕府に対して海防強化(開港した長崎・下田・函館)のため蒸気機関軍艦の輸入を勧めました。幕府は長崎海軍伝習所の練習艦として蒸気軍艦2隻をオランダ商館長に発注しました。幕府がオランダに発注した蒸気軍艦2隻は後の咸臨丸(かんりんまる)と朝陽丸(ちょうようまる)です。またオランダ商館長は「長崎海軍伝習所」の教官にオランダ海軍士官の派遣を幕府に約束したのです。
安部正弘と徳川斉昭は無邪気に喜んだ!
「海軍を創設しょう!」と幕府に近代化が芽吹きます 。
「長崎海軍伝習所」は海軍士官と海兵を教育する専門的な海軍教育機関と西洋科学を体系的に教える教育機関で現在の国立長崎大学の前身となりました。そして長崎には蒸気軍艦の建造や修理のためのメンテナンスドックや製鉄所が増設されていきます。長崎は長崎海軍伝習所開所によって近代化促進されていきます。幕府は1855年中に「長崎海軍伝習所」開所を目指し動き始めるのでした。
安部正弘政権の幕政近代化改革はこの頃が最盛期となりました。
しかし外国に対して開港した長崎・下田・函館より利益を得るのは幕府だけでした。幕府に対抗できる藩はやはり薩摩藩のみでした。薩摩藩は製鉄業・造船業・武器製造業などの洋式関連事業を集約した「集成館事業」を興していました。この薩摩藩集成館事業によって国産の蒸気帆船雲行丸と洋式帆船昇平丸の製造に着手していました。
『1854年11月末、吉田寅二郎と金子 重之輔は檻籠に乗せられ兄の杉民治も同行し萩に帰って来ました。「事なかれ主義の長州藩」の藩庁は吉田寅二郎におびえていました。幕府は吉田寅二郎の実家である杉家で謹慎することを命じました。しかし藩の重役は幕府を恐れて寅二郎を「野山獄」に一年間投獄しました。その間ずっと兄の杉民治と妹の文(ふみ)が毎日の様に野山獄の寅二郎を訪ねて来ました。金子 重之輔は武家の身分以下の「岩倉獄」に投獄されました。金子 重之輔は長旅で皮膚病を悪化させまた冬の寒さで肺炎を発症していました。』②
『長州藩(現在の山口県)の藩祖毛利輝元(もうり てるもと)は豊臣政権下で五大老の一人に列せられいました。輝元の祖父毛利 元就(もうり もり もとなり)は広島を拠点に山陰・山陽(現在の広島県・岡山県・鳥取県・島根県・山口県)を領地とした戦国大名でした。1600年、関ヶ原の合戦の時に毛利輝元は西軍の総大将として担ぎ出され大敗しました。』①
『徳川家康は容赦無く毛利家の領地(現在の広島県・岡山県・鳥取県・島根県)を取り上げ周防・長門(現在の山口県)を領地としました。家康は毛利氏を領地を四分の一に減俸し窒息死させようとしたのでした。毛利氏は領地が四分の一なったことで財政的に成り立たなくなり戦国時代から毛利家に仕えて来た家臣も減らさざるおえなかった。それから長州藩は幕府に対して逆らうことなくまた京で朝廷工作を行うこともなかった。長州藩は幕府を恐れる佐幕派の藩として「ことなかれ主義」で江戸時代を生き延びました。』①
「脱藩浪人吉田寅二郎が国法を犯し野山獄に投獄された…気の毒な人だ…」という噂が直ぐに萩城下に広がりました。吉田寅二郎が「なぜ気の毒なのか?」『長州藩では幕府の法を犯した者は同情し内々でかばい合う気風があるからです。そして長州藩内部には幕府に対する反抗のアイデンティティが脈々と息づいていました。
吉田寅二郎の萩城下の噂は藩庁の周布 政之助(すふ まさのすけ)にも伝わりました。周布 政之助は藩の財政改革や軍制改革また産業を興し輸出産品を増産するなど藩政近代化改革を行う長州藩庁改革派の重役でした。周布 政之助は吉田寅二郎に注目するのです。』②
事なかれ主義の長州藩の藩論を吉田寅二郎が変えようとしている。
つづく
『』①②は文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より要約
お日様とお月様の光と影
~東アジア近代化クロニクル(年代記)~
第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した
プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!
第一章 西洋列強諸国との外交攻防と内政攻防 (1)~(7)
≪参考文献≫
知れば知るほど徳川十五代 実業之日本社より
オールコックの江戸 初代英国公使が見た幕末日本 中公新書
幕末バトルロワイヤル 井伊直弼の首 新潮新書 より
歴史読本 徳川慶喜をめぐる女たち 1998年10号 新人物往来社
1990年放送 NHK大河ドラマストーリー 翔が如く 前半 より
1998年放送 NHK大河ドラマストーリー 徳川慶喜 前半 より
2010年放送 NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝 前半 より
2013年放送 NHK大河ドラマストーリー 八重の桜 前半 より
文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より
新潮文庫 司馬遼太郎著 花神 (上) より
文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候 より
文春文庫 司馬遼太郎著 最後の将軍 より
突っ込みどころ満載!
筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。
また筆者はこのコラムの様なNHK大河ドラマを観たいそうです。