アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

珍宝と天才

2016年03月25日 | Weblog
 「川の中州で、ソ連と中国が戦ったの知ってる?」
 「珍宝島だろ!」
 読書中の家内からの質問に、私が答えたのですがね。家内が読んでいたのは、1月に出版されたばかりの「天才(石原慎太郎 幻冬舎)」。

 珍宝島(ちんぽうとう)事件は、47年前のこと。満州に、アムール川という大河があります。中国名は黒竜江。私は子どもの頃、この川の名を父から何度も聞かされていました。父は、日本軍の上等兵で、チチハル、ハルピンへ行っていたのですが、この川の大きさには度肝を抜かれた様子でした。
 で、アムール川の支流であるウスリー川に中州がある。支流といっても川幅は500m。中州は、珍宝島(ダマンスキー島)という名前が付いています。この、珍宝島の領有権を巡って、ソ連と中国の大規模な軍事衝突が発生したのです。

 中国の国境防衛隊が、夜中に珍宝島を侵犯して占拠し国旗を立てました。ソ連軍はすぐさま追い払いました。その後、中国軍は、一個師団(1~3万人)を投入して島を奪還。
 さてさて、ソ連軍なんですがね。中国との国境線上空に12個の宇宙衛星を飛ばしておりまして、同一地点を1時間ごとに衛星で監視する態勢をとっていたのです。 深い霧があたりを覆ったある夜、膨大な数の戦車を動員して島を取り囲み、翌朝一斉射撃で中国兵を撃ち殺しました。そして、戦車を上陸させて生き残っていた兵隊たちを死体も含めて戦車でローラーをかけて轢き殺してしまいました。

 これが珍宝島事件のあらまし。家内は高校生だったので記憶にないということでした。私は、「夜中に占拠」は、中国らしいなあと思っていましたし、「生存者も死体も一緒くたにして轢き殺す」は、ソ連らしいなあと感心したものでした。感心する所じゃないですがね。

 珍宝島事件で、中国は、「衛星で監視しているソ連には勝てない」と悟った。で、どうしたかといいますと、米国に頼ることにしたわけです。

 さてさて、珍宝島事件と、石原慎太郎の「天才」の関係なんですがね。「天才」は、田中角栄のこと。田中角栄は、1972年(昭和47年)に中華人民共和国を訪問。北京で周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談。日中国交正常化を実現させました。
 珍島事件が、1969年なんですよ…。ほぼ同時期に、中国が米国と仲良くなり始め、日本が中国と仲良くなる。その後の田中角栄の動きが目障りだったのが米国。米国は、田中角栄を総理の座から引きずり下ろすために、「ロッキード事件」を仕掛けた。
 と、まあそんなわけで、「天才」と「珍宝島事件」が関連するわけです。