アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

背景の本棚で解るお里…その心配がなくなりました

2011年07月13日 | Weblog
 テレビのニュース番組等で、評論家やら、学者さんやらにコメントを求める場面が出てくる。背後には本棚がある。私は、コメントより、背後の本棚にどんな本が並んでいるかが気になりそこばかり見ている。テレビでコメントするだけあって、一生懸命勉強してきたんだぞということを本棚を通じて誇示しているのではないかと…。テレビ画面に映し出される本棚くんも、「こんな難しい本を、こんなにたくさん読んできたんだぞー!凄いでしょう!」と、言っている。

 それを見ると、私には焦燥感が…。なぜなら、本棚に本がほとんどないから。職業人になってから退職までのおよそ40年間に読んだ本の数は大変な量だと思います。しかし、引っ越しの多い職業だったため、本がやっかい。本は、本当に重いのです。そのため溜まった本は、引っ越しの度に、勤務先やら、地元の図書館やらへ置いてきました。よって、手持ちの蔵書がない。今テレビ局が来てインタビューされても、本棚の前に立つのが恥ずかしい。文庫本が乱杭歯のようにようやく立っているだけだから…。
 一大荷物だったブリタニカもDVDに治まってしまったので、ブリタニカ本体は寄贈した。あまりありがたがられなかったと思いますけどね。私の書斎がテレビに写ったら、「百科事典も持っていない奴」と…蔑まれる?

 そんなことで、人の目を気にしなくてもいいだろうって?そうですね、蔵書がないのは、しょうがないから開き直るしかないですね。だけど…「難しい本を読んだんだね。凄いね。偉いね」と、思われたらちょっぴり気分がいいかも…見栄っぱりなもので。

 縁日の植木屋のアンチャンが、店番の傍ら、「植木学入門」という本を読んでいた。中身は、漫画週刊誌なのですが、ブックカバーがかけられており、そのカバーに下手くそな字で、「植木学入門」と書いてありました。マジックインクで。

 アンチャンなかなかやりますよ。客たちに、「おっ!さすが植木屋。勉強してるな!」と、思わせる作戦。また、中身の漫画が見えるような読み方をするので、「笑いをとる作戦」でもある。「全く、見栄っ張りなんだからー!」と、親近感を持たせる効果もある。アンチャンでも、どんな本を読んでいるかで値踏みされるということを感じている。「アンチャンでも」は、バカにしているんじゃないかって?小汚くのばした金髪と、耳たぶに10個ものピアス…どうも好きになれないタイプなものでつい…。

 書店で、ブックカバーをかけてくれる。本当は、カバーなしで本のタイトルを見せびらかしたい(見栄をはりたい)時でも、カバーをかけられてしまう。
 書店にも、ランキングのようなものがあって、「紀伊国屋のブックカバー」がかけられた本を持っているときは、何だか誇らしい気持ちになったりもしました。実際はそんなこと、だーれも気にもとめないのにね。

 最近の傾向なのか、私が見かけた人がたまたまそういう人ばかりだったのか、「本を裸で持ち歩いている(カバーなしってこと)」。どういうことなのか?本に手垢がつくだろう!?本が傷むだろう!?汚れた本は売るときには安くなるんだぞ!

 「ハッ!」と、気づきました。テレビのコメントの時に映し出される蔵書にはカバーが掛かっていない。つまり、「この学者はこんな本を読んでいるのか!」と、学者を値踏みすることが出来る。
 車内で、カバーなしの本を読んでいる人も、「自分は、このような本を読む人物です」と、自己紹介している。高値をつけなさいよ!ってこと。
 カバーをかけないということは、「自分を見せる」ということ。いわばフェイスブックだな。

 私にとっては、電子書籍が出来て、良かったです。
 第一に、本が「荷」にならなくなった。
 第二に、書棚をテレビカメラで写されても、「この人は電子書籍専門なので、蔵書がないんだな」と納得していただける。無言で見栄をはることが出来るわけです。
 第三に、何を読んでいるか知られないので、素顔を読み取られることもない。
 第四に、ブックカバー不要…。

 さあ!テレビ局!いつ来てもいいぞーッ!本棚を写してもいいよーっ。…来るはずがないか…。