マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

斎王制度のまとめ

2013年06月30日 07時33分44秒 | ABCDEまとめ
昨晩は深夜までSさんとチャットをしていたので今朝は眠いな。週に一回はブログの更新を・・というのが最低ノルマなので、なんとかがんばってみます。

まず最初は斎王制度について。
斎王制度とは、斎宮と斎院の二つを指し、前者が伊勢神宮で、後者が下鴨神社ということはよく知られている。それらの制度はもうすでに廃止されているように思われているが、実は現在も形を変えて存在している。これは何度も書いてきたことだ。
では、何をするのか? 斎宮は天皇の代わりに祭祀を行い、ついでに天皇の夜のお勤めの相手をする。斎院の仕事は文書の保管であり、外交文書、婚姻の記録などを秘密の保管庫へ保存する、と同時に、皇族方の夜のお相手をする。
まさか?と思うなかれ、
「売春婦の歴史は古い。とはいえ当初は金銭で春を売ったりはせず、宗教的な行為として行われていた。
古代、神に仕える巫女は、神がかりができて神の代言者であると信じられていた。
その一方、男たちは巫女とセックスすることによって神と交流できると考えられていたため、巫女は決して不浄なものではなく、むしろ神聖な存在と思われていたのである。
その結果生まれた子供はみんなで共有して大切に育てられた。」http://satoexe.tumblr.com/post/2696816769
とあるように、神社というのはひょっとするとバビロニアの淫婦のたまり場だったとか・・・?
で、この斎院制度を使って日本を裏から(寝床から)支配してきたのが八咫烏なのである。

さて、下鴨神社には八咫烏が祀られている。
「賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。」

要は、神武天皇の母親のお父さんが主祭神ということである。神話によれば八咫烏が神武を助けたという話である。
そしてこの下鴨神社には糺の森(ただすのもり)があるのだが、もともとは木嶋坐天照御魂神社にあったものが下鴨に移転したのだと。木嶋坐天照御魂神社は言うまでもなく秦氏を祀った神社で、太秦にあり蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。何度も説明している三柱鳥居がここにある。

秦氏三所明神というのがある。http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1050.html
「 秦氏本系帳(はたしほんけいちょう) 」 には、賀茂氏の 「 丹塗り矢伝説 」 とそっくりな物語が記されています。
昔々、秦氏の娘が葛野川で洗濯をしていた。 すると、上流から矢が一本流れてきた。  彼女はそれを持って帰り、戸上に刺しておいた。  やがて、娘はひとりでに懐妊。  男の子を産んだ。  あるとき宴会を開き、秦氏の祖父母が男の子に向かって、父親に酒を飲ませよと言った。  すると、男の子は戸上の矢を指差し、これすなわち雷公といい、そのまま天井をつきぬけて、天に昇っていった。
これにより、鴨上社は別雷神とし、鴨下社は御祖神と称す。  戸上の矢は、松尾大明神である。  以上、これら秦氏三所明神として奉祭(ほうさい)する。  しかして、鴨の氏人は秦氏の婿である。  秦氏は愛する婿のために、鴨祭を譲与する。  今日、鴨氏が禰宜(ねぎ=神官)として奉祭するのは、この縁があるためである。 
これから分かるように、賀茂氏の 「 丹塗り矢伝説 」 と違うのは、玉依姫が秦氏の娘になっている事で、秦氏の娘の婿は火雷神であり、娘婿ゆえ、秦氏は松尾大社を創建して、火雷神を祀ったことになります。  
また、突然に賀茂氏が登場し、賀茂氏は秦氏にとって娘婿で、愛するが故に、それまで秦氏が行ってきた葵祭りを賀茂氏に譲ったとしており、松尾大明神=火雷神が賀茂氏の祭神となります。
そして、 賀茂玉依姫 = 秦玉依姫 であり、やはり、秦氏と賀茂氏は一体であることが分かります。」

これらの資料から見えてくることは、日本を支配した神武を生んだ秦氏とそれを助けたヤタガラス=賀茂氏は区別がつかないということになる。まあ、表裏一体ということか。
彼ら、秦氏と賀茂氏が哲学とするのが陰陽道で、有名な安倍清明は陰陽道の宗家賀茂家で修業したわけだ。当時、陰陽寮という役所が事実上の最高権力を持っていた。安倍清明の五芒星はソロモンの星、九字を切るのがドーマンで、こちらは陽の部分で、六芒星はダビデ紋、十字はキリストで偶数はカバラとなります。

さて、八咫烏(やたからす)は熊野本宮大社が有名だけど、興味深い記事があるので紹介します。http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1046.htmlより
「神武東征の際、天照大神によって遣わされ、熊野国から大和国への道案内をした、3本足の八咫烏ですが、この話は、ギリシア神話とアレキサンダー大王東征の話が伝わってきたものと思われます。 」
 
詳しくはリンク先を見てもらうとして、要は、アレキサンダー大王の神話と神武東征神話がほとんど同じ内容で、同じ派閥の人間が書いたことがわかるのである。アレキサンダー大王に関してはいくつかの史実もあり、これをモデルとして日本の歴史を作る時借用したのだろう。
S氏によればこれらの種族が聖書を作り、古事記を作り、自らの人民支配を正当化しているのだという。さらに、それらはエルサレム教団なのだと・・・。この教団については今後の課題とします。

さて、ついでの話ですが、八咫烏のなかで唯一表に名前を出した人間がいるという。安岡正篤(まさひろ)である。
詳しくはWIKIに出ているが、金鶏会を作った人で、陽明学者。近衛文麿らとともに「国維会」を設立、広田弘毅らの名前も出てくるし、北一輝、大川周明らとのつながりもみられ、さらには玉音放送に加筆したというから皇室の奥深くまで入り込んでいたようである。つまり、八咫烏をなめてはいけないのだ。単なる諜報員ではなく、国家の行く末を左右する位置にいるのである。国民はその正体を知らないし、存在すら気がついていないだけなのである。