…谷川俊太郎さんが、そういうんだから間違いはない
…というわけでもないが、
いわゆる現代詩を読んでいても書いていても、「いかがわしさ」にまつわるその意識から完全に逃れうることはない。
この詩は難解だ、というすました批評よりも正直に、この詩はいかがわしい、あるいはこんな詩を書く詩人はインチキだ、と言ってほしい。
だから僕は言うぞ、みんなでたらめだ!、と。
小説は、これは嘘ですよと謙虚に読者にことわって書かれている。
だからこそ「嘘から出たまこと」を期待できもするだろう。
詩は、これこそ本当のことですよ、という傲慢な構え(力み)によって書かれている。
その意味で、本当のことを科学のように証明も論証もできないでいる詩は、本質的にいかがわしい。
原理的に(神の資格でしか)語り得ないことを語ろうとする営みである。
頭では、「いかがわしくたってかまわない、それが人間だ、それが詩だ」…と考えられても、
それを許さない倫理みたいなのがどこかにあって、
次第に昂じてきてしんどくなることがある。
で、目覚めて詩を書くよりも、眠って夢を見ることだと思う。
そのせいでもないが、最近、よく寝る。
買い物の途中、僕は一瞬、壁にもたれて眠ることが出来る。
ほんとうに、眠りとう愛称の恋人と一緒に歩いているみたいだ。
詩的に云うと、そいつが詩なんだ…なんてね
本当のこと言ったつもりだけれど、これって、いかがわしいだろう?
…というわけでもないが、
いわゆる現代詩を読んでいても書いていても、「いかがわしさ」にまつわるその意識から完全に逃れうることはない。
この詩は難解だ、というすました批評よりも正直に、この詩はいかがわしい、あるいはこんな詩を書く詩人はインチキだ、と言ってほしい。
だから僕は言うぞ、みんなでたらめだ!、と。
小説は、これは嘘ですよと謙虚に読者にことわって書かれている。
だからこそ「嘘から出たまこと」を期待できもするだろう。
詩は、これこそ本当のことですよ、という傲慢な構え(力み)によって書かれている。
その意味で、本当のことを科学のように証明も論証もできないでいる詩は、本質的にいかがわしい。
原理的に(神の資格でしか)語り得ないことを語ろうとする営みである。
頭では、「いかがわしくたってかまわない、それが人間だ、それが詩だ」…と考えられても、
それを許さない倫理みたいなのがどこかにあって、
次第に昂じてきてしんどくなることがある。
で、目覚めて詩を書くよりも、眠って夢を見ることだと思う。
そのせいでもないが、最近、よく寝る。
買い物の途中、僕は一瞬、壁にもたれて眠ることが出来る。
ほんとうに、眠りとう愛称の恋人と一緒に歩いているみたいだ。
詩的に云うと、そいつが詩なんだ…なんてね
本当のこと言ったつもりだけれど、これって、いかがわしいだろう?