フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

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自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (II) REVEL L'HOMME LIBRE

2006-04-07 21:53:43 | 自由人

昨日、ルヴェルの本をネットでサーフしていて、あれっと思った。こういう驚きはいつも楽しくなる。上の写真は "Pourquoi des philosophes" が収められている論文集の表紙だが、この写真に見覚えがあったのだ。

もう4‐5年前から、その時々に気になった芸術家 (作家、画家、音楽家、哲学者、歴史学者、科学者、なぜか政治家、俳優など、言ってしまえば興味深い人間ということになるのか) やその作品を画像で私のパワーポイントに取り込み、Arts あるいは Artists と名づけたファイルで保存している。

昨日 Amazon.fr を見て、この表紙をファイルしたことを思い出したのだ。どういう経緯でそこに入れたのか、今となっては思い出せないが、おそらく誰かの文章で紹介されたのを見て興味を持ったものと思われる。このファイルはごみ箱のようなもので (中の方には失礼だが)、入れた途端に忘れてしまうようだ。このようにその箱から蘇ってくれると嬉しくなる。

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さて、Le Point から再び彼の声を聞いてみたい。

LP: イデオロギーは現実に道を譲らなければならないのか?
 (Faut-il que l'idéologie cède le pas à la réalité ?)

JFR: パロス生まれのアーシロック (Archiloque de Paros; 712-664 av. J.-C.) が 「狐はいろんなことを知っている。ハリネズミはただ一つのことしか知らない、ただし重要なことを。」 ということを言っている。私はハリネズミに近い。私のもっとも深いところにある確信は、人の運命は情報の正確さ、誤りによって決まるというもの。それはこれまで教師、エッセイスト、編集者 (雑誌 L'Express の責任者を 1966-1981年の15年間勤める) の経験から培われ、確固たるものになった。

ただ、なぜ人は (個人、団体、政府すべてのレベルで) もっとも手に入りやすい真実ではなく、しばしば彼らのためにならない誤りや嘘を好むのか、という問題に常に直面した。この問題は "La connaissance inutile" 「無益な知識」 で論じている。

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[私語]
マスコミを見ていつも感じていることは、どうしてこうもふわふわした情報と議論に終始しているのだろうか、ということ。問題の在り処を示すような番組をほとんど見たことがない。そして何か過ちがあると、これから気をつけなければ、反省して出直さなければならないとその場をしのぎ、また同じことを繰り返す。ルヴェルさんの認識に立つとよく理解できる。要するに、人間とは真実など欲していないのだ、正しい判断であろうとなかろうとどうでもいいと思っている生き物なのだ、ということになる。人の求めるところに依存するマスコミにあっては、当然の内容ということになる。
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1997年に自伝的作品 "Le voleur dans la maison vide" (「空き巣」 ?) を発表、アカデミー・フランセーズの会員に選ばれる。プラトンは常に問題を引き起こした。アカデミーにいるということは、型にはまるということ (conformiste) ではない、この8年ほど常に流れに逆らってきた。彼はそこにこそ真実があると考えている。

事実を正確に捉え、的確に解釈する。そのためには言葉が重要。アカデミーはそこでも重要な役割をしている。フランス語が乱れていると認めることは、必ずしも保守的な考えを意味するものではない。外国語が入ってくることは、正確に使いさえすればむしろフランス語を豊かにする。同じことが知識の増加に伴い新しい言葉を使う時にも言える。ただフランス語を駄目にするのは、アングロサクソンではなくフランス人である。怠慢や無知によって。

2002年に "L'obsession anti-américaine" (邦題は 「インチキな反米主義者、マヌケな親米主義者」 となっているが、売らんかなの印象が拭えず全くいただけない) を出版してから一冊も発表していない。82歳になり、老化についても考えなければならなくなる。体は今まで通りとは行かない。知的活動については、これまで誇りに思っていた記憶力も衰え始めている。しかし、しかし、記憶力は知性とは何の関係もない、モンテーニュの記憶力もひどいものだった、問題を感じない、と言っている。

ただ、老年になるとすべてがゆっくりとしてくる。老年期に満足を与えるものを見つけ出した古代人の知恵へ導かれるようだ。キケロ (Cicéron, 106-43 av. J.-C.) が 「老年について "De la veillesse"」 カトー (Caton, 234-149 av. J.-C.) に語らせたように。
 
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やはり年寄りの話は聞くものである。


自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (I) REVEL L'HOMME LIBRE
(6 avril 2006)
二巨星逝く DEUX GEANTS SONT MORTS (2 mai 2006)

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