おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「手紙」 東野圭吾

2008年07月26日 | は行の作家
「手紙」 東野圭吾著 文春文庫 (08/07/25読了)

 正直、もろ手を挙げて絶賛モードにはなれないのですが…でも、ぐいぐいと読者をストーリーに引きずり込む力のある作品だと思います。頭の中では色々と理屈でケチを付けつつ、でも、ページをめくる手は止められません。なるほど、映画にしたくなる気持ちは、よくわかります。

 「手紙」は、強盗殺人事件を起こし刑務所に収監されている兄から、弟に宛てたもの。時の流れがとまったような刑務所の中にいる兄の手紙は、ひたすら、弟に詫び、弟を思いやり、手紙を通じて弟とつながっていることを望み、弟からの返信を切望している。ところが、現実の社会で生きている弟の心はうつろっていく。最初は、不器用だけど、弟思いで、優しかった兄が人を殺したことなど信じられない-という気持ち。平仮名ばかりの拙い文章だったのが、徐々に漢字が増え、こなれた文章になっていくことを喜んだり。ところが、自分が罪を犯したわけではないのに、「殺人者の弟」ということで、様々な差別に遭遇する。望む仕事を得られず、夢をあきらめ、友人や恋人との絆も解かれ…何もかもが思うにまかせず、だんだんと、兄の存在が疎ましくなっていく。

 私としては、兄が、殺人の舞台となるお金持ちの家に窃盗に入った時点からなんとも言えない違和感を覚えました。ストーリーの下地として「兄は計画的に人殺しをしたわけではない、弟思いのあまりに盗みに入ってしまっただけなんだ、追い詰められてしまっただけなんだ」という同情を誘うトーンがあるのですが、いくら弟思いだから、いくら追い詰められていたからといって、盗みをしていいとはどうしても思えないのです。ましてや、人を死に至らしめるなんて…。「もろ手を挙げて絶賛モードになれない」のは、その部分が最大の理由。でも、兄と弟、二人の気持ちが対照的に描かれている物語の中盤は、どちらの気持ちも切なくて、知らぬ間に感情移入してしまっているのでした。

 物語のバックグラウンドミュージックとして、ずっと、ジョン・レノンの「イマジン」が静かにながれています。「差別なく、みんなが楽しく、幸せに暮らせるなんて-絶対に無理だよ」-弟は、そのように思い至って、悲しい重大な決断をする。確かに、「イマジン」の世界は、現実ではないのですが、でも、最後に、「イマジン」が兄と弟にとって「救い」となることに、読者である私自身も救われました。エリカ様が演じた女の子がいい味出しています。暗い物語に、彼女が光を差し入れてくれたように思います。

「鎮火報」 日明恩

2008年07月23日 | た行の作家
「鎮火報」 日明恩著 講談社文庫 (08/07/23読了)

 読み始めから若干の違和感あり。第一作の「そして警官は微笑う」がかなりの秀作だったために、異常に期待値が高かったせいもあるのですが…。決して、ツマラナかったわけではないのですが、ちょっと惜しいなぁという気分でした。

 主人公は消防士の雄大クン。まず、この主人公のキャラ設定が間違っていたのではないかと思うのです。雄大クンは、めちゃめちゃイイ奴なんです。不器用だけど、人の心がわかる。論理的な思考が出来て、今ドキの言葉で言えば「地頭力」のある人。なのに、物語を軽妙なタッチに仕立てるためなのか、雄大クンを、つい最近までカツアゲ、万引きやりまくって、ロクに高校も行っていない不良少年という設定にしてあるのです。もちろん、不良少年の中にも地頭力のある人はいるとは思うのですが、でも、あまりにも対照的なキャラを一人の人物に同居させて物語を展開させるのってやっぱり無理があるのではないでしょうか。しかも、雄大クンが傍若無人な元不良という設定故なのか、年上・目上の人に対する口の聞き方があまりにもゾンザイなのですが、それも、論理的で頭の良いアナザー・サイド雄大のキャラとはそぐわないのですよ。さらに、雄大クンが「ラクな公務員ライフを満喫するために消防士になった」というのも、いかがなものでしょう。もちろん、その背景には、物語のカギとなる色々なエピソードがあるのですが…でも、いかなる理屈があっても、「ラクをするために消防士」って、とっても成立しにくいです。そういう無理な設定にしなくても、この物語は十分に面白くなりえたと思うのです。逆に、策を弄して、かえって、おもしろさを減殺してしまっているのかもしれません。そして、準主役級の「引きこもりオヤジ」も、ちょっと、非現実的すぎる設定。パソコンだけが友だちの引きこもり生活をしているからといって、ナゾを解く重要情報の多くが、このオヤジのハッキングにより解きほぐされていくというのも、ズルイです。

 ただ、解説でも指摘されているように、ケーサツ小説はいっぱいあるのに、消防小説があまりにも少ない、そういう未開の地を切り拓いたという意味では素晴らしい意欲作。不法入国の外国人が暮らす安アパートで、相次ぐ火災。その事件を、警察の視点ではなく、消防の視点で解き明かして行くというのは新鮮です。さらに、消防士の日常が垣間見られるのも楽しい。最近のケーサツ小説は、事件解決のワクワク感だけではなくて、あふれるペーパーワークに追われ、人事抗争に翻弄されるサラリーマン社会の面に光を当てたものも少なくありませんが、「鎮火報」でも、消防や救急だけでなく、日々、報告書作成に明け暮れ、食事当番で苦戦し、日勤の時にはお猫様の救出にまで借り出されるナマの消防士の姿が生き生きと描かれていて、それだけでも、十分に読む価値ありでした。

 最後に、個人的に、とっても残念だったのは、雄大クンが、あえて、ある人物の死を受け入れる場面。ま、これは、個人的信条の問題ですが、私は、雄大クンが「生」を象徴するキャラクターであってほしかったです。


「白蓮れんれん」 林真理子

2008年07月20日 | は行の作家
「白蓮れんれん」 林真理子著 集英社文庫 (08/07/19読了)

 やっぱり林真理子は誤解されていると思う。かくいう私も、最初は誤解していた。(確か)アンアンの連載をまとめた「ルンルンを買っておうちに帰ろう」で、華々しく(?)デビューした頃、彼女はテレビにも出まくって、不遜で高飛車な発言を繰り返していて、「なんてケーハクで、なんて醜悪なんだろう」「どうせ、くだらない駄文を書き散らしているのだろう」と思ってました。もちろん、読んでみる気もなし。しかし、ある時、フランス語の翻訳家をしていた知人から「林真理子はいい!エッセイではなく、小説を読んでみると、イメージがガラッと変わるハズ」と薦められました。その知人は、翻訳家として、美しく、読みやすい日本語を心掛けようと、色々な作家の本を音読するのを日課にしていて、音読すると、文章のリズムの良し悪し、文章の美しさがとてもよくわかると言っていました。そして、騙されたつもりで…と思って読んだ小説が「本を読む女」。ネットでチェックしてみても、「林真理子主な作品」にはリストアップされていないので、かなり、マイナーなのかもしれませんが、私にとっては、「この人は、こういう美しい文章を書くのか」と目からウロコの作品でした。

 といって、「林真理子の全作品を読みたい」という気はなく、文春に連載されているエッセイをたまに斜め読みすると、やっぱり「醜悪だ!」と思ったりするし、そこそこヒットした「不機嫌な果実」のような、いかにも、売り上げ至上主義的作品には、あんまり共感しないし、思想信条的にも相容れないものを感じたりするのですが、それでもなお、林真理子という作家の力には、底知れぬものがあると思うのです。

 「白蓮れんれん」は、大正の美貌の歌人・柳原白蓮(本名・子)の激しい恋の物語。没落した華族の家系に生まれた子は、困窮した実家の経済的事情のために炭鉱開発で成り上がった中年男の後妻として嫁がされる。しかも、夫には妾の子どもが何人もいて、年老いてもあちこちの女に手をつけまくり。金銭的には恵まれているものの、満たされない惨めな暮らしの中で、子は歌を作ることに精神のはけ口を見出し、歌人・白蓮として注目されるようになる。そして、運命の恋人・龍介にめぐり合い…。

 かつて「不倫は文化」だと言って物議をかもした俳優もいましたが、現代ですら、不倫が市民権を得たとは言えません。ましてや、不倫をした女は姦通罪に問われ、命すら奪われかねないような時代の不倫物語です。ただ、この物語は、今でいう「不倫」とは程遠いもののように思えました。恋愛にも結婚にも意思を持つことを許されなかった女性が、初めて、心から人を好きになるという感情に目覚め、地位も財産もなげうって愛を貫こうとする純粋さに心打たれました。ドラマチックな小説なのではなく、子の人生そのものがドラマチックなのです。しかし、史実に基づき、子と龍介が交わした手紙にも目を通して、それを、小説として再構成した筆力はやはり素晴らしいと思いました。

「泳いで帰れ」 奥田英朗

2008年07月13日 | あ行の作家
「泳いで帰れ」 奥田英朗著 光文社文庫 (08/07/13読了)

 暑い。この土日は本当に暑かった。梅雨明けしていないのに、真夏のように暑い。何も考えたくない。そんな時に、とっても、ピッタリの本です! 超脱力系・アテネ五輪観戦記。計画的とはほど遠く、思いつきで観戦。アテネはずいぶんと暑かったらしく、観戦に行く前も、観戦しながらも、観戦が終わってからも-ひたすらにビールを飲み、旨い食事は絶賛し、まずいものは口汚くののしる。敵チームでも好プレーには素直に沸きあがるスタンドに感激し、図々しく指定外のエリアに侵略してくる敵チームの応援団に怒りながらも、「農耕民族は弱い」と引き下がってしまったり。ヒネクレ者のフリをしているけれど、奥田さん、実は、とってもいい人ですよね。

 奥田さんは、私より、結構、年上のハズ-なのですが、ものの感じ方に妙に共感してしまいます。メンタリティーが「昭和」なんですよね。特に、「そうそう!」と思ったのは、「北島について、何か書いてくれと言われても困ってしまう。“あしたのジョー”世代の自分にはとっかかりもつかめない。“スラムダンク”や“キャプテン翼”に関心を持てないのに似ている」という記述。そうなんです。北島の金メダルにはもちろん嬉しかったけれど、テレビ観戦していても涙出なかった。私も、昭和なんだなぁ…としみじみ思いました。

 さて、基本的には脱力系を貫いた紀行文ですが、最後は、かなりブチ切れて怒ってました。タイトルの「泳いで帰れ」は、怒りのあまりの捨てゼリフ。ここにも、大変、共感。ま、私は「泳いで帰れ」というほど熱くはなく、なんか、シラけるよなぁという気分でしたが。大変、正しい、お怒りであると思います。

 それにしても、四年前の五輪観戦記、オリンピックイヤーの7月に文庫化するって、なかなか大人の商売ですよね。きっと、北京五輪観戦記もお書きになるつもりなんでしょうね。

「母」 三浦綾子

2008年07月13日 | ま行の作家
「母」 三浦綾子著 角川文庫 (08/07/12読了)

 今、話題の「蟹工船」の著者である小林多喜二の母「セキ」さんの人生をフィーチャーした作品。「セキ」さんを語り手として、素朴な秋田弁で貧しさの中でも、温かく、思いやりにあふれた小林家の様子が伝わってきます。「蟹工船」-気にはなるものの、なんとなく、ヘビーそうな予感がして手に取るのを躊躇してしまっていましたが、母の目を通して、ほんの少しだけ、小林多喜二という人の人生を垣間見られたような気がします。

 セキさんは極貧の家庭に生まれ、13歳で小林家の嫁に。嫁いだ先も決して裕福ではなく、苦労の連続。義兄を頼って北海道に渡り、小樽でパン屋を営むものの、貧乏から抜け出すことはできない。多喜二がようやく、銀行員となり、安定した収入を得られるようになった矢先、もともと病弱だった夫は死んでしまう。決して、幸せとも思えない人生なのに、セキさんの強さ、明るさに心打たれます。小さなことに幸せを見出し、感謝の心を忘れない。セキさんの語る話の中で、多喜二の切ないほどの純愛物語が展開されるのですが…こういう強い母親があってこそ、多喜二は強い愛を貫いたのではないかと思わされました。

 さっき、有隣堂に寄った時に見たら、相変わらず「蟹工船」は文庫本ランキングの上位に食い込んでいました。ワーキングプアが社会問題化しているとはいえ、日本は世界第二位の経済大国。世界的に見れば、豊かさに満ちた国の一つ。私は、共産党支持者ではありませんが…でも、セキさんの優しい言葉を聴いていると、働いた人が報われる社会であってほしいし、そのために、正しく利益の配分が行われてほしいなという気持ちになりました。

「二重標的」 今野敏

2008年07月12日 | か行の作家
「二重標的 東京ベイエリア分署」 今野敏著 ハルキ文庫 (08/07/10読了)

 「今野敏としてはビミョー?」と思いながら読んでしまいました。ま、普通に、「面白い」と思えるレベルはクリアしているのですが、「隠蔽捜査」「果断」で、今野敏に対する期待値が相当に上がってしまっていたので、その分、“イマイチ感”は免れず。

-と思ったら、もともとは、勁文社文庫から1996年4月に出版された作品。つまり、10年以上も前なんですね。それを思うと、仕方ないかなぁという気もします。ストーリーはタイトル通りです。別々のところで発生した、一見、何の関係もなさそうな2つの殺人事件が実はつながっていて、2人のターゲットを追い込んでいくというもの。イマイチの理由は、ストーリーがつまらないというよりも、文章が硬いし…セリフ運びもぎこちなくて、スッーと読めないんです。十余年の歳月を経て、めちゃめちゃ上手くなっているのを実感するには 「二重標的」→「隠蔽捜査」の順番で読んだ方が良いかもしれません。

「和宮様御留」 有吉佐和子

2008年07月06日 | あ行の作家
「和宮様御留」 有吉佐和子著 講談社文庫 (08/07/05読了)

 前々から読みたいと思っていた一冊。子どものころ、大竹しのぶ主演でテレビドラマ化され、予告編で大竹しのぶ扮する替え玉の宮様がお習字の練習をする場面が、今でも、鮮明に印象に残っています。ドラマ自体は、見たのか、見なかったのか-まったく記憶に無いのですが、とにかく、原作を読んでみたかったのです。正直、読むのには苦労しました。刷りを重ねているにも関わらず…昔の文庫本のように活字が小さい。多分、最近の活字の大きさに変えたら上下二分冊にできるぐらいの分量。御所言葉が多用されるなど、難しい言葉遣いでスラスラとは読めません。でも、それでもなお、面白い小説でした。

 公武合体の大儀のため、徳川十四代将軍家茂に降嫁した皇女・和宮が実は替え玉であったというストーリー。主人公は、召使として和宮の居所に呼び出された婢(はしため)のフキ。ボロをまとい、水汲みの日々を送っていたのが、何の説明もなく、美しい着物を着せられ、和宮と寝起きを共にするようになる。声を出すことすら許されない不自由な生活の中で、和宮と時折かわす笑顔だけのコミュニケーションを通じ、もしかして、自分は和宮の身代わりになるのではないか-と察していく。フキは「和宮のためになりたい」という召使としての純な気持ちと、たとえ貧しくても外の自由な生活への渇望の間で揺れる。フキにとっての自由な生活の象徴が祇園祭であり、「コンコンチキチン、コンチキチン」と心の中で口ずさむ様子がなんとも切ないのです。我慢に我慢を重ねながら、なんとか、和宮の替え玉を勤めきろうとするフキも、ついに、心を病み、正気を失い、さらなる替え玉が仕立て上げられるのです。

 果たして、これが史実なのか、フィクションなのか、よくわかりません。でも、こんなことがあっても不思議ではないと思えるほどに、江戸時代というのは、女にとって辛い時代であり、嫁ぐということが、囚われの身になるということだったのかということ思い知らされます。その一方で、表の男の世界とは別に、女の世界でも様々な政治的な駆け引きが展開されていたのが興味深いです。あまりにも古いけれど…大竹しのぶ主演のあのドラマ、再放送してほしいぁ…。

 面白かったのですが、疲れので、次はスラスラ読める系にします。

勘十郎さまからお手紙!!!!!

2008年07月06日 | 文楽のこと。
勘十郎さまからお手紙! (08/06/30)

 な、なんと、勘十郎さまからお手紙を頂戴してしまいました。感激です。30日深夜、帰宅すると、いつものようにテーブルの上に新聞や郵便物がバサッと乱雑においてありました。郵便物といっても、大抵はDMや企業からのお報せの類で、宛名はこじんまりとプリントされた活字が並んでいるのが常。ところが、なぜか、黒々とした筆文字が立派な封筒が混じっていて、「なんだろう?」とひっくり返してみると…差出人には「桐竹勘十郎」とあるではありませんか!!!!! 一挙に疲れが吹っ飛ぶとともに、感動のあまり膝がガクガクと震えてきてしまいました。

 すぐに読みたい気持ちを抑えて、まずは、化粧を落として顔を洗い、歯磨きをして、簡略ながら体を清めました。普段は、封筒は手でビリビリと引き剥がすだらしない私ですが…勘十郎さまのお手紙とあらば、粗雑には扱えません。ハサミで丁寧に開封し、中身を取り出しました。中のお手紙はうっすらと金粉、銀粉を散らした和紙に、やはり、美しい墨文字。

5月に銀座の画廊で、勘十郎さまが25年間に渡って作り続けてきた国立文楽劇場の公演記念スタンプの原画展でありました。そこで、「太閤記」の原画を衝動買いしてしまったのです。もちろん、気軽に買えるお値段ではないし、「欲しいけれど…、どうしよう」という逡巡はありました。でも、考えに、考えたすえ、「こんなご縁に二度とめぐりあえるかはわからない」と清水の舞台から飛び降りたのです。勘十郎さまからのお手紙は、そのお礼状でした。どの原画にも思いいれがあること、大変だけど、もう少し頑張ってスタンプ作りを続けようとお考えであることなどが、丁寧な文章で綴られていました。達筆な文字は、勘十郎さまの遣う人形と同様に、力強いけれど、優しい雰囲気でした。

友だちにも自慢しまくりた~いという気分ですが、そもそも、世の中的には超マイナーな文楽であり、ましてや、その人形遣いに至っては、「勘十郎って誰?」って感じなので、この感動を分かち合ってくれる人がいないのが悲しい。というわけで、一人で、なんどでも取り出してニヤニヤと拝読しております。