こんにちは!今日は26歳で癌にかかってしまった、20代の少年を通して、人生を哲学したいと思います。
ちょっと長いですが、心静かに読んでもらえればと思います。
『がんと向き合って』 上野 創
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がんの告知を受けたあと、病院内を歩き回って次々と血液や心電図などの検
査を受けた。
いちいち「いま、冷静か」と自問していた。それ自体、混乱している証拠だ
った。夢の中をふらふらしてさまよっているような気分だった。自分の身に現
実に起きていることとは、とても思えない。
廊下のいすで名前を呼ばれるのを待つ人々は、
みな疲れ切っているように見えた。
空気は重い。自分とは無縁の空間のはずだ。
「おれが癌?
二十六歳の自分が?
おとといはサッカーで走り回っていたのに……」
診療前の待合室でアンケートを書かされたことを思い出した。
バインダーの上の用紙には、
「重大な病気だった場合、どうしてほしいですか」
という質問項目があった。
「自分で受け止めないでどうするの」と思いながら、
当然のように「本人に」という欄にマルをした。
軽いタッチのマルだった。
東京都府中市の実家にも電話を入れた。
「あさって手術する」と言うと、母は一瞬絶句し、
「どういうこと」と鋭く言った。
衝撃をどうにか冷静に受け止めようとしている母の空気が伝わってきた。
母の日常をも大きく揺さぶっていることが、申し訳なかった。
ただ、自分以外の人間と話したことで、
現実に自分が手術を受けるのだという感覚になった。
同時に、手術後への不安もじわっとせりあがってきた。
「おれはどうなる……」
-----------------------------------------
「自由」を意識することも、その価値を考えることもなく過ごしていた。
「浪費」という言葉がぴったり合うような気がした。
健康や時間、季節についても、雑に扱っていたと悔いた。
そうした大切なものの大切さが、失うときに初めて分かるとは皮肉なものだ。
しかし、大切でないものを削って削って、最後に僕に残るものってなんだろう。
そんなことを思いながら、女子高生のにぎやかな声があふれる店のカウンタ
ーから、暗くなっていく窓の外を眺めていた。
--------------------------------------------
あと三年間は「レッドゾーン」だ。
再発を告げる携帯電話は、いつ鳴ってもおかしくない。
その不安をひっくるめて僕の人生なのだと、いつも考える。
忘れようとか、完治したことをひたすら信じようとかではなく、
がんと、自分と向き合いたいと思う。
いつか死ぬという現実をときどき意識することは、何が大切なの
かを考えることにつながるから・・・・。
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ここでは考えたいのは癌のみではなく、「死」という問題。
どんな食生活が病気にならないか、
遺伝子組み換え食品は安全か、
環境ホルモンの汚染は大丈夫か、
テレビでも雑誌でもさかんに取り上げられています。
風邪だと言われても驚きませんが、
「ガンだ」「エイズだ」となると大騒ぎです。
それらは死に至るからでしょう。
戦争にしてもそう。
大きな問題の根っこには必ずといっていいほど
「死」の大問題がある。
しかも、100%確実な未来であり、今日とも明日とも知れない。
「老少不定」(ろうしょうふじょう)といって、
死んでいく順番は年老いた順とは定まっていない。
もし癌にかかった上野さんのことを「これは大変だ」と
思われたら、自分自身がその大変な状態に、実はあるんですね。
僕の生きる道(8話)にこんな印象的なシーンがありました。
余命1年とわかっている中村先生(草なぎ剛)と
自分の娘(矢田亜希子)が結婚すると聞いて
父親(大杉漣)が
「何で死ぬとわかっている男と結婚なんかするんだよ!」
と叫ぶ。
それに対して娘(矢田亜矢子)が
「死ぬとわかっている男はすべての男よ」
としずかに答える。
実は結婚を反対している本人も「死ぬとわかっている男」
なわけです。
会話の中で「いつ死ぬかわかりません」と聞いても、
「それはそうですね」と答えます。
ところが、病院で全く同じことを言われると
「え!何かの間違いじゃないですか!」「嘘でしょう!」
「悪い冗談でしょう!!」
「誰かの診断書と間違えていないですか!」
「なぜ僕が死ななければならないんですか!」
となるのでは。
結局、分かっているようで、分かっていないのが、
自分の死。
「死」について考えても、しらずしらず「自分の死」を
「誰かの死」におきかえているのかも知れません。
これを「自分の死」と正しく見ることが、
上野さんが言うように
いつか死ぬという現実をときどき意識することは、
何が大切なのかを考えることにつながる。
のです。
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『がんと向き合って』 上野 創
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がんの告知を受けたあと、病院内を歩き回って次々と血液や心電図などの検
査を受けた。
いちいち「いま、冷静か」と自問していた。それ自体、混乱している証拠だ
った。夢の中をふらふらしてさまよっているような気分だった。自分の身に現
実に起きていることとは、とても思えない。
廊下のいすで名前を呼ばれるのを待つ人々は、
みな疲れ切っているように見えた。
空気は重い。自分とは無縁の空間のはずだ。
「おれが癌?
二十六歳の自分が?
おとといはサッカーで走り回っていたのに……」
診療前の待合室でアンケートを書かされたことを思い出した。
バインダーの上の用紙には、
「重大な病気だった場合、どうしてほしいですか」
という質問項目があった。
「自分で受け止めないでどうするの」と思いながら、
当然のように「本人に」という欄にマルをした。
軽いタッチのマルだった。
東京都府中市の実家にも電話を入れた。
「あさって手術する」と言うと、母は一瞬絶句し、
「どういうこと」と鋭く言った。
衝撃をどうにか冷静に受け止めようとしている母の空気が伝わってきた。
母の日常をも大きく揺さぶっていることが、申し訳なかった。
ただ、自分以外の人間と話したことで、
現実に自分が手術を受けるのだという感覚になった。
同時に、手術後への不安もじわっとせりあがってきた。
「おれはどうなる……」
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「自由」を意識することも、その価値を考えることもなく過ごしていた。
「浪費」という言葉がぴったり合うような気がした。
健康や時間、季節についても、雑に扱っていたと悔いた。
そうした大切なものの大切さが、失うときに初めて分かるとは皮肉なものだ。
しかし、大切でないものを削って削って、最後に僕に残るものってなんだろう。
そんなことを思いながら、女子高生のにぎやかな声があふれる店のカウンタ
ーから、暗くなっていく窓の外を眺めていた。
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あと三年間は「レッドゾーン」だ。
再発を告げる携帯電話は、いつ鳴ってもおかしくない。
その不安をひっくるめて僕の人生なのだと、いつも考える。
忘れようとか、完治したことをひたすら信じようとかではなく、
がんと、自分と向き合いたいと思う。
いつか死ぬという現実をときどき意識することは、何が大切なの
かを考えることにつながるから・・・・。
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ここでは考えたいのは癌のみではなく、「死」という問題。
どんな食生活が病気にならないか、
遺伝子組み換え食品は安全か、
環境ホルモンの汚染は大丈夫か、
テレビでも雑誌でもさかんに取り上げられています。
風邪だと言われても驚きませんが、
「ガンだ」「エイズだ」となると大騒ぎです。
それらは死に至るからでしょう。
戦争にしてもそう。
大きな問題の根っこには必ずといっていいほど
「死」の大問題がある。
しかも、100%確実な未来であり、今日とも明日とも知れない。
「老少不定」(ろうしょうふじょう)といって、
死んでいく順番は年老いた順とは定まっていない。
もし癌にかかった上野さんのことを「これは大変だ」と
思われたら、自分自身がその大変な状態に、実はあるんですね。
僕の生きる道(8話)にこんな印象的なシーンがありました。
余命1年とわかっている中村先生(草なぎ剛)と
自分の娘(矢田亜希子)が結婚すると聞いて
父親(大杉漣)が
「何で死ぬとわかっている男と結婚なんかするんだよ!」
と叫ぶ。
それに対して娘(矢田亜矢子)が
「死ぬとわかっている男はすべての男よ」
としずかに答える。
実は結婚を反対している本人も「死ぬとわかっている男」
なわけです。
会話の中で「いつ死ぬかわかりません」と聞いても、
「それはそうですね」と答えます。
ところが、病院で全く同じことを言われると
「え!何かの間違いじゃないですか!」「嘘でしょう!」
「悪い冗談でしょう!!」
「誰かの診断書と間違えていないですか!」
「なぜ僕が死ななければならないんですか!」
となるのでは。
結局、分かっているようで、分かっていないのが、
自分の死。
「死」について考えても、しらずしらず「自分の死」を
「誰かの死」におきかえているのかも知れません。
これを「自分の死」と正しく見ることが、
上野さんが言うように
いつか死ぬという現実をときどき意識することは、
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いま死ぬと 思うにすぎし 宝なし 心にしめて 常に忘るな |
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