●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

「神は愛なり」

2006年04月23日 | 思うこと

私は今、何をどう考えたらいいのか?思案中です。月曜日から、いろいろな事があったからです。それをどのように伝えたら良いのか・・・?ちゃんと整理してからの方が良いのか・・・?などと。


私は金銭トラブルを起こしてしまいました。昔の知人に、私の甘さが同調して大変な事になってしまったのです。それは、私が同意したことなので、責任は私にあります。俗に言う「お人好し」です。
そして、私が起こしたこのトラブルに、友達や家族を巻き込んでしまいました。収入の無い私には、これは「大問題」です。周りの誰にとっても。。。

しかし。。。
この「悪しき出来事」が一週間も経たない内に「素晴らしい祝福」に変えられたのです。

私が最初に相談したのは、とても信頼出来る友達でした。彼女はよき助言をしてくれて、一緒に家に来て話し合いに参加してくれました。
そして、私の前に立ちはだかって守ってくれ「この事は、この家族にとってきっと良い意味で起こった出来事です。」と言う事を、話してくれました。
息子は、冷静な判断で主人を説得してくれました。娘は「この事できっとよくなる。お母さんの病気が治る気がするよ」と言いました。主人は許してくれて、後の処理を迅速にしてくれました。

もっと、もっと、いろいろありましたが。。。
今日はこのことで私が学んだ事をお伝えしましょう。

自分の「失敗」であっても、「災い」であっても、もし神さまを信じるならば、それは全て神さまからのプレゼントですから、必ず益「祝福」となります。

【私が学んだ事】

①私の大きな問題点は、私が「自己中心的」で周りからいつも愛を貰うだけで、与えることをしない「愛の○○鬼」だったこと。

②知人の甘えは、実は私の中にある甘えであり、本質的には同じ種類の人間であったこと。(人の欠点に異常にいらつき、気になるときは自分の中にもそれがある)

③悪しき隠し事は、腫瘍のように心の中に広がり膿をもち、最後には破裂してしまうこと。(隠れていることは、必ずいつか明るみに出される)

④「人を恐れると罠にかかる」と言う言葉通り、私が主人を恐れ相談しなかったことが、事態を悪化させた。

⑤私は神さまと、人々に愛されている。(神さまは私に、素晴らしい友達と主人と息子と娘を与えてくださった)

まだまだ、たくさんの事がありましたが、書ききれません。
私は今回の事で病気が良くなると信じています。実際、服薬とお昼寝はちゃんとしていますが、家事やオークションの仕事は「元気!」に出来るようになりました。友達とは更に絆が深まり、お互いにお互いの存在が、良きものを生み出しています。家族はそれぞれに成長し、許しと愛が深まりました

私は今、自分と人々をこころから愛せるように、許せるように祈っています。こころに隠し事をせず、大切な人を信頼し恐れず、甘えを捨てて「等身大」で歩んでいます
神さまは、今私と共に戦って下さっていて、返済のためにオークションを祝福して下さっています。
(昨日は8980円+980円、今入札が3件入っています)

神さまって・・・スゴ過ぎる!!!ハレルヤ!

o(*^▽^*)oあはっ♪