マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

今日もだらだらと・・・・

2011年12月18日 08時41分52秒 | ひとりごと
さすが年末、コメントも訪問者も減少気味である。もっとも、読者が寄ってくるような記事を書いていないところに原因があるのだが・・・・。
まずは近況報告です。 
ここのところコーヒーの焙煎機のメインテナンスに忙しかった。なにせ焙煎時の釜の温度はアイスの場合特に高く、最高250度に達する。だから焙煎機の内部、そして煙突の清掃を怠ると火事の危険性もあるのだ。
と言いながら、忙しさにかまけ十分な清掃が出来ていなかった。で、今回還暦記念焙煎と銘打って女房の不機嫌を承知で高級生豆を仕入れ、道楽焙煎をしようと決めたのだ。
で、この際、一週間かかって焙煎機の分解できる部分を全部取り外し、徹底的にクリーンアップすることとした。しかし、さすがに手入れが悪かっただけに大変だった。すすが高温のためカーボン化し、少々こすっただけでは何ともならない。最後は金槌とドライバーでたたき割る感じで落とし、温水に浸し、ステンレスのワイヤーたわしでこすり取ったのである。
もう手は傷だらけ、腱鞘炎はひどくなるわ・・・・もう大変でした。
その結果、昨日初めて特別焙煎のテストをしてみた。生豆の種類は、ひとつはイエメンモカ、もう一つはブラジルのイエローブルボンである。イエメンの方はスぺシャリーティーコーヒーに分類される高級品種である。
ブラジルはいつもより小粒だが、手慣れている品種なのでなんの心配もいらない。問題はモカだった。非常に小粒なだけに焙煎は難しい。と言うのは、小粒の場合いわゆるはじける音が小さいのだ。今回のモカはなるべく深煎り直前、やや浅煎りぐらいにしたいと思った。温度で言うなら通常220度まで煎るのだが、今回は210度を上限にふたはぜ目の音が聞こえたら落とそうと決めていた。しかし、少量の焙煎量だったせいもあり、最後までふたはぜが確認できなかった(還暦ともなると耳が悪くなるのである。)。結果、205度でガスを切り、207度で排出してみた。
結果はすごかった。なにが?
むらむらなのだ。極端な話、十分の一は捨てなければならないと思うほどのひどさである。思わず私は先生に電話し(朝の7時だったが・・・)、すぐに来てほしいと伝えた。
9時にやってきた師匠はさっそく煎りたての豆でコーヒーを淹れてくれた。
「うーん、香りはさすがですね。焙煎度合いもマヨちゃんらしく、浅煎り以上、深煎り未満と言えます。味は・・・・・うーん、十分でしょう。モカはこんなものですよ、でもマヨちゃんには向いてませんね。高いだけで、こんな豆を買うのは日本ぐらいでしょう。ヨーロッパなんかほとんどエスプレッソにしてしまうから、高級生豆など意味ないですよ。」
・・・・・・と言うことで、極端な豆はピッキングしたが、あとはおおらかに考えることにした。
2011年の締めに焙煎機の清掃が出来、気分は最高。

さて、12月に入り気象操作が終わったのか急に寒くなった。おかげでうどん屋は大忙し。ほとんどの客がカレーうどんを注文するので、朝の仕込みも最大級である。使う食材もすごい。おまけに最近始めたカツカレーも好評で、食材問屋の僕ちゃんも大喜び。このまま年末まで頑張れば、今期は黒字が見込めるぞ、うっしっし。

名古屋の市民税減税は率を5%に落とし、河村さんが「これを認めないなら議会も覚悟をしろよ…」とは言わないが、心中はたぶん相当な覚悟をしていたと思う。議会側もさすがに「いくらなんでもこれ以上民意を踏みにじるのはまずい・・・・」と考えたのだろう、雪崩を打つように賛成に回るようである。率は下がったものの、行革の成果を市民に還元するという偉業をここに達成する。これで全国的に市民税の割引合戦が始まると、結構面白いのではないか。とにかく、減税をするというのがこれほど抵抗されるものだとは思いもよらなかった。とりあえず、かわむらさんおめでとう、そして御苦労さまと言っておこう。
まあ、私の場合、減税の恩恵はほとんどないけどね、金持ちは結構大きいんじゃないかな、その分消費してください。そして名古屋が元気にならねば、減税の意味はないのである。それにしても名古屋市議、腐ってる。特に公明党よ、一律減税に反対なら最後まで反対しろよ。整合性をとれよ。

だらだら書いてきたが、今は秀吉関連の資料調べと妄想に忙しく、記事にまで手が回らないのだ。一つは天皇のこと。後陽成、後水尾の関係かな?つまり、いまいちスムーズじゃないんだな・・・・これが。 もう一つは日蓮宗、本願寺、天台宗などの宗教に係わること。要は、秀吉の時代、すべてに関し転換期だったことは間違いなく、延暦寺が焼き討ちにあい、本願寺が急速に勢力を伸ばすことになる。さらに東西に分断されていく。これは偶然なのか?
そして権力構造が変わり、北条から足利、そして徳川の世に至る準備期間となるのである。ここで皇室は徳川に従うことになるのか、実は主導権は皇室にあるのかがそれぞれの歴史観によって変わるのである。
そして、太閤検地、刀狩などなど、秀吉時代は過去に例がないほどの画期的な政策が打ち建てられた。さらには秀吉は大阪城に大量の金を備蓄し、金本位制を考えていたとする。彼はジンギスカンなのである。

今日はこのぐらいで・・・