●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

赦されたと言う事

2014年12月15日 | 思うこと
クリスチャンは、すぐに赦されたと言う傾向があります。

でも、他者に対しては許されない罪や過ちもあると知っていた方がいいんです。

もし友達に失礼な事をして、謝っても赦してくれなかったとしても、

仕方のない程の傷を与える事だってあるんです。

「謝れば赦してもらえる・・・」は、当然の事ではないのです。

罪は、それほど汚くてトゲが生えているもの。



十数年前、私は当時の親友に対してとても酷い態度をしてしまいました。

その前にもいろいろあったので、彼女はもう許してくれませんでした。

姉妹よりも親しくしていた親友なのに、

私は、思い上がっていたので軽率な態度をとってしまいました。

自分の過ちを悟ったので、彼女に何度も何度も謝りました。

それでも、決して彼女は許してくれませんでした。

そして、私はやっと悟ったんです。

どんなに誠実に謝っても、許してもらえない事もあるんだと。



私は、大切な友達を完全に失いました。

その痛みを私はず~~~っと負う事になりました。

でも、それを負う事は仕方のないことだったんです。

十年間、しょっちゅう彼女と和解した夢を見ました。

それでも、私の犯した過ちが無くなってしまう事はありませんでした。



もちろん、神さまの前には許されない程の罪はありません。

だからと言って、人に与えた傷は消える事はない事もあります。

長い年月をかけて、相手の傷が癒されるのを祈るばかりです。

それほど小さくて汚い自分を知った時に、やっと十字架の本当の意味が分かります。

十字架を軽々しくネックレスや、言葉で簡単に言えなくなります。

私は、許されなくて当然の者なのです。

簡単に「許された!ハレルヤ!感謝!」とは言えません。



彼女とは数年前にバッタリ会い、普通に話す事が出来ました。

でも、もう親友になる事は絶対にないと思います。

失ったモノは、失ったままです。

イエスさまの十字架で許されても、傷の痛みは簡単には癒されません。

長い年月、それを負う事になるんです。

・・・そう、それが事実です。



ですが、許されないから落ち込みなさいと言ってるのではありません。

ただこの痛みがあるから、もう他の人を傷つけたくないと本気で思えます。