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お正月は孤軍奮闘に付き、掲載写真がありません。
よって苦肉のアップです。(アップアップ・・・)
菜の花は 千葉から届きました。春ですねぇ・・・
さぁ どうやってやっつけようか。白和え、お浸し、胡麻和え、からし和え、お漬物。
その前に十分楽しんで、と言うわけで、活けてみました。春の優しい香りが充満しています。
・・・・・・・・・・・・・
そういえば 大みそか、木馬の掃除を終え、さぁ今度は我が家の掃除でもと思い、つり戸棚やレンジフードの掃除を始めた。
ところが高所恐怖症の私、震えながら足元の丸椅子の真中を踏まず端っこの方を踏んでしまい、スッテンコロリン!!思いっきり尾骶骨と後ろ頭を強打した。
けたたましい物音に母がびっくりして飛んできて、「もういいわね、掃除しなくても、汚れで死んだ者はおらん。」と叫ぶので止めました。
怪我の功名とでもいいましょうか、炬燵に横になりお尻をさすりながらテレビを見ていたら、なんと”京都2011顔見世大歌舞伎”なるものを放映していて・・・
自慢じゃないが私は歌舞伎と言うものをいまだかって鑑賞したことがない。一度じっくりと見てみたいと思いつつ 田舎に住んでいるということもあり そのチャンスが訪れなかったのだ。
演目は「伊賀越道中双六片岡仁左衛門、片岡秀太郎、片岡我當等々・・・出演でした。
もうすっかりテレビにくぎ付け状態。目からうろこ状態。
日本の伝統芸能と言うのは こんなにも人の心に泉のごとく感動を呼びおこし、それほど立派な文化遺産なのだと言うことがつくずくと理解できたのだった。どうして今まで見なかったのだろうと・・・勿体ない。
役者の芸の細かいことと言ったらない。体全体が、いや指の先まで、足の先まで、神経が生き届いた演技、もう涙ボロボロ。ふつふつと感動しました。
表現者たちは誰だって、想いとか感情とか、そういう「何か」を観客(あるいは視聴者)に伝えようと思うはずだ。でもなぜか、上手いなぁ、と思う表現者は、観客に向かって両手を広げ声高に訴える、というようなことをしない。
どちらかといえば、自分自身にに向かって納得するように、あるいは、自分の内側にある景色や感情を見つめるようにして、唄ったり、台詞を言ったりしている。
少なくとも観客の目からは、そう見えるのだ。
それが具体的にどんなものかというのは、うまく言えないのだけれども。
でもでも・・・一つ残念なことが。
それは、歌舞伎と言うのは視覚的に面白いのでスンナリと理解できるのだけど、音楽部分が、邦楽部分が難しいのでお手上げ状態なのだ。
義太夫と清元、長唄、常磐津うんぬんとなると全く分からない。
歌詞を妙に伸ばすので、その前の言葉をつい忘れてしまい、全体の意味がわかりにくいのだ。
もしかして、こういう悩みは私だけなのだろうか?
何度も場を踏み、何度も鑑賞すると自然に理解できるものなのだろうか?
もしかしたら視覚にばかり頼り、耳が退化したのかもしれない。
でもそれより何より、またチャンスがあれば テレビ鑑賞でもしたいと強く思ったのでした。
雲り 7℃
お正月は孤軍奮闘に付き、掲載写真がありません。
よって苦肉のアップです。(アップアップ・・・)
菜の花は 千葉から届きました。春ですねぇ・・・
さぁ どうやってやっつけようか。白和え、お浸し、胡麻和え、からし和え、お漬物。
その前に十分楽しんで、と言うわけで、活けてみました。春の優しい香りが充満しています。
・・・・・・・・・・・・・
そういえば 大みそか、木馬の掃除を終え、さぁ今度は我が家の掃除でもと思い、つり戸棚やレンジフードの掃除を始めた。
ところが高所恐怖症の私、震えながら足元の丸椅子の真中を踏まず端っこの方を踏んでしまい、スッテンコロリン!!思いっきり尾骶骨と後ろ頭を強打した。
けたたましい物音に母がびっくりして飛んできて、「もういいわね、掃除しなくても、汚れで死んだ者はおらん。」と叫ぶので止めました。
怪我の功名とでもいいましょうか、炬燵に横になりお尻をさすりながらテレビを見ていたら、なんと”京都2011顔見世大歌舞伎”なるものを放映していて・・・
自慢じゃないが私は歌舞伎と言うものをいまだかって鑑賞したことがない。一度じっくりと見てみたいと思いつつ 田舎に住んでいるということもあり そのチャンスが訪れなかったのだ。
演目は「伊賀越道中双六片岡仁左衛門、片岡秀太郎、片岡我當等々・・・出演でした。
もうすっかりテレビにくぎ付け状態。目からうろこ状態。
日本の伝統芸能と言うのは こんなにも人の心に泉のごとく感動を呼びおこし、それほど立派な文化遺産なのだと言うことがつくずくと理解できたのだった。どうして今まで見なかったのだろうと・・・勿体ない。
役者の芸の細かいことと言ったらない。体全体が、いや指の先まで、足の先まで、神経が生き届いた演技、もう涙ボロボロ。ふつふつと感動しました。
表現者たちは誰だって、想いとか感情とか、そういう「何か」を観客(あるいは視聴者)に伝えようと思うはずだ。でもなぜか、上手いなぁ、と思う表現者は、観客に向かって両手を広げ声高に訴える、というようなことをしない。
どちらかといえば、自分自身にに向かって納得するように、あるいは、自分の内側にある景色や感情を見つめるようにして、唄ったり、台詞を言ったりしている。
少なくとも観客の目からは、そう見えるのだ。
それが具体的にどんなものかというのは、うまく言えないのだけれども。
でもでも・・・一つ残念なことが。
それは、歌舞伎と言うのは視覚的に面白いのでスンナリと理解できるのだけど、音楽部分が、邦楽部分が難しいのでお手上げ状態なのだ。
義太夫と清元、長唄、常磐津うんぬんとなると全く分からない。
歌詞を妙に伸ばすので、その前の言葉をつい忘れてしまい、全体の意味がわかりにくいのだ。
もしかして、こういう悩みは私だけなのだろうか?
何度も場を踏み、何度も鑑賞すると自然に理解できるものなのだろうか?
もしかしたら視覚にばかり頼り、耳が退化したのかもしれない。
でもそれより何より、またチャンスがあれば テレビ鑑賞でもしたいと強く思ったのでした。
雲り 7℃