尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

詩のいかがわしさ…について

2006年11月08日 23時54分25秒 | 日記
…谷川俊太郎さんが、そういうんだから間違いはない
…というわけでもないが、
いわゆる現代詩を読んでいても書いていても、「いかがわしさ」にまつわるその意識から完全に逃れうることはない。
この詩は難解だ、というすました批評よりも正直に、この詩はいかがわしい、あるいはこんな詩を書く詩人はインチキだ、と言ってほしい。
だから僕は言うぞ、みんなでたらめだ!、と。

小説は、これは嘘ですよと謙虚に読者にことわって書かれている。
だからこそ「嘘から出たまこと」を期待できもするだろう。
詩は、これこそ本当のことですよ、という傲慢な構え(力み)によって書かれている。
その意味で、本当のことを科学のように証明も論証もできないでいる詩は、本質的にいかがわしい。
原理的に(神の資格でしか)語り得ないことを語ろうとする営みである。

頭では、「いかがわしくたってかまわない、それが人間だ、それが詩だ」…と考えられても、
それを許さない倫理みたいなのがどこかにあって、
次第に昂じてきてしんどくなることがある。
で、目覚めて詩を書くよりも、眠って夢を見ることだと思う。
そのせいでもないが、最近、よく寝る。
買い物の途中、僕は一瞬、壁にもたれて眠ることが出来る。
ほんとうに、眠りとう愛称の恋人と一緒に歩いているみたいだ。
 詩的に云うと、そいつが詩なんだ…なんてね
本当のこと言ったつもりだけれど、これって、いかがわしいだろう?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006.9/23「誰が偉いか?」

2006年09月23日 22時32分52秒 | 日記
小学校二年のとき
父が与えてくれた
「世界の偉人伝」という本のために
自分はイエスよりえらいと思ったことがある
友のために死ねる人が一番えらい
と、彼が言ったと書かれてあって
僕は友どころか、犬のために死ねるのに
と思った
そのうち小さいイエスは
自分はとてつもない馬鹿者らしい気がついた
どれほど馬鹿者であるかというと
生きていけないぐらいの
たいへんな馬鹿者である

右手のことを左手は知らない
左手のことを右手は知らない
実生活では困ったが
時間つぶしに
一人でじゃんけんできたのだ
これはほとんど本当だ
で、
生きていけないほどバカだ
困った困ったと思って
汗をかきながら じゃんけんしていると
マリアのような女が
15年に一度の割合で現れた
これこそ
君は信じないだろうが
ほとんど本当だよ
ただ、真剣にじゃんけんするんだよ
後出しはいけない

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記・2006.9/22「奥さんの目」

2006年09月22日 23時14分35秒 | 日記
今日は
出会う人々が
ことごとく
モジリアーニの首
のように
細く伸びて見えた
というか
たくさんの
長い首が
ツクシのように
プラットホームに
生えていた

生きることに
もう少し
熱心にならねば
悲しい
というか
首の長い
モジリアーニの奥さんの目は
とても蒼い
お空の二つの
穴だよ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする