おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「往復書簡」 湊かなえ

2011年01月30日 | ま行の作家
「往復書簡」 湊かなえ著 幻冬舎 2011/01/30読了 
 
 湊かなえの代表作である「告白」がアカデミー賞外国語映画賞の第一次選考に残ったことが話題になっていた。結局、ノミネートは逃したのだが…。私は映画を見ていないので、映像作品としての完成度がいかほどのものか知らないが、あんなに救いの無い物語が、世界から注目を浴びずに済んだのは却ってよかったのではないかと思う。

物語が全てハッピーエンドだったり、ハートウォーミングである必要はないと思うけれど、リアリティもなく、ただ、読者の予想を裏切るために不幸の連続や、不自然な犯罪が展開するストーリーはため息が出る。

 前置きが長くなったが、「往復書簡」もため息モノの一冊だった。タイトル通り、往復書簡形式の物語3篇。一つは高校の放送部の仲間が10年を経て過去の事故の真相を探るテ手紙のやりとり。高校教師が、小学校時代の恩師の依頼を受けて、恩師の夫が死んだ事故に居合わせた6人の児童のその後を追う。三つ目は悲惨な事件に遭遇した時の記憶を失っている女性が、遠く離れて暮らす恋人との手紙のやりとりを通じて、当時の記憶を取り戻すというもの。

 私の勝手なイメージでは、日テレの土曜夜9時ドラマ枠(って、今もあるのかな? 昔「家なき子」がこの枠でした)でやっていそうな、安っぽい不運・不幸・悲惨の連続って感じです。 それに、三つ目のストーリーで、ある犯罪の告白があるのですが…「おいおい、日本のケーサツをバカにしちゃいかんよ。そんな子供が思い付くような証拠隠滅を鑑識が見逃すわけないじゃん!!!」と激しくツッコミを入れたくなる。

 ああ、もう止めよう。要するに、私のシュミではないな-という、ただ、それだけのことです。


「センセイの鞄」 川上弘美

2011年01月27日 | か行の作家
「センセイの鞄」 川上弘美著 文春文庫 11/01/26読了 

 五十嵐貴久の「年下の男の子」がアラフォー・オバフォーのためのファンタジーとすれば、「センセイの鞄」は老年にさしかかりつつあるオヤジたちのためのファンタジーといったところだろうか?

 単行本としては2001年6月に平凡社刊(1997年~2000年まで文芸誌で連載)。ジュンブンガクの小説として記録的なヒットをしたそうな。特に、中高年のオジサマに人気があって、読みながらツツーと涙をこぼす人もいたとか(ホントか?)。

 三十半ばのツキコさんが、駅前の居酒屋のカウンターで1人で飲んでいると、偶然にも隣あわせたのが高校時代の国語の先生だった。担任ではなかったので、取り立てて親しかったわけではないが、何度も居酒屋で顔を合わせるうちに、会話を重ね、徐々に親しくなっていく。

 別々に注文し、別々に支払し、酒は手酌。特に一緒に飲む約束をしているわけではないので、1カ月も顔をみないこともあれば、連日のように顔をあわせることもある。2人とも相当にイケる口のようだ。時には、居酒屋が閉まった後に、先生の家で日本酒を飲み直すこともある。先生は元国語の教師らしく常に折り目正しい日本語をしゃべり、約20年の時を経ても「教師と生徒」の則を越えることはなく、礼儀正しく接する。
 
居酒屋のオヤジと連れ立ってキノコ狩りに行ったり、ちょっと離れた町で開かれる「市」に一緒に行ったり-と、ごくごくたまにイベントはあるものの、基本的には、居酒屋で時間を共にするだけ。お互いが、お互いことを好きだとわかっているのに、リスペクトフル・ディスタンスを保ったまま2年もの時間を、付かず離れずのまま過ごす2人。

2人で島に旅行に行った時、ツキコさんは「だって、私はセンセイのことが好きなんだもん」とついに思いを伝えるものの、センセイは煮え切らない。その後「交際」を始めるがセンセイは「私は長いあいだご婦人といたしことがございませんので、うまくできるか自信がありません。うまくいかなった場合、さらに自信を失うのがこわいのです」と言って、コトに至ろうとしない。

いい加減、イライラしてくる最後の10ページあたりで、どうも2人はようやく結ばれたらしいことを匂わせる記述がある。と、思ったら、先生は既に死んでしまっていました。清い関係2年、交際が始まって3年で先生は亡くなり、先生がツキコさんに遺言で残してくれたのは、先生がいつも持っていた鞄だった-というお話。

老年に差し掛かったオジサマにしてみれば、30歳も若い女性が飲み友達でいてくれるだけで、結構楽しいもんだろうし、ましてや、レンアイに発展しようものなら…って感じの夢を感じさせてくれるストーリー?

 でも、ツキコさんと近い世代の立場からすると…精進料理を2年間食べ続けるような恋愛って、退屈すぎて死にそうだ。私には、耐えられないな。

だいたい、ツキコさんの実在感の無さがハンバではない。一応、どこかに会社勤めをしているようだが、自炊らしい自炊もせず、毎日、早い時間から居酒屋で1人酒をして、休日に一緒にでかける友だちもおらず、近くにある実家にもろくに帰っていない。特にシュミもないようだし、センセイと偶然に再会しなかったら、この人は、何を拠り所に、何を楽しみにして日々の暮らしをしたのだろうか-。

な~んて、ツマラないツッコミを入れずに、耽美主義的世界を楽しむのがジュンブンガクなのでしょうか?
 
「センセイは寺尾聡、ツキコさんは和久井映見かなぁ」と頭の中で勝手に配役していたら、既に、映像作品化されているのですね。2003年のwowowのドラマで、主演は柄本明&キョンキョン。さすが、オヤジのファンタジーワールドを再現しているだけあって、ドラマもたくさんの賞を受賞していました。

「沖で待つ」 絲山秋子

2011年01月26日 | あ行の作家
「沖で待つ」 絲山秋子著 文春文庫 11/01/25読了   

 短編3編収録。表題作の「沖で待つ」は2005年の芥川賞受賞作。

【勤労感謝の日】
 私は表題作よりも、圧倒的に「勤労感謝の日」に脳天直撃されました。主人公はエロ上司にブチ切れした結果、会社で居場所を失くし、「自己都合退職」した36歳女子。

 職安に通ってみたものの、「自己都合退職」したような独身女に簡単に転職先が見つかるわけがない。同居する母親に生活費を入れることのできない自分をふがいなく思いつつも、でも、職を失う原因となった「攻撃性」をセーブする気はまるでない。

近所のおせっかいなおばちゃんが、38歳の一流商社マンを紹介してくれるが、とにかくこの男が気に入らない。顔も気に入らない、靴下のセンスが気に入らない、甘ったるいガムを噛んでいるのが気に入らない、手土産のお菓子も気に入らない(確かに、見合いの食事会に「もみじまんじゅう」はイカンです)。「ボクって会社大好き人間なんです」→【そんなに会社が好きならクダらない見合いなんてしてないで、土曜も日曜もなく365日働いてろ】 「近く海外転勤があるので結婚を考えるようになった」→【南極2号でもつれていけ。そのために開発されたもんだろ!】 心の中で唱える呪詛の言葉が心地よいほどにど真ん中ストレート。

男女雇用機会均等法のチョイ後世代。しかし、社会がまだ総合職の女子をどうやって扱ってよいものか戸惑っていた時代。気力はある、制度もできた、しかし、ソフトは整っていない- 歯車がかみ合っていないことに対する、持って行きどころのない不満。男が持つ無意識の優越感に対する侮蔑。そういうのが、全部、凝縮されている感じ。

今ドキの男の子は草食系と言われているが、女の子もこの10年、20年ぐらいでずいぶんとこギレイになったし、攻撃性が衰えたように思う。振り返ってみると、90年代はもっと向こう見ずで、乱暴で、でも、元気があった。そんな時代感まで漂ってくる作品です。


【沖で待つ】
私が絲山作品から感じるのは、やっぱり、「同時代感」なんだなぁ-と改めて認識。

就職して、共に福岡配属になった同期の「太っちゃん」との男女の友情物語。「同期って、理由もなく、ただ、それだけでいいよね」っていうのがすごく伝わってくる。  

2人は、どちらかが死んだら互いのPCのハードディスクを破壊する約束をかわし、壊すための道具と合鍵を預かる。家族にも恋人にも見られたくないもの。そして、約束した相手は、きっと、自分のヒミツを侵食することはないだろう-という絶対の信頼感。なんか、そういうのって、いいなぁ。

そして、予期もしない不慮の事故で太っちゃんが死んでしまい、泣きながら、PCを分解してハードディスクを壊すことになる。

決してお涙頂戴ではなく、親しい人との死といかに向き合うかを綴った心温まるストーリー。

そういえば、私も誰かにHDDの破壊を依頼しとかなきゃ。私のPCには何の産業ヒミツも入っていなければ、人に見られて困るような写真や動画もないけれど…でも、HDDって「その人の頭の中(心の中?)の写し(全部ではないけれど、確実に一部は)」みたいなものだなぁと思う。可能な状態であるならば臓器提供をしたいし、死んだ後に検死を受けることになっても特にイヤではないけれど、でも、心の中だけはほじくり返さないで、そっとしておいてほいなぁと思うのです。

【みなみのしまのぶんたろう】
「ぶんがくのさいのうもあって、まつりごともやっているしいはらぶんたろう」が主人公の童話風の物語。最初、てっきり、石原慎太郎をおちょくっているかと思いきや、結末は、いかにも普通の童話風。私にメタファーを読みとる力が無いだけなのだろうか??ほとんど趣旨が理解できない作品でありました。 

「間宮兄弟」 江國香織

2011年01月25日 | あ行の作家
「間宮兄弟」 江國香織著 小学館 11/01/25読了 
 
 昨年まで住んでいたマンションの下の階に男兄弟2人で暮らしている世帯があった。年の頃は…40代前半と半ばぐらい。礼儀正しく、エレベーターで会えばキチンと挨拶するし、駐車スペースもゴミ出しルールもキチンと守って誰に迷惑を掛けることもない。深夜に、シラフでコンビニの袋をぶら下げて帰ってくる場面に何度も遭遇したことがあるので、遅くまで仕事をしている人なのかなぁ―と思ったりもした。2人とも相撲取りになれそうなぐらい立派な体型なのだが、休日になると、よく軽自動車の運転席と助手席にギチギチに押し込まれるようにして2人で出掛けていくところにでくわした。

 ファミリータイプの分譲マンションで、小学生や中学生の子どもがいる世帯や、子どもが巣立って夫婦でペットと暮らしているような世帯が多かった。そんなところで、ガタイのいい中年男2人、何を思って暮らしていたのだろうか―。 な~んていうのは余計なお世話で、本人たちは気の合う兄弟同士、日々の生活を楽しんでいたのかもしれない。

 だから、「間宮兄弟」のような恋愛経験ゼロ、結婚の見通しゼロ、これ以上、傷つかないために兄弟が肩を寄せ合って暮らしているという設定が必ずしも奇想天外とは思わない。
だけど、この物語の中で圧倒的にリアリティがあるのは「間宮兄弟以外」だった。

 特に、間宮兄の唯一の友人でもある会社の同僚、大西賢太の妻・沙織の存在感がスゴイ。大西賢太は会社のずっと年上の女性と不倫していたことが妻に発覚し、離婚を切り出す。しかし、沙織は絶対に別れようとしない。「私だって、今さら、元通りになれないことは知っている」。そう、愛情など自分にだって残っていないのだ。しかし、別れれば、いやがおうでも、かつて、自分がその男を選び、愛し、日々を共にしたことを思い返さずにはいられないことが怖いのだ。愛情が底をつきても、惰性の日々を送っていれば、過去に目をつぶっていられる。

 沙織の言動には、同じ女としてゾクッとするというか…自分の醜い部分を見せつけられているような快感と不快感がないまぜになった感じがする。「残念だったわね。あなたを愛していた頃だったら、別れてあげたのに」―という言葉も真実味あるなぁ。愛情が無いから、別れるためにエネルギーを使う気力なんて湧いてこないのだ。そして、沙織に密かに思いを寄せる間宮弟を何のためらいもなく切り捨て御免に処するところも、納得する。

 ドランクドラゴンのツカジと佐々木蔵之介を主演にしてこの小説が映画化されたのが2006年(もちろん、見ていない)。当時は、まだ、「草食系」というこういう言葉はなかったと思うけれど、間宮兄弟は草食系の先駆だな。沙織みたいな、見た目はキレイだけど、実は怖い女の姿を見るにつけ、間宮兄弟はますます、恋愛から遠ざかっていくわけですな。

 平易な文章で、パラパラと読めて、暇つぶしには悪くない。直前に読んだ「男は敵、女はもっと敵」(山本幸久著)と同様に、キラキラと光るパーツはたくさん散りばめられている。でも、全体としての物語性というか、another worldに引きずり込まれるようになワクワク感には欠けているような気がする。


「男は敵、女はもっと敵」 山本幸久

2011年01月25日 | や行の作家
「男は敵、女はもっと敵」 山本幸久著 集英社文庫 11/01/24読了 

 文章のリズムは良いし、主人公の高坂藍子はエラい美人だけど、ちょっとワケありで、なにやら、面白げな設定である。不倫していた男が、いつまでも妻と離婚しないことにキレて、手近にいる中で最も冴えない男と結婚するものの、凡庸で刺激の無い男との暮らしにウンザリしてあっさり半年で離婚。こういうふうに衝動的に行動出来る人にはちょっと憧れるな(でも、好きでもない男と結婚するのは、やっぱり得策じゃない)。

 で、藍子の元不倫相手、元夫、元夫の新しい妻、不倫相手の元妻―それぞれの思いや、恋愛模様をアンソロジー風に綴っていく。パーツ、パーツは「上手いなぁ~」と激しく頷くところも多々あり。人間関係の機微って難しいんだよね~と思わされる。

 でも、全体のストーリーとしては散漫だし、面白みがイマイチですなぁ。物語としての醍醐味は最後までわからないままでした。「いったいこの人は何のためにここにいるの???」と聞きたくなるような存在意義がよくわからない登場人物もたくさんいた。

 どうせなら、藍子とその不倫相手ファミリーに絞った方が物語としては面白かったんじゃないだろうか。不倫相手の息子がなかなかいいキャラなのだ。そして、もとの鞘に戻ることはないけれど、一度は別れてしまった不倫男と元妻が新たなつながり方を見つけていくエピソードはステキだなと思った。この4人をメインプレーヤーにして同じぐらいの分量の原稿にしたら、グッと心に響いてくるような気がする。

 ついでながら、文庫版の最後に「オマケ」として収録されているストーリーには著者の代表作である「笑う招き猫」のメインキャラクターである女性漫才コンビが登場する。「笑う招き猫」を読んでいない読者は、「なんでここで漫才コンビが登場するのだろうか?」という唐突さに困惑するのでないだろうか?山本幸久ファンにだけ通じる(私はファンではなくて、たまたま読んだことがあったというだけ)内輪ウケっぽいネタふりは、なんか感じ悪いなぁ。まぁ、オマケだからいいけど…。


 ところで、「男は敵、女はもっと敵」なのだろうか? 少なくとも、ストーリーからはそんなニュアンスは微塵も感じなかった。

「純平、考え直せ」 奥田英朗

2011年01月23日 | あ行の作家
「純平、考え直せ」 奥田英朗 光文社 11/01/23読了 

 さすが、奥田英朗だけあって、もちろん、十分に面白いのですが…なんか、読後感がスッキリしませんでした。

 純平くん21歳。歌舞伎町にシマを持つヤクザ・早田組の下っ端。不幸な家庭に生まれ育ち、不良→暴走族→少年院とチンピラのエリートコースを歩む。子どもの頃から本当の居場所が見つけられずにいた純平くんにとって、歌舞伎町は自分を受け入れてくれる落ち着ける場所。ベビーフェイスで、ちょっと昔気質の仁義に篤い性格とあって、町ではクラブのお姉さんから、おかまちゃんにまで可愛がられる人気者。

 でも、純平くんは、可愛がられたいんじゃない。心酔する兄貴分みたいな、カッコイイ大人の男になりたいのだ。少年院ぐらいでは箔がつかない。本当の刑務所送りになって、ヤクザとして名前を上げたい―そんな風に考えていた矢先、組長から「鉄砲玉になってくれ」と指名される。そして、最後に娑婆の空気を満喫するため、「実行」の日まで、純平くんに与えられた休暇は3日。

 暴力団組員といっても、下っ端の仕事は電話版やカバン持ちがいいところ。自由な時間も、遊ぶカネもなく、窮屈な暮らしを強いられてきた。だから、その3日間こそが、純平にとっての初めての「青春」らしい日々。

 人が頼ってくれることの喜び、損得抜きで気遣ってくれる友だちのありがたみ、夢に向かって真剣に取り組む人の美しさ、年老いてなお青春を謳歌する老人の自由さ―純平くんは3日間に凝縮された青春の日々に、これまでにない様々な出会いをし、これまで感じたことのない感情を抱く。

 逆ナンして一夜を共にした女の子が、ネットの掲示板に「今、ラブホで一緒にいる男の子が来週、敵対する組の幹部を殺すと言っています。止める方法を教えて」と書き込んだことがきっかけで、純平君スレッドができてしまい、みんなが勝手な意見を言い合うという、いかにも、今ドキっぽいエピソードも盛り込まれているのだが、結果的には、このサイトは純平くんには、何の影響も与えなかったということなんだろうなぁ…

 歌舞伎町のヤクザという、ちょっと特殊な世界を描きながら、現代人の誰もが抱える孤独と、ほんのちょっと今までの世界から外に足を踏み出してみれば、孤独から抜け出す方法はあるという普遍的なテーマなような気もします。

 でもなぁ。なんか結末が腑に落ちないのです。いや、まあ、ある意味リアルな結末なのかもしれません。でも「えっ~。で、その後、どうなるの???」という疑問は残る。疑問は、読者の妄想で勝手に埋めればいいのかもしれないけれど…ううううう、やっぱり、もうちょっと、希望の光が見えるようであってほしかったなぁ。

「チーム」 堂場瞬一

2011年01月21日 | た行の作家
「チーム」 堂場瞬一著 実業之日本社文庫 11/01/20読了  

 極めて秀逸。めちゃめちゃ面白かった。半分ぐらい読んだあたりで「フィナーレは絶対泣いちゃうよ~」と予感しました。フィナーレどころか、朝の通勤電車で涙ぐんでいた私。もう、まんまと作者の術にハマって、ドキドキ、ウルウルでした。

 箱根駅伝に出場した学連選抜チームの物語。「箱根駅伝」は直前に読んだ「RUN! RUN! RUN!」と同じテーマですが、人物の描き方、物語の完成度が雲泥の差でありました。

 確かに、箱根駅伝を見ていて、学連選抜チームの選手たちは何を糧にして走るのだろうと思っていました。個人の能力は低くないのに、所属する大学としては駅伝への出場を果たせなかった選手たち。学連選抜チームの中で、自分の担当する区間で好成績を納められればそれでよしなのか。それとも、急ごしらえのチームであっても「チームとして勝ちたい」という思いがあるのか。それとも、やっぱり、所属大学への思いばかりが胸にあふれているのか…。そのあたりの心理描写がたくみ。

 選手ばかりでなく監督やコーチたちも複雑な思いを抱えている。自分の大学チームを箱根に導けなかった予選会11位の監督が学連選抜の監督を務め、どうやって、チームをまとめていくのか。

 そして、何よりも、走っているシーンが素晴らしい。他チームの選手との駆け引き、大舞台で舞い上がってしまっている自分、古傷が痛み弱気になってしまっている自分との戦い。後ろから迫ってくるライバルたちを振り返りたい衝動をどうやって抑えるか、上り坂から下り坂への切り替えでいかにフォームを修正するか―。名実況を聴いているかのごとく、いやいや、間近に選手の足音や息づかいが聞こえてくるかのようにリアルなのです。

 三浦しをんの「風が強く吹いている」を余裕で超えて、駅伝小説ぶっち切りのナンバーワンです。

「RUN! RUN! RUN!」 桂望実

2011年01月19日 | か行の作家
「RUN! RUN! RUN!」 桂望実著 文藝春秋社 11/01/19読了 
 
 「嫌な女」がメチャチメャ面白かったので、桂望実again―と思ったのですが、これは駄作だなぁ。人物設定が甘いし、肝心のところを書き込まずに「そして、12年後」みたいなずるいタイムワープ使っていて好感が持てなかった。

 新設大学の陸上部を舞台に、箱根駅伝をテーマにしたストーリー。というと、三浦しをんの「風が強く吹いている」(新潮社)を彷彿させるが…「RUN! RUN! RUN!」の主人公である優はかなりイヤなヤツだ。

 恵まれた家庭に生まれ育ち、何不自由なく陸上に打ち込み、高校時代から抜群の成績で注目され続けてきた選手。かつて箱根駅伝の2区を途中棄権した父親が叶えることができなかった夢を背負い、箱根駅伝の区間記録達成、ゆくゆくは五輪選手となることを目標としている。

 才能があるのだから特別扱いされて当たり前―という協調性マイナス圏の超自己チュー男が、自らの出生のヒミツに疑問を持つようになったことをきっかけにして少しずつ大人になっていく。そして、不本意ながら補欠選手のサポートに回ったことをきっかけに、チームワークとは何か、仲間に支えられるとはどんなことなのか―遅ればせながら学んでいく。

 こんなふうに書くと、とってもいいストーリーのように聞こえるが、なにしろ、この主人公の冷血無比ぶりがあまりにも現実離れしすぎていて、リアリティがないのです。もちろん、駅伝に限らず、トップアスリートになる人はどこかしらナルシストな側面を持っていると思う。でも、幼少期から厳しい練習を積んできたトップアスリートたちは、大人になるまでの間に集団行動やチームワークを徹底的にたたき込まれているので、本心はともかくとして、ここに描かれていた優ほど血の通わない行動を取ることは考えられない。

 それほどエキセントリックに優を描いておきながら、「そして12年後」になると、なぜか、とってもいい人になっているのが唐突な印象だった。優が血の通う人間になったのならば、それはそれで結構なことです。だとしたら、優が変わっていく軌跡こそが「物語」なんじゃないかと思うのです。 優とそのファミリーのエキセントリックぶりに軸足を置きすぎて、肝心の物語は「そして12年後」でお茶を濁した印象。 物語の重心を置く位置を変えるだけで、すごくステキなストーリーになったのではないかと思います。
 


「年下の男の子」 五十嵐貴久

2011年01月18日 | あ行の作家
「年下の男の子」 五十嵐貴久 実業之日本社 11/01/18読了 

 シングルのアラフォー・オバフォー女子が大量発生している現代社会のお伽噺。

 タイトルそのまんまの物語である。そういえば、昔、キャンディーズが歌った「年下の男の子」という曲が流行っていた。時代が変われど、カワイイ年下の男の子との恋愛は、女子にとって、ちょっとした憧れなのかもしれない。

 ただ、この物語では「年下」っぷりが半端ではない。乳業メーカーの広報課に勤める普通のOL晶子37歳。取引先の小さなPR会社の契約社員・児島くん23歳から猛烈なアタックを受ける。年の差14歳。そりゃあ、余程、お目出度い人間でもなければ、「若造にからかわれている」と思うのが普通だ。

 たとえ気分は18歳のままでも、どんなに若作りをしたとろで、アラフォー女は、自分が所詮アラフォーであることを自覚している。肌のハリはどんどんと失われ、腹の肉はたるむ一方。髪の分け目に白髪を発見し、小さな文字を読む時についつい書類を手元から遠くに離す自分に日々、ウンザリしているのだ。

 それなのに、児島くんは懲りずに、何度でも、そして、本当に純粋にアタックしてくる。『こんな若くて、カッコよくて、気持ちのいい青年が本当に自分のことを好きになってくれたら、どんなにステキだろう。私だって、児島くんのことは憎からず思っているのだ。でも、世の中、そんな上手い話しがあるわけはない。若者にはもっと魅力的な選択肢がいっぱいあるのに、好きこのんでこんなオバサンと付き合う必要なんてないじゃないか』―オバフォーの私には揺れる晶子の気持ちは痛いほどよくわかる。もっと生々しいのは、児島くんと付き合い始めた後の、晶子の心理描写だ。幸せな分だけ、それを失った後の恐怖にさいなまれてしまうのはリアルとしかいいようがない。

 それにしても、作家ってスゴイよなぁ―と改めて思う。著者は1961年生まれ、ということは50歳に手が届かんとする立派なオッサンである。以前、奥田英朗の短編集(確か「ガール」だと思う)を読んだ時に、「奥田さんって、実は女?」と、真剣に疑ってしまったが、ここまでアラフォー女を描ききる五十嵐貴久もタダモノではない。

 と、絶賛しつつも、物語の結末があまりにも乱暴すぎてガッカリ。さすがお伽噺だけあって、アラフォー・オバフォーが夢見る気分を楽しめるハッピーエンドという立て付けにはなっている。しかし、時間切れ寸前、反則まがいの力技で無理矢理一本をとりにいくような、美しさに欠ける結末だった。月刊誌の1年連載なので「どんなことがあっても、とにかく、あと1回で終わらせなきゃいか~ん」という縛りがあったのだろうけれど…それにしても、ちょっと、情緒に欠けるなぁ。

で 、まぁ、現実にはそんなお伽噺のような話がしょっちゅう起こるわけでもないのですが…こんなあり得ない夢を栄養にしながら、オバフォーはたくましく生きるのです。

「イッツ・オンリー・トーク」 絲山秋子

2011年01月17日 | あ行の作家
「イッツ・オンリー・トーク」 絲山秋子著 文藝春秋社 11/01/17読了 

 はからずも、フィナーレでグッと来てしまった。

 今まで、芥川賞系の作品って、今一つ、心揺さぶられないというか…私のシュミじゃないな―と思うことが多かった。表題作品の「イッツ・オンリー・トーク」も、客観的には「上手いなぁ」「こんな複雑な感情を、こんなシンプルなフレーズで言い表せるなんてスゴイ」と心打たれつつも、物語の中に強烈に引きずり込まれる臨場感はなくて、ちょっと物足りない印象。

 ところが、併録されている「第七障害」という短編には思い切りハマりました。静かに、淡々と展開する物語で、強烈な吸引力は感じなかったけれど、気づいたら、私は向こう側の世界にいました。
 
 「第七障害」とは、馬術の障害競技の7番目の障害。主人公の順子は競技の途中で、障害の飛越に失敗して、馬共々、派手に転んでしまう。前脚を骨折した馬は、競技馬として復帰することができないばかりではない。3本の脚で立とうとすれば体のバランスを崩し、他の脚にも負担が掛かって痛めてしまい、結局は生きていくことができない。転倒事故の直後、馬は安楽死処分に処された。

 「自分のせいで馬を死なせてしまった」。順子は、罪悪感から、それまで済んでいた群馬の地から逃げだし、つきあっていた男からも逃げだす。でも、逃げても、逃げても、罪悪感が薄れることはない。罪と向き合うことでしか、罪悪感から解放されることはないのだ。
 
 順子の再生の物語であり、順子を再生に導く乗馬仲間で4つ年下の篤との純愛の物語でもある。

 ある意味、予定調和な結末であり、多くの読者が予想するであろう通りのあまりにも普通のハッピーエンド。それなのにジワリとした幸福感に満たされる結末だった。有川浩のベタアマ物語以外で、純愛ストーリーにこんなに素直に心揺さぶられたのは初めてかもしれない。