中学のときに、アインシュタインの手紙を教材として
読む機会があった。
アインシュタインが、当時のアメリカ大統領にウラニウムの資源としての長所と
短所を示してある手紙だった。
更に、私たちは、アメリカの最初のウラニウムの燃焼実験を示した
報告書も読んだことがある。
スカッシュ(屋内テニスみたいなかんじ)のコートでその実験は行われ、
科学者たちは、コートのベランダから実験の様子を見守るという
危険で、幼稚な実験だった。
それが、1942年である。
「ひまわり」の中で、小学生は体育の授業のなかで
槍のようなものをもち、大型わら人形(アメリカ兵に見立てたと思われる)に
全力で向かい、刺すことを教わっているシーンがあった。
なんとも複雑な気持ちになった。
同じ頃、わが国では幼稚ではあるがのちのLittle Boyとなるであろう
原爆の実験が行われ、日本では子どもも槍を持って戦うことを
教育されていた。
天才アインシュタインは、こんなことを望んでいたのだろうか?
こんなことのために、研究や実験の成果を報告していたのだろうか?
そして日本は今、形こそ違うけれど
科学の進歩の前に、大きな困難を持つことになってしまった。
アインシュタインは、ここまで危険なものだと認識していたのだろうか?
きっとNOである。
原爆投下の飛行機に乗っていたパイロットのお孫さんが、USで
写真家になっているが、彼も広島・長崎を訪れて本当に悩んだそうだ。
(手記を読んだことがある)
おじい様は英雄となり、私たち子孫は、原爆は戦争を終わらせるために
必要なことだったと教わった。
でも、お孫さんの彼は、自分に問うのだそうだ。
本当にそうかと?
答えの出ない問いを
私たちは問い続けています。
読む機会があった。
アインシュタインが、当時のアメリカ大統領にウラニウムの資源としての長所と
短所を示してある手紙だった。
更に、私たちは、アメリカの最初のウラニウムの燃焼実験を示した
報告書も読んだことがある。
スカッシュ(屋内テニスみたいなかんじ)のコートでその実験は行われ、
科学者たちは、コートのベランダから実験の様子を見守るという
危険で、幼稚な実験だった。
それが、1942年である。
「ひまわり」の中で、小学生は体育の授業のなかで
槍のようなものをもち、大型わら人形(アメリカ兵に見立てたと思われる)に
全力で向かい、刺すことを教わっているシーンがあった。
なんとも複雑な気持ちになった。
同じ頃、わが国では幼稚ではあるがのちのLittle Boyとなるであろう
原爆の実験が行われ、日本では子どもも槍を持って戦うことを
教育されていた。
天才アインシュタインは、こんなことを望んでいたのだろうか?
こんなことのために、研究や実験の成果を報告していたのだろうか?
そして日本は今、形こそ違うけれど
科学の進歩の前に、大きな困難を持つことになってしまった。
アインシュタインは、ここまで危険なものだと認識していたのだろうか?
きっとNOである。
原爆投下の飛行機に乗っていたパイロットのお孫さんが、USで
写真家になっているが、彼も広島・長崎を訪れて本当に悩んだそうだ。
(手記を読んだことがある)
おじい様は英雄となり、私たち子孫は、原爆は戦争を終わらせるために
必要なことだったと教わった。
でも、お孫さんの彼は、自分に問うのだそうだ。
本当にそうかと?
答えの出ない問いを
私たちは問い続けています。