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自由人ジャン・フランソワ・ルヴェル (I) REVEL L'HOMME LIBRE

2006-04-06 21:16:05 | 自由人

今週の Le Point に出ていたインタビュー記事について先日触れた。その人は、もう少しで半世紀のキャリアを迎える今最も重要な思想家として紹介されている。数回に分けて読んでみたい。

ジャン・フランソワ・ルヴェル Jean-François Revel (1924 - )

マルセイユに Jean-François Ricard として生まれる。1957年 (32歳) に最初の作品 "Pourquoi des philosophes ?" (なぜ哲学者か?) を発表する時に Jean-François Revel という偽名を使う。それはパリ1区にあったレストラン Chez Revel から採った。そこに一緒に顔を出していた友人の勧めで。イニシャルも変わらないので丁度よかったとのこと。

30年ほど前に発表した "Descartes inutile et incertain" (無益にして不確実なるデカルト) において、哲学の死を論じている。18世紀の終わりのカントの時代から哲学はその歴史的役割を終え、真の知識は神話の世界から科学へ移り、哲学は文学の領域に入ってきた。彼自身も自分を哲学者ではなく作家として定義している。

哲学者はもはや職業でも身分でもない。ソクラテスが語り、モンテーニュがやったように、精神を完全に自由な状態に置き熟考する人は誰でも哲学者となる。デカルトやヘーゲルのように体系化されている人よりも、より哲学者に見えるとルヴェルは語っている。

彼は若い時の6年間 (26-32歳) をメキシコ、フィレンツェで先生として過ごす。その過程で、土地の言葉を学び、異文化の中に身を置き、外から物を見ることを学び (パリ中心主義 parisianisme から逃れ)、考えるということ、そして特別な感受性を身に付ける。このような経験が 「精神を開くこと」 (une ouverture d'esprit) につながったという (余談だが、この言葉は非常に好きな言葉になっている)。

  (歴史のある町や世界の中心を誇る町では parisianisme に似たものがあり、それはしばしば英語で言うところの parochialism* に陥りやすいことは私自身も体験しているので、彼の言うことは100%同意できる。)

この6年間にラテンに対する嗜好が生まれ、イタリア、スペイン、ポルトガル、南アメリカは今や彼のお好みの国になっている。またこの重要な時期に海外にいたことで、共産主義を免れることができたと振り返っている。

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*フランス語で paroissial 小教区の、という形容詞はあるがその名詞はないようで、むしろ esprit de clocher という表現がこの英語に対応しているのだろうか?どなたかご教示いただければ幸いです。


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コメント (2)
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