フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

パリジャンと話した後に赤ワインを買う

2006-04-15 23:04:34 | 出会い

帰りに駅ビルに寄る。ワイン売り場に差し掛かるとフランス人が立っている。早速言葉を交わす。いつもながら感じることは、接した感じが柔らかいということ。Calvet のワインを扱っている。彼は日本に4ヶ月滞在していて、こちらに来る前にパリでも日本語を勉強していたとのことでアクセントのない日本語を話すのだが、無理矢理訛りのあるフランス語で話しかける。売りに出ている4種類(白2種、赤2種)のワインを飲み比べてみる。最後に出た赤ワインが少し抵抗のある味で気に入ったのだが、その前のスムーズに入ってくる有機ワイン (le vin biologique と言うのだろうか) を薦められ、それを買うことにした。いずれにしても、買う時にこのようなやり取りがあると、実際に味わう時にいろいろな思いを喚起してくれるので楽しくなる。小さな出会いであった。

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マクサンス・フェルミーヌ 「雪」   "NEIGE"DE MAXENCE FERMINE

2006-04-14 23:46:42 | 俳句、詩

もう数ヶ月前になるだろか。フランス語版のブログに Paule さん (ASHITAという日本文学を中心にしたブログをされているブルターニュの方) から、日本を舞台にした雪と俳句がテーマの小説がありますよ、というコメントが入り、 Maxence Fermine (1968-) の "Neige" を紹介された。本が届いたので、早速読んでみることにした。

100ページにも満たない小説で、表現が詩的で文章も短く読みやすい。ややお伽話のような印象もある。19世紀の終わりの日本。主人公は Yuko Akita という俳句と雪を愛する男子。17歳にして詩人(俳人)になることを、父親の意向に反して決意する。

俳句に関しては、次のように説明されている。

Le haïku est un genre littéraire japonais. Il s'agit d'un court poème composé de trois vers et de dix-sept syllabes.

... un haïku. Quelque chose de limpide. De spontané. De familier. Et d'une subtile ou prosaïque beauté.
 Cela n'évoquait pas grand-chose pour le commun des mortels. Mais pour une âme poétique, c'était comme une passerelle vers la lumière divine. Une passerelle vers la lumière blanche des anges.

(俳句、それは透明感のあるもの、自然に迸り出るもの、身近なもの、繊細な、あるいはありふれた美を扱ったもの。普通の人には何も喚起しないが、詩心を持った人にとっては、神の光への掛け橋、天使の白光への掛け橋のようなものであった。)


彼の詩にはまだ色がない。その色を探し、完全なる芸術 l'art absolu を身につけるため、Soseki という師の元に旅立つ。その途中、日本アルプスの山中で氷詰めになった若きヨーロッパの女性を見つける。この女性こそ綱渡り(funambule)を生業とし、その最中に転落した Soseki の若き日の妻であることが、彼に会ってからわかる。それを知った Yuko は老齢の師をアルプスに誘うのだが、・・・

氷の中に眠る女性を見つけるところでは、なぜか映画 「クリムゾンリバー LES RIVIERS POURPRES」 のシーンを思い出していた。Yukoは自分の芸術の完成に7年という時間を要求するが、Soseki との出会いにより最終的にはそれを達成する。

読み終わって、何か水墨画の世界を見るような、静かな気持ちなった。この本の表紙に横山大観 (1868-1958) の 「秩父霊峰春暁」 (Aube de printemps sur les monts sacrés de Chichibu)が使われているのをみて、納得していた。

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(version française)

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モーリス・アンドレ MAURICE ANDRE, UN QUART DE SIECLE APRES

2006-04-13 23:54:09 | MUSIQUE、JAZZ

最近、車の中でモーリス・アンドレ Maurice André (1933-) の "The Trumpet Shall Sound" というCDを聞いている。学生時代によく聞いていた演奏家で、ほぼ四半世紀振りである。この楽器の可能性を革命的に変えてしまった完璧なテクニックによる才気と精気溢るる演奏。練習を一日休むと唇の状態を取り戻すのに二日かかるとのことで、毎日のように楽器に触っていた学生時代が蘇り、少しだけ背筋が伸びる思いである。

卒業後何をするのかはっきりしていない時期、将来は音楽の道で、などと考えたこともあった。しかし同僚Hの 「ニューヨーク・フィルでやれるとは思っていないでしょう、そうでなければ止めた方がいい」 との言葉で我に返ったことを思い出した。

再び楽器に触ったのはもう7-8年前になるだろうか。友人M氏のやっているオーケストラでトランペットがいないので、とのお誘いに乗り、コンサートに数回参加させていただいた。この時は余りにブランクが長かったので、半年くらい前から夜スタジオを借りて唇作りから始め、何とか本番に間に合わせることができた。もちろん満足のいくものではなかったが。それ以来、我が愛器は再び永い眠りについている。

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プロクルステスの寝台 LE LIT DE PROCUSTE

2006-04-12 21:19:48 | 科学、宗教+

今日、専門の文書を読んでいて出てきた表現でぴんと来なかったものがある。

「・・・現象Aを分類Xという the Procrustean bed に入れてはいけない・・・AはXに収まらないほど多様・・・」

という流れの文章であった。何だろうかと考えたが無理。ギリシャ神話の素養がないと駄目なのである。ネットサーチの結果、以下のような興味深い背景があることがわかった。

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プロクルステス (「伸ばす人」 という意味がある) は、旅人に素晴らしい食事とともに特別なベッドで一夜の休息を提供していた。そのベッドは非常にユニークでどんな人のサイズにもぴったりと合うという "one-size-fits-all" の代物。どうするかと言えば、背の低い人は無理やり引っ張ってベッドに合うように伸ばし、背の高い人は足を切り落としてそのサイズを合わせるという。最終的には彼自身も捕らえられ、このベッドに縛り付けられて頭と足を切り落とされたようだ。
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このエピソードから、無理矢理一つのもの (基準) に合わせるようにしたり、人に一つの考え方や行動様式を押し付けることを意味する、言わば conformisme とか uniformisation のシンボルとされているようだ。面白い表現である。以前から気なってはいるが、ギリシャ神話までなかなか手が回らない。

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中沢新一 「芸術人類学」  "ANTHROPOLOGIE ARTISTIQUE"

2006-04-11 23:12:27 | 日本の作家

先週のこと。快晴の春の日の午後、近くまで歩く。いつもと違う道を通り帰ろうとしたところ、馴染みの本屋が現れたので中に入る。その日は中沢新一氏の不思議なタイトルの本 「芸術人類学」 を手に取り、最後の章 「友愛の歴史学のために」 を摘み読み。実家の玄関正面に 「友愛」 と書かれた織物がある (以前は居間に置かれていたもの)。そのことが頭を掠めたのだろうか。

「共同体」、「農業」 という社会の中心 (権力) から離れた (あるいはそこから排除された) 場所に囚われない、権力の外にある 「組合」、「職人」、「非農業」 の世界を対比させてこの世界を語っている。よく問題になる農村と都市との関係にも通じる。

さらに読んでみると、このブログでも取り上げたこととの繋がりも見つかる。例えば、網野善彦氏が「非農業」 という新しい概念を発見したことについて、

「たんなる実証的な研究を越えた、ある種の抽象力がなければなりません。『非農業』 という概念は、たんに職人についての実証研究を積み重ねていけば、自然にあらわれてくるようなものではないのだ」 と強調している。

創造的な発見は、ある研究を地道に積み上げていっても出てこない。そのためにはビジョン、幻を見る能力が必要になるという指摘は、アインシュタインの言葉とも繋がる。

「概念と観察の間には橋渡しできないほどの溝があります。観察結果をつなぎ合わせることだけで、概念を作り出すことができると考えるのは全くの間違いです。
 あらゆる概念的なものは構成されたものであり、論理的方法によって直接的な経験から導き出すことはできません。つまり、私たちは原則として、世界を記述する時に基礎とする基本概念をも、全く自由に選べるのです。」

まず、そのことに気づくのが大変なこと、その上でそれを実現させるとなるとやはり何かが要求される。

また、はっきりとは掴むことはできないが確かにそこにあるようなもの、論理を超えた著者の言うところの 「女性的な」 ものの中にこそ新しい学問の芽が宿っているのではないか、と言う。おそらくそうだろう。しかし普通の人は科学的に扱えないものとして無視するか切り捨てて生きている。以前、似たようなことを森鴎外の小説 「かのように」 でも取り上げられていることに触れたことがある。本質的なこと、根源的なことをさておいて、われわれは生きているということに気付かずにはいられない。

最初の章 「芸術人類学とは何か」 では、共同体を成り立たせる論理的な思考とそれとは別に明らかにわれわれの心の中にある 「野生の沃野」、「流動する心」 とでも言うべき芸術や宗教を生み出す動きを統合しなければならない、という思いを語っている。時代が進んでいくと前者が優位になり、野生の部分を抑えつけていかなければならなくなる。今それにより戻しをかけなければならないのではないか、という提言にも聞こえる。「バイロジック」 で存在している人間の本来の姿を意識する必要があるということだろうか。私の場合、どこかに論理を超えた野生の匂いを感じる人には魅力を感じる性向があるようだ。

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アート・バックウォルド ART BUCHWALD EST SUR SON LIT DE MORT

2006-04-10 22:34:20 | 年齢とヴィヴァシテ

本日の Le Point の小さな記事に目が行く。アート・バックウォルドが死の床にあるという。私のアメリカ時代にテレビで見たり、読んだりしていたアメリカのジャーナリスト。ニューヨーカーの彼は22歳でフランスへ行き、14年もの間パリの様子を本国に送り続け、その後も新聞に連載をしていた。

もう80歳になる彼は透析を断り、従容と死に向かう道を選んでいるようだ。ホスピスにお見舞いに来た人が駐車する場所が見つからなかったと文句を言った時、こんな冗談を言ったという。

« Mourir, c'est facile, trouver une place de parking, c'est impossible. »
(死ぬのは簡単、駐車場を見つけるのはお手上げだ)

四半世紀前に初めて知った時から皮肉たっぷりに時世を切っていたが、後味の悪さがないので嫌いではなかった。今本棚を探してみたところ、数冊はあるはずだが、彼が58歳の時の本、"While Reagan Slept" だけが顔を出した。少しだけ読んでみたい。

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30 avril 2006 アート・バックウォルド再び INTERVIEW AVEC ART BUCHWALD

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年を重ねるということ VIEILLIR C'EST ORGANIZER ...

2006-04-09 08:51:11 | 年齢とヴィヴァシテ

羽田からの帰り、長谷川宏という在野の哲学者が茨木のり子の詩を取り上げ、その詩に誘導される思いを綴った本を見る。

思索の淵にて 詩と哲学のデュオ

そのはじめに、これはまさに!と思うポール・エリュアール (Paul Éluard, 1895-1952) の詩が茨木氏によって取り上げられていた。

  Vieillir c'est organizer
  Sa jeunesse au cours de temps

  年をとる それは青春を
  歳月のなかで組織することだ

    (大岡信訳)

これこそ自分がこの1年余りの間やってきたことではないのか、という思いである。少なくとも真面目に過去と向き合うこともなかったのが、少しだけ真剣にこれまでに起こったこと (自分に、そして世界で) の意味を見出そうとしているようにも見える。それこそが年をとるということですよ、と言われているようだ。

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さあ見て、少しだけ見て ALORS REGARDE, REGARDE UN PEU... 

2006-04-08 08:48:28 | MUSIQUE、JAZZ

ALORS REGARDE (Patrick Bruel)

Le sommeil veut pas de moi, tu rêves depuis longtemps
Sur la télé la neige a envahi l'écran
J'ai vu des hommes qui courent, une terre qui recule
Des appels au secours, des enfants qu'on bouscule
Tu dis que c'est pas mon rôle de parler de tout ça
Qu'avant de prendre la parole il faut aller la-bas
Tu dis que c'est trop facile, tu dis que ça sert a rien
Mais c'est encore plus facile de ne parler de rien

僕に眠りなどいらない、君はずっと夢見ている
テレビの画面を雪が覆う
走り回る人たちと遠ざかる地面を僕は見た
助けを求める声、急かせられる子供たち
そんなことを言うのは自分の役割ではないと君は言う
話す前にそこに行けと言う
それはあまりにも安易と君は言う、何のためにもならないと言う
しかし何も話さないのはもっと簡単

Alors regarde, regarde un peu...
Je vais pas me taire parce que t'as mal aux yeux
Alors regarde, regarde un peu...
Tu verras tout ce qu'on peut faire si on est deux

さあ見て、少しだけ見て
俺は黙っていない、君の目は疲れているから
さあ見て、少しだけ見て
二人なら何ができるかわかるだろう

Perdue dans tes nuances, la conscience au repos
Pendant que le monde avance, tu trouves pas bien tes mots
T'hesites entre tout dire et un drôle de silence
T'as du mal a partir, alors tu joues l'innocence
Je vais pas me taire parce que j'ai mal aux yeux

ニュアンスの中に迷い込み、良心も働かせず
世界が動いているその時に、君は自分の言葉を捜さない
すべてを語るか、黙りこくるのか迷っている
動き出すことができず、それで無邪気を装う
僕は黙っていない、自分の目も悪いから

Alors regarde, regarde un peu...
Tu verras tout ce qu'on peut faire si on est deux

さあ見て、少しだけ見て
二人なら何ができるかわかるだろう

(付拙訳、歓迎御指摘誤訳)
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CD "PUZZLE" の中にあったこの歌、リズムは単純で非常に力強い。「僕」ではなく 「俺」、「君」 ではなく 「お前」 という感じである。"Alors regarde, regarde un peu..." のところは何とも言えず、よいのである。

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自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (II) REVEL L'HOMME LIBRE

2006-04-07 21:53:43 | 自由人

昨日、ルヴェルの本をネットでサーフしていて、あれっと思った。こういう驚きはいつも楽しくなる。上の写真は "Pourquoi des philosophes" が収められている論文集の表紙だが、この写真に見覚えがあったのだ。

もう4‐5年前から、その時々に気になった芸術家 (作家、画家、音楽家、哲学者、歴史学者、科学者、なぜか政治家、俳優など、言ってしまえば興味深い人間ということになるのか) やその作品を画像で私のパワーポイントに取り込み、Arts あるいは Artists と名づけたファイルで保存している。

昨日 Amazon.fr を見て、この表紙をファイルしたことを思い出したのだ。どういう経緯でそこに入れたのか、今となっては思い出せないが、おそらく誰かの文章で紹介されたのを見て興味を持ったものと思われる。このファイルはごみ箱のようなもので (中の方には失礼だが)、入れた途端に忘れてしまうようだ。このようにその箱から蘇ってくれると嬉しくなる。

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さて、Le Point から再び彼の声を聞いてみたい。

LP: イデオロギーは現実に道を譲らなければならないのか?
 (Faut-il que l'idéologie cède le pas à la réalité ?)

JFR: パロス生まれのアーシロック (Archiloque de Paros; 712-664 av. J.-C.) が 「狐はいろんなことを知っている。ハリネズミはただ一つのことしか知らない、ただし重要なことを。」 ということを言っている。私はハリネズミに近い。私のもっとも深いところにある確信は、人の運命は情報の正確さ、誤りによって決まるというもの。それはこれまで教師、エッセイスト、編集者 (雑誌 L'Express の責任者を 1966-1981年の15年間勤める) の経験から培われ、確固たるものになった。

ただ、なぜ人は (個人、団体、政府すべてのレベルで) もっとも手に入りやすい真実ではなく、しばしば彼らのためにならない誤りや嘘を好むのか、という問題に常に直面した。この問題は "La connaissance inutile" 「無益な知識」 で論じている。

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[私語]
マスコミを見ていつも感じていることは、どうしてこうもふわふわした情報と議論に終始しているのだろうか、ということ。問題の在り処を示すような番組をほとんど見たことがない。そして何か過ちがあると、これから気をつけなければ、反省して出直さなければならないとその場をしのぎ、また同じことを繰り返す。ルヴェルさんの認識に立つとよく理解できる。要するに、人間とは真実など欲していないのだ、正しい判断であろうとなかろうとどうでもいいと思っている生き物なのだ、ということになる。人の求めるところに依存するマスコミにあっては、当然の内容ということになる。
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1997年に自伝的作品 "Le voleur dans la maison vide" (「空き巣」 ?) を発表、アカデミー・フランセーズの会員に選ばれる。プラトンは常に問題を引き起こした。アカデミーにいるということは、型にはまるということ (conformiste) ではない、この8年ほど常に流れに逆らってきた。彼はそこにこそ真実があると考えている。

事実を正確に捉え、的確に解釈する。そのためには言葉が重要。アカデミーはそこでも重要な役割をしている。フランス語が乱れていると認めることは、必ずしも保守的な考えを意味するものではない。外国語が入ってくることは、正確に使いさえすればむしろフランス語を豊かにする。同じことが知識の増加に伴い新しい言葉を使う時にも言える。ただフランス語を駄目にするのは、アングロサクソンではなくフランス人である。怠慢や無知によって。

2002年に "L'obsession anti-américaine" (邦題は 「インチキな反米主義者、マヌケな親米主義者」 となっているが、売らんかなの印象が拭えず全くいただけない) を出版してから一冊も発表していない。82歳になり、老化についても考えなければならなくなる。体は今まで通りとは行かない。知的活動については、これまで誇りに思っていた記憶力も衰え始めている。しかし、しかし、記憶力は知性とは何の関係もない、モンテーニュの記憶力もひどいものだった、問題を感じない、と言っている。

ただ、老年になるとすべてがゆっくりとしてくる。老年期に満足を与えるものを見つけ出した古代人の知恵へ導かれるようだ。キケロ (Cicéron, 106-43 av. J.-C.) が 「老年について "De la veillesse"」 カトー (Caton, 234-149 av. J.-C.) に語らせたように。
 
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やはり年寄りの話は聞くものである。


自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (I) REVEL L'HOMME LIBRE
(6 avril 2006)
二巨星逝く DEUX GEANTS SONT MORTS (2 mai 2006)

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自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (I) REVEL L'HOMME LIBRE

2006-04-06 21:16:05 | 自由人

今週の Le Point に出ていたインタビュー記事について先日触れた。その人は、もう少しで半世紀のキャリアを迎える今最も重要な思想家として紹介されている。数回に分けて読んでみたい。

ジャン・フランソワ・ルヴェル Jean-François Revel (1924 - )

マルセイユに Jean-François Ricard として生まれる。1957年 (32歳) に最初の作品 "Pourquoi des philosophes ?" (なぜ哲学者か?) を発表する時に Jean-François Revel という偽名を使う。それはパリ1区にあったレストラン Chez Revel から採った。そこに一緒に顔を出していた友人の勧めで。イニシャルも変わらないので丁度よかったとのこと。

30年ほど前に発表した "Descartes inutile et incertain" (無益にして不確実なるデカルト) において、哲学の死を論じている。18世紀の終わりのカントの時代から哲学はその歴史的役割を終え、真の知識は神話の世界から科学へ移り、哲学は文学の領域に入ってきた。彼自身も自分を哲学者ではなく作家として定義している。

哲学者はもはや職業でも身分でもない。ソクラテスが語り、モンテーニュがやったように、精神を完全に自由な状態に置き熟考する人は誰でも哲学者となる。デカルトやヘーゲルのように体系化されている人よりも、より哲学者に見えるとルヴェルは語っている。

彼は若い時の6年間 (26-32歳) をメキシコ、フィレンツェで先生として過ごす。その過程で、土地の言葉を学び、異文化の中に身を置き、外から物を見ることを学び (パリ中心主義 parisianisme から逃れ)、考えるということ、そして特別な感受性を身に付ける。このような経験が 「精神を開くこと」 (une ouverture d'esprit) につながったという (余談だが、この言葉は非常に好きな言葉になっている)。

  (歴史のある町や世界の中心を誇る町では parisianisme に似たものがあり、それはしばしば英語で言うところの parochialism* に陥りやすいことは私自身も体験しているので、彼の言うことは100%同意できる。)

この6年間にラテンに対する嗜好が生まれ、イタリア、スペイン、ポルトガル、南アメリカは今や彼のお好みの国になっている。またこの重要な時期に海外にいたことで、共産主義を免れることができたと振り返っている。

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*フランス語で paroissial 小教区の、という形容詞はあるがその名詞はないようで、むしろ esprit de clocher という表現がこの英語に対応しているのだろうか?どなたかご教示いただければ幸いです。


自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (II) REVEL L'HOMME LIBRE
(7 avril 2006)
二巨星逝く DEUX GEANTS SONT MORTS (2 mai 2006)

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車内音楽の模様替え LA NOUVELLE MUSIQUE DANS MA VOITURE

2006-04-05 20:51:47 | MUSIQUE、JAZZ

季節の変わり目。車で聞くCDを総入れ替えした。今まではエディット・ピアフと今の世のフランス若手女性歌手の歌を聞いていた。この機会に、最近の繋がりから以下のCDを選んでみた。

まずは昨日一昨日と取り上げた Patrick Bruel の "Puzzle"。

これも最近、カフェで流れていたモーリス・アンドレのトランペット。これまでの録音をまとめた "The Trumpet Shall Sound"。ここに入っている曲はすべてレコードを持っているが、四半世紀以上聞いていない。もう一度聞きなおして、初心にでも戻ろうと言うのだろうか。

数週間前、行川さをりさんのボサノバを聞いた。その時ピアノを弾いていたゴメスさんに紹介されたマリア・ヒタのCD "SEGUNDO"。当日聞いて、妙に印象に残っていた曲 "Caminho das Águas" (「カミオ・ダザーグォァス」と聞こえる) が最初に出てくる。

最後は、おそらく4-5年前、シャンゼリゼの店で何かないかと試聴しながら時間をつぶしていた時に、一曲目から気分を軽くしてくれたCD。その曲はエラ・フィッツジェラルドの "I get a kick out of you" であった。それまでは特に印象には残っていない曲だったが、パリの雰囲気の中でジャズという初めての経験のせいだろうか。本当に心が跳ねてしまった。ほかにも名曲が盛り沢山の "Jazz Ladies" (私のは2枚組み)。

花粉も遠ざかりつつある。気分も新たに行きたいものである。

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誰に権利が? QUI A LE DROIT ? 

2006-04-04 21:22:59 | MUSIQUE、JAZZ

"Qui a le droit ?" (Patrick Bruel)

On m'avait dit : "Te poses pas trop de questions.
Tu sais petit, c'est la vie qui t' répond. 
A quoi ça sert de vouloir tout savoir ? 
Regarde en l'air et voit c' que tu peux voir." 

人は言う 「お前はいろいろ聞き過ぎる
いいかい坊や、君に答えてくれるのが人生だ
すべて知りたいと思って何になる
空を見なさい、見えるものを見なさい」 と

On m'avait dit : "Faut écouter son père." 
Le mien a rien dit, quand il s'est fait la paire. 
Maman m'a dit : "T'es trop p'tit pour comprendre." 
Et j'ai grandi avec une place à prendre. 

人は言う 「父親の言うことを聞きなさい」と
私の父親は逃げる時、何も言わない 
母親は言う 「お前は理解するには小さ過ぎる」と
そして私は立派に大人になった

Qui a le droit, qui a le droit, 
Qui a le droit d' faire ça  
A un enfant qui croit vraiment 
C' que disent les grands ?  

誰に権利がある、誰に権利がある、
それをする権利が誰にある
大人の言うことを本気で信じる
子供に対して?

On passe sa vie à dire merci, 
Merci à qui, à quoi ?   
A faire la pluie et le beau temps 
Pour des enfants à qui l'on ment. 

人はありがとうと言って人生を送る
でも誰に、何のためのありがとう? 
子供に嘘をつき
力を行使することに対して

On m'avait dit que les hommes sont tous pareils. 
Y a plusieurs dieux, mais y' a qu'un seul soleil. 
Oui mais, l' soleil il brille ou bien il brûle. 
Tu meurs de soif ou bien tu bois des bulles. 
 
人はみな同じと言う
いくつもの神がいるが、太陽は一つ
そうだ、しかし太陽は輝き、燃え盛る
君は死ぬほど喉が渇く、そして喉を潤す

A toi aussi, j' suis sur qu'on t'en a dit, 
De belles histoires, tu parles... que des conneries ! 
Alors maintenant, on s' retrouve sur la route, 
Avec nos peurs, nos angoisses et nos doutes. 

君にも、人は間違いなく言っている
もっともらしい話を...そう、でたらめでしかない話を!
さあ今、街に出よう
恐れと不安と疑いを抱きながら

Qui a le droit, qui a le droit, 
Qui a le droit d' faire ça  
A un enfant qui croit vraiment 
C' que disent les grands ?  

誰に権利がある、誰に権利がある、
それをする権利が誰にある
大人の言うことを本気で信じる
子供に対して?

On passe sa vie à dire merci, 
Merci à qui, à quoi ?   
A faire la pluie et le beau temps 
Pour des enfants à qui l'on ment. 

人はありがとうと言って人生を送る
でも誰に、何のためのありがとう? 
子供に嘘をつき
力を行使することに対して

(拙訳につき、誤訳のご指摘歓迎いたします)
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子供 (若者) と大人の世界の対比を子供 (若者) の視点から歌っている。大人 (の欺瞞) に対する静かな反発、反抗心のようなものを強く感じる。これからデモでも始まりそうな気配もする。これは最近のフランスでの出来事の底にあるものとも繋がっているのだろうか。

この歌を聞きながら、私の頭にある temps の音が違っていることに改めて気付く。歌詞を見ながら聞いていて、あれっと思った。予想していた音と違ったのだ。以前フランス語の先生に「古きよき時代」 "un vieux bon temps" と言ってみたが、全く通じなかったことを思い出した。その時からまだ修正されていないようである。

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パトリック・ブルエル、ジャン・フランソワ・ルヴェル P BRUEL ET JF REVEL

2006-04-03 22:58:10 | 自由人

パトリック・ブルエルのCD "PUZZLE" を初めて聞く。お昼の散策時にざっーと流してみた。よい曲が詰まっている。夜、"Qui a le droit ?" だけを聞き続ける。なかなかよい。当分付きまとわれそうである。

本日、Le Point が届いた。哲学欄 (Idées Philosophie) に興味を引く人のインタビューが出ていた。その人の名は、ジャン・フランソワ・ルヴェル Jean-François Revel。1924年生れと言うから御年82。東洋的な穏やかな老後とは程遠い、俺は死ぬまでやり続ける、あきらめないぞ、とでも言いたげな精悍な顔つきである。以前に中世学者のル・ゴフ (ルヴェルと同じ1924年生れ) について触れたことがあるが、彼の顔を思い出していた。こういう年寄りの顔を見せ付けられると本当に元気が出てくるから不思議だ。この記事 "Revel L'Homme Libre" 「自由人 ルヴェル」 については、いずれ書いてみたい。

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6 avril 2006 自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (I)REVEL L'HOMME LIBRE
7 avril 2006 自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (II)REVEL L'HOMME LIBRE


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曽我蕭白 SHOHAKU SOGA - PEINTRE HERETIQUE ET ...

2006-04-02 10:23:51 | 日本の画家

昨晩もNHK-BS2 「天才画家の肖像・曽我蕭白(しょうはく)」 を見る。途中他の番組に切り替えられたが、二日続けて日本美術との出会いとなった。

曽我蕭白 (1730-1781) 

京都に生まれ、17歳までに兄、両親が亡くなる。昨日の円山応挙 (1733-1795)伊藤若冲 (1716-1800)池大雅 (1723-1776) などと同時代人。当時の画壇の流れは正統な様式を重んじるものであったが、奇想、異端、無頼などと評される個性で特異な世界を構築する。

どうも彼のような人 - 正統、主流というところからは距離を置き、タブーをも犯しながら大それたことをやってしまうような人 - に惹かれるところがあるようだ。同時代人からも邪道扱い、怪しいやつと思われていて、おそらくその評価が戦後まで続いていたのだろう。日本よりは海外でまず評価された後、日本でもその地位が確立されるというありがちな経過をとった。

「雲竜図」 (ボストン美術館所蔵)

この絵は途方もない構図で奇想天外の美を表現している。円山応挙とは同時代だが、構図の大胆さが全く違う (蕭白自身、応挙には相当の対抗心を持っていたようだ)。この絵はどこかの襖絵だったものを切り取ったと考えられ、辻惟雄氏がその場所を特定しようとしていた。絵のサイズから考えて、その絵が収まるお寺を探すという手法であるが、結局見つからず。ただ伊勢市の中山寺(ちゅうざんじ)に襖絵を再現する試みをする。

絵が収まった部屋に身を置き、その野放図で自由な絵の前で、ヒックマンというボストン美術館の学芸員だった人が、彼の絵を一度見ると忘れられないと言っていた。話はずれるが、ヒックマン氏は美術館をすでに退職、今でも自宅で研究を続けているところが紹介されていた。その様子を見て、こういう生活もなかなかよいものだな、などと考えていた。また、この美術館の近くに2年も住んでいたのに入ったことはないように記憶している。もったいないことをしたものだとは思うが、後悔はない。当時はそれどころではなかったと言うことだろう。

最後に、50歳の時の絵 (題名は失念) が紹介されていた。獅子が深い谷を渡るが、崖の上からまっさかさまに落ちている獅子もいる、という動感溢れる絵である。生存競争の厳しさを言いたいのか、その意味するところは未だ不明である。この絵の2年後、京都で亡くなる。

雪山童子図
群仙図屏風
松に孔雀図」 など

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円山応挙 OKYO MARUYAMA - ESPRIT DE LA RENAISSANCE

2006-04-01 10:30:07 | 日本の画家

昨日の夜、NHK-BS2 で 「からくり絵師 円山応挙」 という番組を見る。聳えるような人物として名前だけは聞いていたが、どんな作品を描いているのかは知らない。案内人の与謝蕪村 (1716-1784) の人間味ある語りで、応挙がわれわれの地平に降りてきて、共感が湧いてくる。自分の目を愚直に信じ、絵に革新をもたらした63年の人生に引き込まれていた。

円山応挙 (1733 享保18年 - 1795 寛政7年)

京都亀岡の農家の生まれ、子供の時から絵を描き始め、その頃の絵馬も残っているという。

20代、不思議な絵との出会いが彼を変える。その絵は 「めがね絵」 と言う。凸レンズの付いた窓から中を見る 「覗きカラクリ」 という箱の中に入れて、自分の世界として楽しむもので、詳細に描かれた異国の風景が入っていた。彼はそれを日本風にアレンジし、独自のめがね絵を描く。遠近法を取り入れ、臨場感を増した三十三間堂、祇園祭、四条大橋、夜の五条大橋 (絵に穴を開け、夜の明かりが点る様を表す工夫までしている) などを箱の中に閉じ込め、都の旅ができる仕掛けである。

30歳を過ぎてから、琵琶湖ほとりの三井寺円満院に通う。そこの坊主が趣味人。この時期に自分自身の目でものを見ることを重視し、新物を臨写する 「新図」 という画風を確立する。これは伝統 (様式) を重んじる当時の画壇に抗ったものであった。

彼の 「写生図鑑」 (国宝) を見るとその凄さがわかる。猿、ねずみ、花、果物、鳥など万物を詳しく描いている。時には遠眼鏡も使っていたようだ。「写生雑録帖」にも見て取れる。

ミケランジェロの修復に携わったことのあるロンドン在住のオランダ人が、応挙はルネサンス精神に通じる近代的な精神の持ち主であったことを指摘していた。ダ・ビンチは 「模倣ではなく、自然を忠実に写すこと」 が大切であると言っているが、応挙はまさにこの精神の持ち主であった、と。

応挙39歳の作、「牡丹孔雀図」 の羽根の描写なども、今にもそこから飛び出してきそうなほど素晴らしい。 彼の写生は実在しないものについても徹底していた。竜の絵の依頼を受けた時には、文献を調べるだけではなく、「竜の手」 を秘宝として持っている寺に出かけては写生をしている。それは 「雲竜図」 (重要文化財) に結実。応挙41歳。

庭に滝がない円満院の住職から滝の絵を頼まれ、「大瀑布図」 を40歳で完成させる。この絵は3m60cmに及ぶため、下が畳に置かれるようになる。そのため、上から見ると下が滝つぼのように見え、下から見るとこちらに滝が流れてくるように見えるという 「からくり絵」 になっている。お客さんを喜ばそうという精神がここにも感じ取ることができる。

彼はまた書筆とは別に絵筆を独特のものとして作らせていた。やわらかい狸の毛に馬の硬い毛を少し混ぜたもので、その筆で描くとより人間が出るという。

「雨竹風竹図」 (重要文化財)
雨に打たれる竹の葉、風に吹かれる竹だが、雨は見えない、風は見えない。描かざる写実を始める。自然の一場面を切り取った応挙44歳の素晴らしい作品である。

「雪松図」 (国宝)
たっぷりと雪をかぶった松が金を背景に描かれる。静かなやわらかな景色。写実を極めたと言われる作品で、大きな世界に繋がるようだ。応挙54歳。


50歳を超え、人生を賭けた仕事に取り掛かる。兵庫県大乗寺の13室、165枚の襖絵を弟子とともに製作。彼はその中の3室を受け持つ。

郭子儀の間 (1787年)
15人の子宝に恵まれたと言われる郭子儀と子供が無邪気に、天真爛漫、奔放に描かれていてなかなかよい。希望も感じる。

山水の間 (1787年)
静寂を極めた理想郷。隅には険しい山、そこから流れる水が畳に流れ込むように描かれている。畳を大海原として見立てているようだ。実際にその部屋に身を置くと理想郷にいるような、そんな気がしてくるのだろう。

孔雀の間 (1795年)
三番目の襖絵製作を京都で始めるが、天明の大火で灰と化す。結局、完成までに8年を費やす。25畳の部屋に松と孔雀を描く。部屋の奥には頭上に十一面の阿弥陀如来十一面観音。この部屋を死者が出向く阿弥陀浄土に見立てている。阿弥陀を見るために襖を開けると、他の絵と繋がり新たな景色が現れるように工夫されている。最後のからくり絵であった。この頃、痛風や目を患い歩くこともままならなくなっていた。この絵を完成させた3ヶ月後、京都で亡くなる。

番組の最後で、案内人蕪村が応挙との合作(絵に句が添えられている)を手に持ちながら、応挙は絵で人を喜ばせたいと考えていた、絵に誠を尽くした一生だったとまとめていた。


<紹介されていた蕪村の句>

春の海 ひねもすのたり のたりかな

筆注ぐ 応挙が鉢に 氷哉

雪つみて 風なくなりて 松の風

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