パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

親不孝

2020年01月13日 | Weblog
1月13日(月)成人の日 晴れ

金曜日に東京に帰ってきた。
帰省中に、父の入院する病院へ行ってみて、父の痴呆症の進みに少しショックを受け、でも、それも仕方のないことと諦めの境地に達していることも否定しない。
ただただ預かってくださる病院があることがありがたいと思うのは、絶対ワタクシには自宅介護できないとわかりきっているから。
老々介護が背景にある事件が起きるたびに同情するし、その報道の仕方にどこか「自宅介護していた犯人を弁護するニオイ」を感じては
だからいつまで経ってもこういう事件が続くんだよっっと悪態を吐くし
幸せそうな「痴呆症のおばあちゃん」とその家族、という番組には心の何処かで「本当だろうか。育てやすい赤ちゃんとそうでない赤ちゃんがいるように、
穏やかな痴呆老人とそうでない痴呆老人がいて、遺伝的にそういう穏やかな痴呆老人の子供達はまた穏やかな性格で、介護がうまくいくというパターンなのだろうか。
その点、キレやすい性格だった父を、さらにキレやすい娘のワタクシが介護するとなると恐ろしいことになるのは目に見えているなあなんて思ったり。

NHKの「認知症の第一人者が認知症になった」を見た。
認知症治療の第一人者だった長谷川先生が、自分が推奨した「デイサービス」に行くことになりホントにつまらなそうに、イヤそうに、過ごされ、
辞めてしまわれる。
娘のまりさんが「お父さんが聖マリアンナで作ったものでしょ?介護する家族のために!」と少し責めると
悲しそうな顔をされながらも「僕はあそこでは孤独なんだ」
奥様の瑞子さん、上品でお綺麗で、でもすっかり腰が曲がってしまわれ、日々介護はきつかろう。
そんな母を思うまりさんに先生が「僕が死んだらみんなホッとするだろう」
講演会の手伝いから散歩など日々介護しているまりさんに不意に「瑞子さん!」と声をかける先生。
まりさんが悲鳴のように「パパっっっ!ホントに?ホントにわからないの、あたしはだれ?」としつこく聞き続けて、やっと「あ、まりだったな」

父のお見舞いに行き「お父さん!東京から帰ってきたよ。わかる?」と聞いても
「はい。ありがとうございます。」
n「いやいや、お礼じゃなくてさ!あたし、誰かわかる?」
「・・・・・」
昔話なら覚えているかもと、60年も前の話を母がすると、父は声を立てて大笑いし「あんたはよく覚えているねえ〜」と母を褒めちぎる。
父の中で、母は存在しているが娘はもう存在していない。
これがとても不思議な気がする。うん、ショックというより、不思議。
父は兄よりワタクシをベタ可愛がりしていた。
兄のことは忘れてもワタクシのことは忘れないだろうと思っていたが、あっさり忘れられている。
母のことは覚えている。
自分もそうだろうか。
子より伴侶なのだろうか。
ワタクシ、夫のことは忘れられても(・・・・・)娘のことを忘れるわけがない、と思ってしまう。
まあ、ワタクシは東京にいてしょっちゅう会えなかったもんねと自分に言い聞かせていたが、
この、長谷川先生の「瑞子!」を聞いて、え〜〜〜っ!?と思った。
まりさんは、おそらく奥様の瑞子さんより、先生と一緒に行動してお世話されてると思うのだが、それでも妻の名はすぐ出てくるのか!!と衝撃だった。
いや、この、名前を覚えていたり、顔を覚えていたりするのが、大事だった順番というわけではないのだということも以前別の医療系番組で見た気もする。
ただ、つい数日前に自分が経験してショックだったことを、また思い出すような場面だったのでひどくまりさんに同情してしまった。
まあ、強い彼女は、笑い飛ばしていたけど。

父の座る車椅子を押しながら「また来るからね」と言ったら「気をつけて帰れよ」と言う口調が昔のそれだったのが唯一の救い。
コメント
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