おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「がんばっていきまっしょい」 敷村良子

2008年10月22日 | さ行の作家
「がんばっていきまっしょい」 敷村良子著 幻冬舎文庫 (08/10/22読了)

 またまた昭和シリーズ。といっても、せいぜい昭和50年代~60年代ぐらいの話なので、「おはん」「流れる」ほど、遠い昔ではなくて、ちょっとホンワリ懐かしい系。

 松山東高校(「坊ちゃん」ゆかりの学校らしい)で、「群れずにわが道を行く」タイプの主人公・悦子が女子ボート部を創設し、卒業していくまでの物語。ひらたくいえば、どこにでもある、誰もが一度は経験したような、普通の高校生の、普通の日々です。というと、とてつもなく平凡でツマラナそうに聞こえるかもしれませんが、普通の日々が愛しく、懐かしい感じで、なかなか、楽しく読めます。悦子たち、未経験者ばかりで始めたボートチームを素直に応援したくなってしまいます。

 形式的には2つの作品を収録しているようですが、いずれも松山東高校女子ボート部の話で、実質的には1作品。文章の洗練度はイマイチですが、平易で、素直な文体なので、スピードに乗ってアッという間に読めてしまうので、気分転換にピッタリ。でも、なんといっても、この作品、タイトルを付けた時点で「勝ち」が決まったようなもの。「がんばっていきまっしょい」は、松山東高校伝統の掛け声。応援団長の言葉に、他の生徒たちが「しょい!」と応じるんだそうです。「がんばっていきまっしょい!」「ショイ!」「もう一本、がんばっていきまっしょい!」「ショイ!」-この言葉だけで、なんか、張り詰めた気持ちがフッと軽くなるような気がします。

「おはん」 宇野千代

2008年10月21日 | あ行の作家
「おはん」 宇野千代著 新潮文庫 (08/10/20読了)
 
「流れる」に続いて、昭和シリーズです。子どもの頃、石坂浩二出演で映画化されていたことを、なんとはなしに記憶していました。もちろん、当時は、そんな大人の映画を見た訳ではありませんが…。で、改めて、ネットで映画情報を調べてみると、メインキャストは吉永小百合、石坂浩二、大原麗子。昭和の映画スター勢ぞろいって感じですね。それにしても、石坂浩二は、ハマリ役です。

7年前に妻・おはんを捨てて、芸妓・おかよと暮らし始めた語り手の「私」。ある日、道ですれ違ったおはんに、再び、恋心を抱いてしまう。おかよに隠れて、おはんとの逢瀬を重ねる。おはんに会えば、おはんのことが愛おしくてたまらない。しかし、家に帰れば、7年間慣れ親しんだおかよと別れる気もさらさらない。実は、7年前におはんと別れる時に、おはんは「私」の子どもを身ごもっていた。おかよに夢中になっていた「私」は、その後も、一度たりとも子どものことなど考えたことがなかった。しかし、おはんと再会してみると、次第に、自分の子どもが気になりだす。しかし、それは、本当の愛情なのか、しれとも、おはんと縒りを戻すための方便なのか…自分でもよくわからなくなってくる。
「私」は、本当に、どっちつかずの男なのだ。

 読みながら「まるで、文楽の世界!」という印象を持ちました。なにしろ、文楽の世話物に出て来る男は、しょうもない。脇が甘い、惚れっぽくて、だらしない。決断せずに、すぐに、流れに身を任せる。「おはん」の語り手である「私」も、そんなダメ人間なのです。-と思ったら、いみじくも、この小説の発表当時に小林秀雄が「近松を読むような一種の味わいがあって面白かった」と評しているそうです。

 宇野千代さんは、じっくりと構想し、10年かけて、この作品を仕上げたそうです。ダメ人間な「私」は、おかよと別れる決心はつかないままに、再び、おはんと暮らすために駆け落ちしてしまう。そこに、思わぬ悲劇が襲うのだが、それでも、やっぱり、ずるずると、流れに身を任せる生活から抜け出すことはない。それに比べて、二人の女の強さが際立つ。おはんとおかよはタイプも違えば、生き方も違う。でも、それぞれに強いのです。おはんは、バカ男のせいで翻弄された人生を恨むでもなく「私が近くにいれば、あなたの優しさゆえに、私のことを心配して下さってしまうのでしょう。それでは、おかよさんに申し訳ない」と身をひき、おかよは「男がいなくても生きられる女は、勝手に、生きていけばいい。私は、男がいなきゃダメ」と、おはんが去って、「私」を独り占めできるようになったことを歓喜する。決断しない男と決断する女。やっぱり、女は強い。

 物語は一貫して徳島と岩国と関西訛りをブレンドした宇野千代オリジナル方言で語られる。この言葉も、なんとも、まったりしていてよかった。平成の世では、決して、こんな作品は生まれないだろうなぁという時間の流れ方を感じました。


「流れる」 幸田文 

2008年10月20日 | か行の作家
「流れる」 幸田文著 新潮文庫 (08/10/20読了)
 
 「芸者の置屋」という、一般人から見ると「非日常」な空間で起こる、「超・日常」な日々をのぞきみるようなストーリーです。とっても、昭和な空気が濃厚でした。

 主人公の梨花は、もとは、女中を使う側にいた良家の奥方だったらしい。それが、夫に先立たれ、子どもも亡くし、没落し、芸者屋の住み込み女中となる。この人が、すごく強くてステキ。と言っても、豪傑ではない。どこかはかなげで、つねに、悲しみをたたえているような風情なのですが、でも、柳の枝のように、細いけれど、決して折れない強さを感じさせるのです。
 
 置屋の主人や、芸者たちから、理不尽な用事を言い付かり、それを理不尽と感じながらも、「使う側というのは無神経なもの。私も、そうだった。使われる側なんてこんなもの。どうせ、他に帰るところもないんだもん」と割り切って、淡々と仕事をこなす潔さ。そして、表側の華やかさとはうらはらに、舞台裏はカネに追われ、嫉妬ややっかみが渦巻き、自堕落で退廃的な世界を、客観的に見る梨花のクールさが心地よい。

 最後は、実は、欲の無い梨花に、降って湧いたようなささやかなハッピーエンドが待ち受けていました。なのに、あまりにも淡々としていて、最初は、ハッピーエンドであることに気づかなかったほど。最後の4-5ページを3回読み直してみて、「やっぱり、ハッピーエンドだよね」と確認してしまいました。ドラマ化するなら、木村多江さん主演で。

 それにしても、「昭和」って、一時代昔になってしまったなぁと、しみじみ。「庇」とか「割烹着」「癪に障る」「行李」とか…私の子どもの頃は、普通に使っていた言葉が、もう、めったに使われなくなっていることを、実感してしまいました。

「ランポール弁護に立つ」 ジョン・モーティマー

2008年10月17日 | ま行の作家
「ランポール弁護に立つ」 ジョン・モーティマー著 河出書房新社 (08/10/17読了)
 
 久々の翻訳物。1カ月ほど前の日経の水曜・夕刊書評に紹介されていて、「ちょっと気になるなぁ…」と思っていたら、友人が貸してくれました。

 タイトル通り、主人公は法廷弁護士のランポール先生(英国では、事務弁護士と法廷弁護士と役割によって2つに分かれているらしい)。このランポール先生かなりのクセ者。皮肉屋で、ちょっとひねくれていて、物言いがいちいち感じ悪い!!!-とイライラしてしまい、最初は、なかなかスピードに乗って読むことができませんでした。しかし、だんだん、毒が回ってくると、嫌味な感じが却って楽しい。ひねくれぶりが、憎めなくなってくるのが不思議。

途中で、ふと、気づいたのですが、ランポール先生、週刊文春の土屋賢二の「棚から哲学」(現在の連載タイトルは「ツチヤの口車」)のノリと一緒なのです。弱気なようで、実は、強気。迎合的に見せかけて、ここぞという時には、最後まで、絶対に自説を曲げない。奥様に対して、頭が上がらずにイジケテいるくせに、でも、奥様を大切にしているところも、なんかカワイイです。

 ランポール先生のキャラ・モノ小説のようでありますが、法廷モノとしても、十分に楽しめます。実入りの良い企業弁護士を小バカにし、カネにならなくても刑事事件の弁護人であることが誇り。弁護人として、常に、無罪を主張することが心情で、誰もが、クロと思う容疑者に対しても、証拠をキチンと検証して、穴を見つけようとする誠実さ。日本人に置き換えれば、火サス(とっくに終わってしまっていますが…)でシリーズ化間違いなしって感じです。

 読み終わって、最後に、英国の裁判制度に関する用語集が付録として付いているのを発見。確かに、英国の制度は、日本とはかなり違っているので、物語の前半は、理解しがたいところがありました。どうせなら、この用語集、冒頭に付けておいてくれれば、もっと読み易かったのに…と思いました。


「容疑者ケインズ」 小島寛之

2008年10月11日 | か行の作家
「容疑者ケインズ」 小島寛之著 プレジデント社ピンポイント選書 (08/10/10読了)
 
 9月初旬に、日経新聞の水曜夕刊書評で紹介されていたものを購入。書評の内容はすっかり失念しましたが、サブプライムローンで混乱する金融・資本市場の現状を、ケインジアンの立場から、分かりやすく読み解く-といった趣旨のようです。本のカバーの記載は「なぜ資本主義は不安定で、金融市場は混乱するのか。鋭い洞察で、その謎を解いた。ケインズ理論の騙されない読み方」とあります。書いた時点、水曜書評に載った時点でも、かなり「イマ的」な書籍だったのだと思うのですが、毎日、バカみたに株価が下がり、金融恐慌の様相を来たしてきていることを考えると、「今日」こそに、相応しい書籍のように思えました。ちなみに、経済界(永田町も?)では、にわかケインジアンが急増中らしいですが…著者は、真正のケインジアン。ある種、崇拝の域に入っているのか?

 で、結論から言うと、エッセンスはなかなか面白かったです。私のような不勉強な人間に、サブプライムローン問題が起こるべくして起こった現象であることを、難しい数式を使わずに、分かりやすく説明してくれています。不確実性に対して、人間がどのような行動を取るのか、人間とはネガティブなことにより大きく反応しやすいとか-実は、経済学って、人間の本質を探るところからスタートするのか、と、文学部出身の私には、色々と新鮮でした。それと、ケインズが株式市場のビューティコンテスト論を説いた人であるのは、なんとなく、記憶に残っていましたが、ケインズ自身が、大学の基金の運用を任されており、自分の資産も株で何倍にも増やした、センスの良い投資家であったというのは、興味深い事実です。

 でも、この本には、不満もいっぱい。一般的な文庫や新書に比べて活字が相当、大きい。多分、1.5倍ぐらい。その上、とっても硬くて、硬質な表紙。表紙もなかなかカッコイイが、色々とこだわって高コストなものを使った結果、価格は「1143円+税」と、若干、高め。普通の新書にすれば、700円ぐらいで済んだのでは? さらに「いい大人が、“ボク”とかいう一人称で本を書くなといいたいところですが、あとがきに「ネットで発表していた文章を加筆、再構成した」との趣旨のことが書かれていたので、ま、しょうがないか-と100歩譲ります。それに、キャッチーだけど、「容疑者ケインズ」というタイトルは本の内容にはマッチしていないような…。著者にとっては崇拝の対象であるし、そもそも、現在の経済情勢には、ケインズには直接の責任は無いと思うし。

 しかし、サブプライムローン問題の本質をケインジアンの立場から読み解いたところで、サブプライムローン問題解決の糸口が見えてくるわけではありません。まさに、本文の中にも、バブルがなぜ起こるのか、具体的な事象を上げながら説明していますし、それはそれでロジカルに思えるのだけれども、でも、結局は人間は、一度、反省しても、次のバブルを回避できるわれではないというのは、なんとも、不条理であります。


「蛍の行方/続・お鳥見女房」  諸田玲子

2008年10月08日 | ま行の作家
「蛍の行方(お鳥見女房続編)」 諸田玲子著 新潮社 (08/10/08読了)

 江戸時代に鷹場巡視を主な職務とした「お鳥見役」の女房・珠世を主人公とする「お鳥見女房」の続編。「お江戸版・大ファミリー物ほのぼのホームドラマの原作チックだな」と思いながら読みました。雑誌連載をまとめたもので、ちょうど、一話分がテレビドラマ1回分になりそうな雰囲気。さして豊かでもない下級役人の家庭に子どもも含めて7人もの居候が転がりこんできて、ほのかな恋あり、家族への深い愛情あり、笑顔を絶やさない母さんの肝っ玉ぶりあり-と、毎回、様々な趣向がこらされている感じ。癒し系ストーリーなので、疲れた時にポっーと読むにはピッタリですが、なんとなく、パンチ力が足りないなぁ…と思っていたら、シリーズ第一弾を読んだ時の感想にも、同じような趣旨のことを書いておりました。

 そして、後半からは、なぜか、下級役人であるお鳥見役が重大な密命を担っていて、そのせいで、生命をも狙われる危険になるという、謀略・サスペンス物の様相を呈してきます。でも、「ほのぼの」なのか「謀略」なのか、どっちつかずの感じになってしまっていました。もしかしたら、小説として読むよりも、「金曜時代劇」みたいな感じで、テレビドラマにした方がしっくり来るかもしれません。主人公の珠世役は…沢口靖子で。そういえば、最近、めっきり、テレビで見かけません。

文楽地方公演@杜のホールはしもと・夜の部 (08/10/05)

2008年10月07日 | 文楽のこと。
文楽地方公演@杜のホールはしもと 夜の部 (08/10/05)

 個人的な注目ポイントは勘十郎さまが遣われる「御所桜堀川夜討」の母親・おわさ。国立劇場の9月公演の「一つ家」では、勘十郎さまは老女・岩手を遣われていましたが、岩手は、老女というよりも、スプラッターの色彩が濃く、ある意味、勘十郎さまチックな役柄でした。今回は、身代わりに取られようとする娘を思いやり、たった一度、契ったきりの父親に娘を合わせたいと願う、本当に、ごくごく普通の母親の役。初文楽の今年2月以来、勘十郎さまが“普通の女”を遣われるのを見るのは初めてで、ワクワク半分と、緊張半分(って、私が緊張してどうするんだ!?)でした。

 勘十郎さまといえば、ケレン味たっぷりの、メリハリの利いた、男役の印象が強いですが、どうして、どうして、娘を思う母親役も素晴らしい。実は、おわさが、若気の至りで、名も知らないままに一夜を共にした相手というのは弁慶で、娘は、おわさの目の前で弁慶(つまり父親)に殺されてしまうのです。その時のおわさの動揺ぶり、悲しみが切々と伝わってきました。そして、場面が移って、他の登場人物のセリフ部分になっても、部屋の隅にいるおわさは、ただの人形に戻ってしまうことなく、悲嘆にくれる母親として存在しているのです。さすが、勘十郎さま!!! わが娘と初めての対面する機会を目前に、顔を見ないうちに娘を殺さなければならなかった弁慶が、かなり、あっさりしていて、無感情に見えてしまったのとは、対照的でした。我がままだけど、「勘十郎さまの弁慶・簑助さんのおわさバージョン」を見てみたい-という願望を抱いてしまいました。

 失礼ながら「なんか、メンバーが地味!」と思っていた「傾城恋飛脚」は予想に反して、大人の雰囲気のステキな舞台でした。夜の部の〆に相応しい。派手さはないけれど、手堅い役者で固め、完成度高く仕上げた感じ。紋豊さんの忠兵衛がとってもよかったです。そして、嶋大夫さんの義太夫がホント、素晴らしい! 住大夫師匠は、私にとっては、もう、殿上人のようなお方で、超別格なのですが… 嶋大夫さんは現実世界にお住まいになっている大夫さんとしては、最高です。「聞かなきゃ!理解しなきゃ!意味わからない、床本どこ???」と必死にならずとも、スッーと耳に入ってくるのです。聞かなくても、自然と聞こえてくるし、完全に聞き取れていない部分があっても、大きな流れはわかるので、焦って気分が乱れることもない。ただ、声量があるだけではなく、聞き取りやすく、空気を包み込むような響きのお声も、世話物にピッタリと合っていました。そして、ここで、また、無茶な願望ですが、簑助さんの梅川も拝見したいものです。

 夜の部のオープニングを飾った二人三番叟は途中から「頑張れ~! 大丈夫か~!」と応援モードに入ってしまい、楽しむというよりも疲れました。主遣いさんのキレもイマイチでしたが、それ以上に、左・足が、もうグダグダ。人形よりも、人形遣いが目立っていたかも。三味線も、かなり、苦戦。必死なのはよくわかりましたが、それぞれが自分のことでいっぱいいっぱいになっていて、全体を俯瞰して見る余裕がある人がいなかった。
 今、思うと、相生座の三番叟は、本当に楽しかった。踊り手がトランス状態に入っていくので、見ている方も、自然と身体がうごいちゃう。立派なミュージカルに仕上がっていたんですね。今回は、踊る切ることに必死すぎて、トランスにはほど遠かったかなぁ。ま、実現しないとは思いますが、こういう基本の演目こそ、ベテラン勢を揃えたら、初心者にも音楽劇・文楽の楽しさが伝わるかも。

文楽地方公演@杜のホールはしもと (08/10/05)

2008年10月06日 | 文楽のこと。
文楽地方公演@杜のホールはしもと 昼の部 (08/10/05)

 相模原市の「杜のホールはしもと」で行われた、文楽地方公演に行って参りました。昼の部と夜の部をはしご。見どころ、聞きどころいっぱいで、とっても、とっても、幸せに満たされた一日でした。

 昼の部の見どころは、なんといっても、「一谷嫩軍記」で簑助師匠と勘十郎さまの最強師弟コンビの競演。時代は、源平の合戦激しき頃。熊谷直実は主の義経からの「後白河院の子を守れ」という密命を守るべく、敵方の平敦盛の首を取ったフリをして、実は、自分の息子の小次郎の首を差し出す。しかし、あくまでも差し出したのは「敦盛の首」であり、取り乱したりなどすることはできない。わが子に手を掛けねばならなかった直実と、その妻・相模の悲嘆ぶりがなんとも切ない。
 泣き崩れたり、涙を拭いたり-動きで、悲しんでいる様を表現することは、主遣いまで到達された方にとっては、是非モノというか、基本中の基本なのだと思います。でも、簑助さんの遣う相模は、涙など拭いたりしなくとも、もう、ただ、そこに佇んでいるだけで、悲しみで張り裂けそうなのです。わが子を失う、しかも、手を掛けたのは夫-という、これ以上無い母としての悲しみに必死で耐えている息づかいが聞こえてさえ来ます。
 動きのある場面ではこの上なく生き生きとしていても、動きの無い場面になった途端に、「ただの人形」になってしまう人形遣いさんが少なくありません。でも、簑助師匠が遣うお人形は、動きの無い場面でも、ちゃんと生きているのです。ちゃんと呼吸しているのです。ほんと、「国の宝」です。素晴らしい芸を見せていただいて、ただただ感動する一方で、ご高齢の簑助師匠の域に近づいている女形がいないことが、ちょっと不安になったり…。
でも、ともかく、簑助師匠の妻・さがみを拝見できてよかった!!
 もちろん、勘十郎さまの直実もステキ。武士ゆえに悲しみを表に出すことはできない、だからこそ、余計に悲しい気持ちが伝わってきました。勘十郎さまは、簑助師匠とはタイプが違うし、やっぱり、男役の方が本領と思うのですが、でも、人形に命を吹き込み、どうしよもないほどの存在感を与えてしまうという点では、まぎれもなく、師匠の技を引き継ぐお方と思います。お二人の競演を拝見できただけでも、来た甲斐がありました。物語のクライマックスということもあるのでしょうが…陣屋の段の後半の咲大夫さん・燕三さんも迫真でした。
 そして、景事の「紅葉狩」。清十郎さんの鬼女が力強く、狂気溢れていてよかったです。
 


運命の赤い糸? (08/10/05 文楽地方公演@杜のホールはしもと) 

2008年10月06日 | 文楽のこと。
運命の赤い糸? (08/10/05 文楽地方公演@杜のホールはしもと)

今年2月、人生・初文楽で狐・忠信の勘十郎さまに恋してから、8カ月。ついに、運命の赤い糸に手繰り寄せられてしまいました。本日、文楽地方公演@杜のホールはしもと(神奈川県相模原市)で、昼の部・夜の部のはしご。昼の部の終了後、1時間ほど時間が空いているので、お茶でもしようかと会場を出ようとすると…なんと、そこに、勘十郎さまが!!!! 手にした封筒をどなたかに渡そうとしているのか、人待ち顔。舞台の上とは違ってお着物姿でないので、観劇後のおばちゃま方にもほとんど気づかれることなく、話し掛けることが可能な雰囲気…。

ああ、お側に寄りたい!! でも、単なるミーハーファンが、キャァキャァ近づいていったらご迷惑かしら…? というか、迷惑がられる前に、膝が震えて近づけないよぉ!!! と、短い間に色々な思いが去来しましたが、「こんな幸運にめぐりあたるのは一生に一度かも」と覚悟を決めて、勘十郎さまのもとに歩み寄りました。

「こんにちは。私、あの、勘十郎さんの絵本太閤記の絵を買わせていただいたものです。お礼のお手紙まで頂戴してありがとうございました。感激しました!今日も、ステキでした!」。頭の中が真っ白になって、気の利いた言葉も思い浮かばず、思いっきり、ミーハーファン丸出しで話し掛けてしまいましたが、勘十郎さまは、迷惑そうな顔をすることもなく、優しい笑顔で応じて下さいました。ついつい、調子に乗って、「あの…握手して頂けますか?」。一応、「頂けますか?」と疑問文の形を取りつつ、でも、ほとんど「握手して下さ~い!!!!!」と懇願状態だったかも。戸惑いながら差し出された勘十郎さまの御手は、やわらかく、暖かかったです。

ま、まさか、憧れの君と握手していただけるなんて!!!! やっぱり、運命の赤い糸で結ばれているとしか思えません。握手しなくても、一生、ファンだけど、でも、今日の出来事で、ますます、のめり込んじゃいます。もちろん、公演での勘十郎さまも、ステキでした。それは、また、別項で。

「ストロベリーナイト」 誉田哲也

2008年10月04日 | は行の作家
「ストロベリーナイト」 誉田哲也著 光文社文庫 (08/10/04読了)

 誉田哲也氏は、最近、平積みになっている「武士道シックスティーン」「武士道セブンティーン」の著者である。「武士道」シリーズは、ちょっと気になるけれど…いきなり、ハードカバーに投資する賭けに出るのはもったいないなぁと躊躇していたところ。この文庫本を発見、お試しで購入してみたい次第。

裏表紙に「人気シリーズ、待望の文庫化始動!」とあります。シリーズの主役は警視庁捜査一課警部補・姫川玲子。スタイルの良い長身の美女らしい。交通課を振り出しに、一課刑事になることを目指して昇進試験をくぐりぬけ、28歳にして警部補になり、班長として年上の部下を持つ身。でも、超クールという感じでもなく、悩み、壁にぶつかり、けっこうカワイイところあるのです。というわけで、姫川玲子に対しては、かなり、好感持ちました。姫川班のメンバーも個性派揃いで楽しい。上司である姫川に寡黙に惚れる菊田。どうも、イケメンっぽい。でも、私のお気に入りは、ちゃらちゃらしながらも、菊田以上に玲子に惚れちゃっている井岡。玲子をちょっと持て余しつつも優しく見守る上司や、いかにもプロフェッショナルな感じの監察医の先生など、脇役たちもイケてます。

でも、捜査している“殺し”がイマイチです。なんか、あまりにも、非現実的だし、あまりにもキモち悪すぎ。そもそも、殺人事件というものは、一般人からしてみれば、どれも、尋常ではなく思えるのですが、この事件は、尋常じゃないのレベルが、ちょっと、ひどすぎる。いくらなんでも、ここまでは無いでしょう。非現実の度が超えると、なんか、小説としても楽しめず、突っ込みながら読んでしまって疲弊します。

玲子ちゃん応援したい気分なので、シリーズモノが文庫化されたら、もう一冊ぐらい読んでみようかと思いますが、それも、気持ち悪い系の事件だったら、パスかなぁ。「武士道」シリーズも、とりあえず、文庫待ちの方針。