アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

トロイの木馬は実在したの?

2009年12月29日 | Weblog
 どう考えても分かりません。トロイの遺跡を見てきた今、まだ分からない。
 何が分からないかというと、トロイ戦争の終結のいきさつについてです。トロイ戦争は、ギリシア神話上の戦争。ホメロスの叙事詩に書かれている。「ホメロスの創作…」と、考えるのが普通でしょう。ところが、ドイツの考古学者であり実業家であった、ハインリッヒ・シュリーマンは、普通ではなかった。
 シュリーマンは、ホメロスの叙事詩にある「トロイ」は、「ヒサルルクの丘」にあると推定した。1870年に発掘をはじめ、1873年に伝説の都市トロイを掘り出した。つまり、トロイは実在した。そんなことってあるのか?!…あったんですけどね…。

 かくして、伝説上のものと思われていた古代都市が発見された…。それから136年後、私がその都市を歩いてきた。トロイは、確かにあった。

 では、トロイ戦争自体はどうだったのだろうか?本当にあったのだろうか?トロイの遺跡をめぐっていると、遺跡の地層が9層になっていることがはっきり分かるところがある。御丁寧に地層に番号まで付いている。紀元前3000年も前からの都市だけに、どんどん埋まって地層になってしまった。

 今のところ、第7層の時期(紀元前1200年中期)にトロイ戦争があったという説が有力。
 破壊や火災のあとがある地層は、第2層、第6層、第7層(1層が一番下、つまり古い)。その中で第7層の時期にトロイ戦争があったとする根拠は、第7層の都市は、火災が都市全体を覆っていることのほか、発見された人骨の中に人為的に傷つけられた…つまり戦争の犠牲者と思われるものがあるからなのだそう。
 では、第2層、第6層の火災の跡は何か?考えられることは、流行病のまん延阻止のため都市を焼き払ったということでしょう。それはないだろうって?紀元前1200年ですから、季節性インフルエンザでも国が滅びてしまいますよ。  

 トロイは実在していた。戦争があったこともほぼ間違いない。それらは納得した。まだ私が分からないのは、戦争の勝敗を決定づけた「木馬」です。私としては、トロイはあった。トロイ戦争もあった。しかし、木馬はないだろう…話をおもしろくするために登場させたのだろう…なのですが。

 遺跡の中に、「木馬が通った坂」とされている坂があった。これは、あとから付け加えた話だと思うが…。遺跡の入り口に復元された木馬が展示されていた。中へ入ることもできた。「復元?」見た人は誰もいないのに?「復元」とは。
 それにしても、木馬の制作過程を詳しく書いた書物もある(トリピオドーロスの「トロイア落城」)。木馬は本当にあったのか…。

 旧約聖書(創世記)に、ノアの方舟がある。「そんなもの、実在したはずないだろう」と思っていた。私が創作と決めつけていたノアの方舟…アララト山(トルコの東方)中腹に方舟の痕跡があるという。紀元前3000年の木造の舟の痕跡などあるわけないべ…とも言えない状況になっている。それが本当だとすると、トロイの木馬も本当の話…?なぜ、こだわるかって?神話が本当なら、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)も実在したことになってしまう。神話は神話として、大切にしておきたいのですが…。

 なお、この度、トロイ戦争の本当の原因が分かりました。
 ギリシャは、トロイの港がほしくてたまらなかった。しかし、戦争を仕掛ける理由がなかった。そのため話をでっち上げて戦争の口実をつくった。つまり、戦争は、港を手に入れたいという「欲」だった。これは、実によく分かる話です。
 しかし、木馬は事実だったのか?どう考えても分かりません。

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