パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

お誕生日の過ごし方

2011年07月12日 | からだのこと
7月12日(火)快晴

先日、7月10日の日曜日は、ワタクシ47歳のお誕生日でありました。
おめでとーーー。
47回目のお誕生日を、ワタクシがどこで迎えたかと申しますと・・・
『白い巨塔』・・・そう!病院であります。
詳細はこれからだらだらと数日に渡り日記に書き記すつもりでありますが、
その前に一言。
ワタクシ、今回生まれ変わりました。(・・・何度目かねえ~なんて言わないでね)
ホントにホントに生まれ変わったのです。
目指すは『生き仏』です(・・・・・)
よって『ダラダラ』をお好みのマニアな方用には今迄どうりお楽しみいただくとして、
「ったく、この人の日記って、散々だらだら読ませたあげくにオチがつまらんっ!」という感想をお持ちだった『いらち』な方のために、
とりあえず結論っつーか、そんなことを先に述べておきましょう。
ね、変わったでしょ?ワタクシ。
おまけに、結構今回は衝撃的ですよ。
話がちゃんと「オチ」ますよ。
ぢつは、ワタクシ、『肺がん』だったのですっ!!!
衝撃でしょ?
乳がんの手術から5年が過ぎ、主治医のK田Dr.からも「もう大丈夫!」と言われたのは昨年秋。
すっかり安心して、落ち着いた日々を過ごしていたのに・・・
まさに『がーーーーん』ですよ(←これ、夫のスケジュール帳にも書いてあった。
がん患者の76%が使うフレーズだと思う。)
幸い、乳がんからの転移ではなく、単発性のものだったということは嬉しいことでした。
肺って、ワタクシこの年になる迄、右と左、二つの部屋だと思っとりましたが、
右が3部屋、左が2部屋の5部屋あるんですねえ~
余談ですが、この数日で、夫は肺の絵をとても上手に描けるようになりました。
それで、ワタクシの場合、左の上部の部屋に腫瘍があり、これもろともざっくり一部屋を切除致しました。
今は、内視鏡で見ながら、特殊な器具で切り取るらしく、背中の傷は8センチほどです。
昔はもっと大きく、ざっくり切ってたらしく、ホント医学の進歩に感謝です。
おまけに、4段階だったかな?それくらいあるステージで、一番初期の状態。
ここだけ、「抗がん剤治療」の必要なし!なの。これも嬉しい。
あ、入院したのが4日で、手術が翌日。
2日ほど、苦しくてウンウンうなってましたが、金曜日には、全ての管が体から取れて楽になり
一人で院内のコンビニやタリーズに行ったりしてました。
そして、誕生日の日には、面会時間一杯(PM1:00~PM8:00 )夫と娘が狭い病室にずっといてくれました。
そういう意味では、一番家族感を感じた誕生日だったな。
別に何か語り合うでもなく、娘はワタクシとベッドに寝そべり、
夫はイスに座り静かに日記を書いたり本を読んだり。
たまに、「イチはどうしてる?」とか「快気祝いに銀寿司に行きたい」とか「あたしの古典のテストの点数すごいよ!」とか、
「この近辺のことは、君よりオレの方が詳しい」とか、そんな話をしたりしてました。
そして、夕方早めの夕食が運ばれてきて・・・
なんと!!!ケーキがついてるのです。
そして、「お誕生日おめでとう」メッセージも。
めちゃテンションあがりますね、こういうことしてもらうと。
そして、その翌日の昨日、無事に退院してまいりました。
ずいぶんとブログの更新をさぼりました。
少しは「あれ?どうしたんだろ」って思い出してもらってたかなあ。
今日からまた、怒濤の更新が始まりますので、是非読んでくださいね。
コメントもいただけたら嬉しいです。
どんな辛口でもかまいませんよ、なんせ「目指せ生き仏」ですから・・・

もうしばらく、生き長らえそうですので、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます・・・って、結局、長文日記になっちゃった。
コメント (10)
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