マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

木村鷹太郎の世界(神武天皇)

2021年08月22日 15時42分12秒 | 歴史の翻訳
さて、ここ数か月にわたり古代史の研究をしてきて、日本(倭国)とエジプトとの関係が少しずつ明らかになってきました。日本の天皇がエジプト王の中にいたとして一つ解決しておくことがあります。古事記や日本書紀に書かれている神武天皇の真実です。つい先日まで私は神武東征はアレクサンダー大王のペルシャ征伐のことだと思っていました。また、歴代天皇に関しても史実と認めていませんでした。しかし、木村鷹太郎の「日本太古史」を読んでゆくと全く驚きます。世の中には本当にすごい人がいるものです。

私は実を言うと、古事記や日本書紀を最初から偽書と決めつけ、真剣に研究する必要はないと思っていました。ところが木村鷹太郎の著書を読み進めるとすぐに大きな発見が出てまいりました。それは「古事記とギリシャ神話」は同じ内容だという話です。
ギリシャ神話に登場する神のいくつかは聞いたことがある程度で、世の中に古事記に精通し、さらにギリシャ神話も十分知識がある人がいるなら、恐らくそういえばそうだな…と感じるかもしれません。残念ながらこの私は両者とも詳しくなく、簡単にそれを認めるわけにはいかず、神様ひとつづつ調べて行く必要が出てきました。

さて、今日は神武天皇の東征を明らかにしてみましょう。細かな証明はブログの中ではなかなか難しく、単に木村鷹太郎氏の記事から抜き出しとします。引用元は「日本太古小史」です。
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ジブラルタル海峡のアフリカ側は鸕鶿草葺不合尊の陵(陵)ある地なるに考へ、また天皇の妃の名を吾平津姫というに考え、天皇の東征は、このアビラの地(ミューサギ=宮崎)より出発ありしものの如く地中海を東進し、シチリア島の南方マルタ島において海路の手助けとして珍彦(うづひこ)を得給へり。このマルタ海をギリシャ神話は渦即ち「カリブラ」の海といい、古事記はこれを甲斐辨羅(カヒベラ)の神という。
珍彦の珍(うづ)は「渦」と同語であります。使徒ポールの難船伝説はまたこの島におけるものなり。
天皇はさらに東航して北ギリシャの西方アカル・ナニアに上陸したまえり。ナニア、すなわち難波なり。天皇アカル・ナニアより東行し北行し給えり。アカル・ナニヤよりアイトリヤの岸を東行しロクリス・オゾーリス国即ち「毒気国」の山中にて山神の毒気に当たり給ひ、ドーリス国即ち「剣奉献国」にて高倉下(たかくらげ)の剣を天皇に奉献するあり、高倉下とはヘラクレス族の別名なり。烏山(からすやま)の名に八咫烏の古跡を留め、またアイトリヤの吉野に入り伊奈佐即ちイナスの地に転戦し諸方の賊を滅ぼし、アハヤに入り、ナルタキウスなる長髄村、鵈の村に至りて長髄彦を誅し、ついにテッサリヤのクランノンに達し給う。クランノンは橿原を意味する。
・・・・・・・略・・・・・・・
神武天皇より崇神天皇に至るまでは、日本はギリシャにあり、八代の皇都皇陵所在地はギリシャ地圏明らかにこれを私に教える
神武天皇はギリシャに建国し給えり。他に三皇兄の中、五瀬命は長髄彦の矢に薨し給ひしといえど、他の二皇兄のうち一人が海原(イタリア)に入り、他は常世国(エジプト)に入りてその地の大王となりませり。
海原に入りましたところの「稲氷命は新羅の祖なり」とは姓氏録に記せるところ。
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きりがないので今日はこの辺までにしておきます。なにせ大正3年に書かれた本であり、旧字ばかりで非常に読みづらく、疲れますね。
いずれにしても、ここに書かれているのが本当なら、ギリシャ、エジプト、そして新羅が鸕鶿草葺不合尊の子供から始まることになります。日本ってすごいんだと思うのは勝手ですが、あくまでも「日本を支配している倭国(ウバイド)」がすごいのですから、お間違えないよう。
まあ、そんなわけで、しばらくは木村鷹太郎の世界にどっぷりつかることにします。