おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「殿様の通信簿」 磯田道史

2010年11月27日 | あ行の作家
「殿様の通信簿」 磯田道史著 新潮文庫 2010/11/23読了 

間もなく映画が公開される「武士の家計簿」の原作者・磯田道史先生の歴史エッセイの第二弾(多分…)。 とにかく、面白いっ! 勝手に、磯田道史先生ファンクラブを作ってしまおうか-というぐらいの勢いです。私は、磯田先生の歴史に向き合う姿勢がめちゃめちゃ好きだ~!!!

「武士の家計簿」は幕末の下級武士・猪山家の出納記録から、当時の家族のありようや、江戸から明治への時代の変化描きだしている。三代に渡るファミリーの記録ゆえに物語性があり、映画化までされることになりました。

「通信簿」は水戸光圀(=水戸黄門)、浅野内匠頭、大石内蔵助、前田利家など複数のお殿様を取り上げているので、全編を通しての物語性はないのですが…でも、その面白さたるや、「武士の家計簿」に勝るとも劣りません。歴史好きにはたまらない「へぇ~そうだったのか!」という歴史雑学満載。そして、大上段に構えることなく、なぜ、人は歴史を学ぶのか-その神髄を教えてくれるのです。

実は、磯田先生自身がお殿様の通信簿を付けているわけではなく、「土芥冠讎記(どかいこうしゅき)」というネタ本があります。元禄期に、江戸幕府が隠密(スパイ)を使って、各地の大名の評判、内情を探ってまとめたもので、現在、東大の史料編纂所にたった一冊しか残っていない超レア本なんだそうです。磯田先生が、その古文書を分かりやすく読み解き、別の補強材料を組み合わせながら、歴史上の有名人の真の姿を暴きだしているのです。水戸光圀は諸国漫遊ではなくて、本当は悪所(=遊郭)通いをしていたとか。でも、遊郭に入り浸った本当の理由を考えると……なかなか、興味深いのです。

特に、浅野内匠頭&大石内蔵助の項は笑えます。世の中には、忠臣蔵ファンが数多いて、年末ともなれば、毎年、どこかしらのテレビ局がドラマを制作したり、日曜洋画劇場で古い映画を流したりというのが恒例。その忠臣蔵のキーマン2人を、磯田先生は、ものの見事に切り捨て御免に処しています。

かつて、三浦しをんが「あやつられ文楽鑑賞」の中で、内蔵助のろくでなしぶりをさんざんに書きたてているのを読んで大笑いしたことがあります。でも、それは、三浦しおんの感性のなせるわざであり、忠臣蔵ファンも「わかっていない奴に笑われたって痛くも痒くもないもんね」と流せるでしょう。ところが、磯田先生は、史料に基づき、極めて客観的に内蔵助の「ふつうのおじさん」ぶりを淡々と明かしてしまっているので、忠臣蔵ファンは、ちょっとガッカリするか、もしくは、不愉快な気分に陥ってしまうかもしれません。

でも、磯田先生は決して、歴史のヒーローを貶めているわけではなく、歴史に名を残した人物への深く温かい敬意を持って、その人物の人間臭い一面を私たちに示してくれているのだと思います。

そして、「武士の家計簿」を読んだ時にも思ったのですが…日本の官僚制度のプロトタイプは江戸時代に出来上がっていた-ということを、改めて、認識しまた。もちろん、「だから、仕方ない」と現状を是認し続けてよいとは思いませんが、でも、「何もかも官僚が悪い」という議論では何も解決しないと思います。 江戸時代から脈々と続く、集団での意思決定の仕組みには、間違いなく日本人のメンタリティーが反映されているわけで、そこを冷静に分析することなくして、官僚制度の改革などできるはずもないのです。


「ストーリー・セラー」 有川浩

2010年11月12日 | あ行の作家
「ストーリー・セラー」 有川浩 新潮社 2010/11/10読了

 「やっぱり、有川浩って上手いよなぁ~(っていうか、とっても私好み♪)」と思うところは、随所にあった。なんと言っても、タイトルがステキ。「ストーリー・テラー」ではなくて、「ストーリー・セラー」というセンスが好きだ!有川浩自身のプロフェッショナルとしての覚悟がうかがえるような気がする。

 sideAとsideB 対になる2つの物語。どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか読者に想像の自由を与えてくれる境界の曖昧な劇中劇。プロのストーリー・セラーとしての巧みは十分に感じられました。
 
 にも関わらず、今一つ、絶賛モードになれない私。sideAは女性作家が愛する夫を残して死んでしまう物語。sideBは夫に先立たれてしまう女性作家の物語。そりゃあ、愛する人が死んでしまうという以上に切ないことは無い。という意味では、ある意味、最強の設定ではある。でも、愛する人が死んじゃう(又は不治の病に罹る)って、安っぽいテレビドラマが恋する女子を泣かせるための、最もお手軽な手法でもあるわけで…。有川浩なら、こんな手を使わなくとも、キュンとした気持ちを味あわせてくれるだけの力があるよね-と思ってしまう。

 しかも、その不治の病というのが、いまだかつて症例の無い、世界でただ一人だけの病気-って、ほとんど反則ワザでしょう。老人虐待の場面も、極めて今日的ではあるが、でも、ここまでエキセントリックな事例は、それ自体が物語の主題になるものであって、隠し味として使うには、あまりにも刺激的過ぎる。

と、最後まで突っ込みをいれながら読み終える。ページターナー系であっという間に読めるし、それなりに楽しんだけど、でも、後味はイマイチかな~。

「玻璃の天」 北村薫

2010年11月10日 | か行の作家
「玻璃の天」 北村薫著  文春文庫 2010/11/08 読了 

 ベッキーさんシリーズ三部作の第2作目の作品。3作目の「鷺と雪」が2009年上半期の直木賞を受賞しましたが、実は「玻璃の天」も2007年上半期の候補作になっていたんですね。

 ちなみに2007年上半期の直木賞受賞作は松井今朝子の「吉原手引草」(幻冬舎刊)。まぁ、お気の毒ではありますが、松井今朝子に軍配が上がるのはやむなし…という気はします。偶然にもこの時の候補作だった7作のうち6作を読んでいましたが、私的には松井今朝子圧勝です。ということを調べるために、過去の直木賞受賞作一覧などをチェックしてみたのですが、直木賞受賞作って、文藝春秋社刊の作品の比率が圧倒的に高いんですね。繰り返しノミネートされている作家が、文藝春秋から出版するとめでたく受賞できる-とか。文芸春秋社が主催している賞なのだから、当たり前と言えば、当たり前なのかもしれませんが、まあ、それが大人のルールってもんなんですかね。まぁ、ビジネスモデルとしては、なかなか、うまいやり方だなぁと思いました。

 閑話休題。ベッキーさんシリーズは、良家のお嬢様の英子が、おつきの美人運転手ベッキーさん(本名・別宮みつ子)の知恵を借りながら、日常のちょっとした事件を解決していくという謎ときもの。第一作の「街の灯」は、英子とベッキーさんのキャラは悪くないのですが、ストーリーの展開がゆったり過ぎて、イマひとつテンションが上がらないなぁ…と思っていたのですが、第二作の「玻璃の天」になって、文章が洗練され、2人のキャラもより明確になってきて、物語としてとても楽しめるようになりました。第一作から、どんどんと尻すぼみになっていくシリーズものが多いなかで、じわじわと面白くなっていくというのは、とても、好感が持てます。

 ミステリーとしては、ちょっと甘々過ぎるような気がしますが、でも、昭和初期の空気がとても濃厚に漂ってきます。それにしても、あれほど身分制がはっきりした社会から、50~60年で超均質社会に生まれ変わった日本って、もともと、均質であることを好むメンタリティーがあるんでしょうかね。

「ゆんでめて」 畠中恵

2010年11月09日 | は行の作家
「ゆんでめて」 畠中恵 新潮社 2010/11/03読了

 ジャニタレでドラマ化までされた「しゃばけ」シリーズの最新刊。隣の家まで歩いていくだけで熱を出すほど病弱な江戸の薬種問屋の若旦那と、その家に居着く妖怪(あやかし)たちが繰り広げるライトミステリー。

 第一作「しゃぱけ」はめちゃめちゃ新鮮でした。基本的にはファンタジー小説はあまり好きではないのですが…妖怪たちのおちゃめっぷりに引き込まれて、あっという間にファンになってしまいました。しかし、楽しかったのは、第三作ぐらいまででしょうか。その後は、マンネリとミステリーとしてはあまりにも甘々すぎるストーリー展開が鼻につくようになってきてしまいました。

 今回は、正直、読むのがキツかった。もはや、登場人物のキャラで読ませるには新鮮味が足らない。かといって、サザエさんや水戸黄門のような大いなるマンネリを読者が納得して受け入れられるほどにストーリーが練り上げられているわけでもない。ミステリーとしては陳腐すぎる。

 -というのは、大人の感想である。多分、小学校の学級文庫に並んでいたら、そこそこの人気を博すであろう-と思われる。