マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

明治維新の意味とは?

2013年01月04日 08時06分33秒 | 世界の支配者の研究
正月休みで時間があり過ぎて・・・・困ったものだ。で、この際、日本が初めて世界の支配者と出会ったきっかけなどの話をしてみようかと思う。

明治維新はどうして起きたのか?

このあたりの話題は盛り上がる話とは思うが、未だに正確に分析できているかは疑問である。黒船渡来が日本にとって大事件だった事は間違いないことである。だが、それは日本だけしか見えていないことになる。

それまでの三百年間、日本は曲がりなりにも平和な時代を過ごしていた。そして平和ボケとなり、たった四杯で夜も眠れずだったといわれるわけだが、あいにく、日本の情報網はそれほど劣っていたわけではなく、京都から世界中に草が派遣されており、アヘン戦争の詳しい状況やアジア諸国での植民地戦争の内容を日本の支配層は十分に把握していたのだ。
以前少しだけ話をしたが、ジェノバ生まれのキャボットという人がいて、彼は東インド会社のオーナーであるうえ、モスクワ会社も運営していた。彼は明らかにフェニキア発のベネチア商人達(つまりDだね)とは対立していたのだ。ロシアは当時ロシア正教であり、本来の東ローマ帝国の後継を自称していた。そのロシアはモスクワ会社の要求に従い、東アジアに不凍港を求め南下政策をとり、清と条約を結ぼうとしていた。そのロシアと清は黒龍江のあたりで国境を設定することで合意したものの、ロシアにとっては物足りない条約で、さらなる南下を企てていた。(1689年ネルチンスク条約、1858年アイグン条約)
英国やフランスなどのカトリック勢力は上海を拠点とした麻薬貿易で儲けていたが、こちらはスファラディーユダヤが主力であり、いわゆるマセソン商会(ロスチャイルド)などが中心である。こちら側から見て、南下してくるロシアはアッシュケナジーユダヤと見て、大いに脅威を覚えていたのである。さらに新興大国としてアジアに手を伸ばしつつあった米国は日本をクジラ漁の中継地点として自分のものにしようと狙っていた。つまり、鎖国中の日本をBDEの三つの勢力がほぼ同時に目をつけたのである。

何が困ったかといえば、徳川幕府は鴨政府から外交権を授与されていなかったのである。すったもんだの中で、日米和親条約が交されたが、日本の所有者が合意していない中、勝手に幕府は条約に調印してしまったのか?
日本の支配者は古来よりDとの関係が深く、表面上はキリシタン禁止だが、実態はアジア地域でイエズス会とおいしい商売をしていたのである。当然無断でEと条約を結ぶことは認められない。ここで、皇室内部でも深刻な内紛が起きていたと見るべきであろう。
いずれにしてもEと条約を交したことに怒ったD陣営が島津、長州などのキリシタン藩を団結させ、倒幕に動く。

さて、日本には三人の天皇がいて、その中の一人はアーリア系を自称している。つまり、ロシアの南下はアーリア系にとって民族の覚醒を促す恐れも出てくるわけだ。現にそれらが大本教や河豚計画などを計画してゆくわけだから・・・。
ただ、当時、D、Eはそれほど対立しているわけでもなく、幕府側に付いたペリー側はDと全面的に争うつもりはなかったようである。ただし、第一次大戦以降その対立は激しくなり、日本もその真っ只中に放り込まれるのだが・・・。

以前、ペリーに関して書いたことがある・・・ちょっと振り返ると、「一八五三年、ペリー提督による有名な東京湾での武力誇示以来、ペリー家代々の人々は、日本で特別の威光を謳歌してきた。現世代ではグルーの妻、つまりアリス・ペルー・グルーその人だ。提督の可愛い姪っ子なのである。日本語を話し、裕仁の母を初めとして重要な人は誰でも知っていた。父親、トーマス・チージャント・ペルーはボストンの科学者だ。母の名前はキャボット、当時としては社会的に比類ない気高い一族だった。アメリカの詩人、ジョン・ボシディがよく知られている風刺で「豆と鱈の故郷である古きよきボストンで、ローウェルはキャボットに話し、キャボットはただ神にのみ話した。・・・・」(これはYamatodynastyからの引用)
さて、上の方で、ジェノバ生まれのキャボットが出てきたが、そのキャボットはインド産の紅茶をボストンに出荷した側で、その紅茶を海に放り込んだのがボストン・キャボットでまったく派閥が違うのでご注意を。

長々と書いて申し訳ない。このように明治維新はD主導で始まり、その後BDEとの激しい謀略戦を経て、ご破算に願いましての大戦争へ突入するのだ。まあ、その経過は単純じゃないのでまだまだ解析することは多い。ただ、今回お伝えしたかったのは、明治維新が日本の事情ではなく、日本は世界征服を目指している3者の均衡の上に出来上がったということ。このことを頭に入れ、明治維新を学んでいただきたいのだのだ。