フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

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曽我蕭白 SHOHAKU SOGA - PEINTRE HERETIQUE ET ...

2006-04-02 10:23:51 | 日本の画家

昨晩もNHK-BS2 「天才画家の肖像・曽我蕭白(しょうはく)」 を見る。途中他の番組に切り替えられたが、二日続けて日本美術との出会いとなった。

曽我蕭白 (1730-1781) 

京都に生まれ、17歳までに兄、両親が亡くなる。昨日の円山応挙 (1733-1795)伊藤若冲 (1716-1800)池大雅 (1723-1776) などと同時代人。当時の画壇の流れは正統な様式を重んじるものであったが、奇想、異端、無頼などと評される個性で特異な世界を構築する。

どうも彼のような人 - 正統、主流というところからは距離を置き、タブーをも犯しながら大それたことをやってしまうような人 - に惹かれるところがあるようだ。同時代人からも邪道扱い、怪しいやつと思われていて、おそらくその評価が戦後まで続いていたのだろう。日本よりは海外でまず評価された後、日本でもその地位が確立されるというありがちな経過をとった。

「雲竜図」 (ボストン美術館所蔵)

この絵は途方もない構図で奇想天外の美を表現している。円山応挙とは同時代だが、構図の大胆さが全く違う (蕭白自身、応挙には相当の対抗心を持っていたようだ)。この絵はどこかの襖絵だったものを切り取ったと考えられ、辻惟雄氏がその場所を特定しようとしていた。絵のサイズから考えて、その絵が収まるお寺を探すという手法であるが、結局見つからず。ただ伊勢市の中山寺(ちゅうざんじ)に襖絵を再現する試みをする。

絵が収まった部屋に身を置き、その野放図で自由な絵の前で、ヒックマンというボストン美術館の学芸員だった人が、彼の絵を一度見ると忘れられないと言っていた。話はずれるが、ヒックマン氏は美術館をすでに退職、今でも自宅で研究を続けているところが紹介されていた。その様子を見て、こういう生活もなかなかよいものだな、などと考えていた。また、この美術館の近くに2年も住んでいたのに入ったことはないように記憶している。もったいないことをしたものだとは思うが、後悔はない。当時はそれどころではなかったと言うことだろう。

最後に、50歳の時の絵 (題名は失念) が紹介されていた。獅子が深い谷を渡るが、崖の上からまっさかさまに落ちている獅子もいる、という動感溢れる絵である。生存競争の厳しさを言いたいのか、その意味するところは未だ不明である。この絵の2年後、京都で亡くなる。

雪山童子図
群仙図屏風
松に孔雀図」 など

コメント
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