帰りに本屋に立ち寄る。俳句の棚の前にいた。作り方を書いた本を眺める。最近の本は読者に媚びるような感じがあったり、無理矢理やさしく書いてあったりするので、今ひとつぴんと来ない(テレビでも本でもこの傾向が強いが、その必要はあるのだろうか)。そんな中、水原秋櫻子 (1892-1981) の 「俳句のつくり方 ― 初歩から完成まで」 を読んでみると、著者の考えがきりりと立ち上り、よいのである。
季節の移ろいに目が行くようになると俳句の世界だというようなことがあった。その教えの中には、俳句の雑誌に投稿する場合、滑り止めを兼ねて同じ句を複数の雑誌に出すようなことはすべきではない、駄目であってもじっくりと臨むべきである。同じ句が違う雑誌に出ているのを見ると、その作者の心の中が見え、そのような人は以後省みられなくなるだろう、と言っている。
また、芭蕉 (1644-1694)、蕪村 (1716-1784)、子規 (1867-1902) は基本中の基本で絶対に避けて通れない。その順にやさしくなるので、やさしい方から子規、蕪村、芭蕉と読み進むのがよいとのこと。近くにあった岩波文庫を探すと、萩原朔太郎 (1886-1942) による蕪村と芭蕉論の入った 「郷愁の詩人 与謝蕪村」 が見つかった。「子規句集」 と一緒に仕入れる。
朔太郎の詩は昔よく読んだが、この文章もなかなか味がある。特に、彼の好き嫌いがはっきり書かれ、年齢による嗜好の変化も素直に認めているところが何とも面白い。
--------------------------
「僕は生来、俳句と言うものに深い興味を持たなかった。興味を持たないというよりは、趣味的に俳句を毛嫌いしていたのである。何故かというに、俳句の一般的特色として考えられる、あの枯淡とか、寂とか、風流とかいう心境が、僕には甚だ遠いものであり、趣味的にも気質的にも、容易に馴染めなかったからである。」
「しかし僕も、最近漸く老年に近くなってから、東洋風の枯淡趣味というものが解って来た。あるいは少しく解りかけて来たように思われる。そして同時に、芭蕉などの特殊な妙味も解って来た。昔は芥川君と芭蕉論を闘わし、一も二もなくやッつけてしまったのだが、今では僕も芭蕉ファンの一人であり、或る点で蕪村よりも好きである。年齢と共に、今後の僕は、益々芭蕉に深くひき込まれて来るような感じがする。日本に生まれて、米の飯を五十年も長く食っていたら、自然にそうなって来るのが本当なのだろう。僕としてはなんだか寂しいような、悲しいような、やるせなく捨鉢になったような思いがする。」
--------------------------
全く同感である。俳句を味わおうなどという時間のかかることはやってられない、趣味的に俳句をやるなどということは気色?悪くて、気恥ずかしくてやってられない、という領域であった。しかし、少し変化が起こっているようにも感じられる。
俳句嫌いの若き朔太郎の唯一の例外が蕪村で、その 「詩趣を感得することが出来た」 ため好きだったようだ。蕪村の特異性は、まず 「浪漫的の青春性に富んでいる」 ため、「どこか奈良朝時代の万葉歌境と共通するもの」 があり、色彩に富み西洋絵画を髣髴とさせるため、特に侘び寂びを解さなくとも理解できるとある。
「即ち一言にして言えば、蕪村の俳句は 『若い』 のである。・・・この場合に 『若い』 と言うのは、人間の詩情に本質している、一の本然的な、浪漫的な、自由主義的な情感的青春性を指しているのである。」
文章の流れがよく、主張もしっかり出ていて読んでいて気持ちがよくなる。これを入門書として少し読み進みたい。