「赤目四十八瀧心中未遂」 車谷長吉著 文藝春秋社 2011/05/07読了 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kitune.gif)
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朝日新聞の土曜日の別刷りbeの中の人生相談はなかなか楽しい。人生せいぜい80年(まぁ、時々100歳ぐらいまで生きちゃったりすることもありますが…)、誰も彼も、燃やされれば灰と骨になってしまうのだから、肩の力を抜いて、開き直っちゃおうよ―。そんなコンセプトに読者は癒やされるのだ。4-5人の回答者がローテーションで登場するのだが、中でも、断トツに突き抜けてしまっているのが車谷長吉である。
ある時、中学か高校の教師からの相談で「生徒のことを好きになってしまった。でも、家庭も大切だし、どうしたらいいのでしょう」というものがあった。それに対する車谷長吉氏の回答が「その生徒とデキてしまいなさい。落ちるところまで落ちないから悩むのです。落ちるところまで落ちれば、そこから何か見えてくるものがあるのです」って、朝日新聞紙上で生徒にお手つき・不倫推奨を堂々としてしまう大胆さが痛快。その後、教師氏が長吉っあんのアドバイスに従ったかどうか定かではないが…結局のところ、誰に相談したところで、人生、最後は自分で決めなければならないのだということを長吉っあんは伝えたかったのかもしれない。
さて「赤目四十八瀧心中未遂」も、落ちるところまで落ちた男の物語である。東京でサラリーマンをしながら、小説を書いていた男が、ふとしたきっかけで会社を辞め、転落人生を歩み始める。健康で文化的な生活から、不健康で、貧しく、文化も教養も無用の世界に落ちていく。病気で死んだ豚の臓物をさばき、安い串焼き用にひたすら串に刺す仕事をしながら、人生の一日一日を漫然と消化するだけの毎日。そこで、濁った池に咲く蓮の花のような女性に巡り会う。
「答え」は最初から分かっている。小説のタイトルは「心中未遂」なのだ。2人は狂おしく互いを求め、「死ぬしかない」と決断して、死の道行きに出る。「生きるも地獄」と分かっていても、結局、2人とも生きることを選ぶ。
「死」の瀬戸際まで行って見えてくる、どうしようもないほどの「生」への渇望こそ人間の本能なのだろう。「死ぬ気になったら、どんなつらいことにも耐えられる」などというきれい事ではない。人生には耐えがたいほどの辛いできごとが待ち構えているし、生きながら地獄を見ている人もたくさんいるだろう。それでも、やっぱり人間は生きたいのだ。
5年掛かりでようやく読み終えました。
本を購入してからはまだ1カ月も経っていないし、読み始めてからはほんの数日で読了しましたが、友人にこの本を薦められたのは…多分5年以上前。当時の私にとっては「心中モノ」というだけで、なんとなく忌まわしく、ちょっと心理的なハードルが高かった。
文楽を見るようになってからは、「心中モノ」に対するアレルギーはだいぶ治まったのですが、1年ほど前に電子書籍で「赤目四十八瀧」を購入し、再び、つまづきました。電子書籍、フォントもページ繰りも工夫されているのはすごくよくわかりましたが、私は、全然、集中して読めませんでした。ページをクリックした瞬間、「あれ、今のページって、何が書いてあったっけ?」という気分になり、まるで頭に残っていないのです。紙の本を買って、ようやく、落ち着いた気分で読むことができました。やっぱり私は、活字派みたいです。
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朝日新聞の土曜日の別刷りbeの中の人生相談はなかなか楽しい。人生せいぜい80年(まぁ、時々100歳ぐらいまで生きちゃったりすることもありますが…)、誰も彼も、燃やされれば灰と骨になってしまうのだから、肩の力を抜いて、開き直っちゃおうよ―。そんなコンセプトに読者は癒やされるのだ。4-5人の回答者がローテーションで登場するのだが、中でも、断トツに突き抜けてしまっているのが車谷長吉である。
ある時、中学か高校の教師からの相談で「生徒のことを好きになってしまった。でも、家庭も大切だし、どうしたらいいのでしょう」というものがあった。それに対する車谷長吉氏の回答が「その生徒とデキてしまいなさい。落ちるところまで落ちないから悩むのです。落ちるところまで落ちれば、そこから何か見えてくるものがあるのです」って、朝日新聞紙上で生徒にお手つき・不倫推奨を堂々としてしまう大胆さが痛快。その後、教師氏が長吉っあんのアドバイスに従ったかどうか定かではないが…結局のところ、誰に相談したところで、人生、最後は自分で決めなければならないのだということを長吉っあんは伝えたかったのかもしれない。
さて「赤目四十八瀧心中未遂」も、落ちるところまで落ちた男の物語である。東京でサラリーマンをしながら、小説を書いていた男が、ふとしたきっかけで会社を辞め、転落人生を歩み始める。健康で文化的な生活から、不健康で、貧しく、文化も教養も無用の世界に落ちていく。病気で死んだ豚の臓物をさばき、安い串焼き用にひたすら串に刺す仕事をしながら、人生の一日一日を漫然と消化するだけの毎日。そこで、濁った池に咲く蓮の花のような女性に巡り会う。
「答え」は最初から分かっている。小説のタイトルは「心中未遂」なのだ。2人は狂おしく互いを求め、「死ぬしかない」と決断して、死の道行きに出る。「生きるも地獄」と分かっていても、結局、2人とも生きることを選ぶ。
「死」の瀬戸際まで行って見えてくる、どうしようもないほどの「生」への渇望こそ人間の本能なのだろう。「死ぬ気になったら、どんなつらいことにも耐えられる」などというきれい事ではない。人生には耐えがたいほどの辛いできごとが待ち構えているし、生きながら地獄を見ている人もたくさんいるだろう。それでも、やっぱり人間は生きたいのだ。
5年掛かりでようやく読み終えました。
本を購入してからはまだ1カ月も経っていないし、読み始めてからはほんの数日で読了しましたが、友人にこの本を薦められたのは…多分5年以上前。当時の私にとっては「心中モノ」というだけで、なんとなく忌まわしく、ちょっと心理的なハードルが高かった。
文楽を見るようになってからは、「心中モノ」に対するアレルギーはだいぶ治まったのですが、1年ほど前に電子書籍で「赤目四十八瀧」を購入し、再び、つまづきました。電子書籍、フォントもページ繰りも工夫されているのはすごくよくわかりましたが、私は、全然、集中して読めませんでした。ページをクリックした瞬間、「あれ、今のページって、何が書いてあったっけ?」という気分になり、まるで頭に残っていないのです。紙の本を買って、ようやく、落ち着いた気分で読むことができました。やっぱり私は、活字派みたいです。
赤目四十八瀧は、そういう名前の観光地が三重県にあるようです。wikiによれば、昔、行者さんがそこの瀧で赤い目の牛を見たことが名前の由来らしく、カムイ伝とは関係なさそうです。ちなみに、「赤目四十八瀧心中未遂」には野○その話題は出てきませんでした。 それでは、また!