おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「其礼成心中」の2000円の公演パンフレットは高いのか?

2012年08月31日 | 文楽のこと。

三谷文楽・其礼成心中の公演プログラム

  小心者の私は2000円を払って公演プログラム(いわゆるプログラムと床本の2冊セット価格)を買うべきか否か、正直、躊躇した。チケットが7800円でプログラム2000円って、合計1万円じゃん!文楽の定期公演のプログラムは600円だったかな…3倍以上の価格だよ!

  でも、結論から言うと、買って大正解! 絶対額としてのプログラム2000円はちと高いような気がしないでもないけれど…でも、それだけの価値があります!「其礼成」という作品が何を伝えたいのかというメッセージがぎっしりと詰まったプログラムであり、プログラム自体が1つの美しい作品になっているのです。

  特に、三浦しをんによる巻頭エッセイと三谷幸喜インタビューには泣けました。何度読んでも、涙が出てくる。これを読むと、どこぞの市長と公開討論するのしないのと揉めている場合ではなくて、まだまだ、文楽界がやるべきこと、できることはたくさんあるように思えるのです。

  なぜ、江戸時代に書かれた戯作が現代人の心にこれほどまでに響くのか-熱烈な文楽ファンにとっては言わずもがなことかもれしない。時代を経ても人間って本質的には変わらない。愚かだけど一途で、一所懸命で、愛おしい登場人物たちに自分を重ね合わせ、共に喜んだり、悲しんだり、心ときめかせたりする。

  でも、未体験の人にとっては、文楽は小難しくて、高尚そうで、ちょっとかび臭そうな世界に思えるのです。そういうニューカマーたちに大上段から伝統の重み、芸の厳しさを語っても、ますます敷居をまたぐ気力を削いでしまう。そうではなく、平易な言葉で文楽の世界の扉を開けてみるように誘い、中に入ってきた人には、もう一歩、さらに一歩奥へと足を進めてもらうように仕組むのが正しい戦略ではないでしょうか。

 にしては、国立劇場・国立文楽劇場のプログラムは、あまりにマンネリで、メッセージ性に乏しいです。もちろん、ほぼ1カ月おきのペースで定期公演を打ち、そのたびに公演プログラムを制作するご苦労は計り知れないものがあると拝察致します。

  でも、毎回、「なんのこっちゃ!?」と突っ込みたくなる「あらすじ」って、意味があるのでしょうか? 文楽特有の込み入った人間関係を限られたスペースで説明するのは確かに難しいとは思いますが…それにしても、観客の立場に立ってみたら、もうちょっとわかりやすい文章にしないと伝わらないって気付いてほしいです!

   そして、「これって、10年以上前ですよね?」って写真を並べた出演者紹介もどうかと思います。脂の乗った技芸員の皆様方の若かりし頃のお顔もステキですが…でも、やっぱり、出演者紹介の趣旨って、昔を懐かしむことではないですよね? 一年に一度、技芸員さんの今の姿・表情を切り取った写真に差し替えることはそれほど難しいことではないと思うし、なによりも、それ自体が貴重な記録になると思うのです。若い技芸員さんがどんなふうに成長していくのか、ベテランの方々がどんなふうに円熟していくのか、後になって振り返る楽しみもできるのではないでしょうか。

   ここは思い切って、有志のプログラム制作委員を募って、一度、観客の目線でプログラムを作ってみるぐらいのチャレンジをしてみるというのはどうでしょうか。文楽ファンはなぜ、たかだか人形劇にこれほど胸をときめかせてしまうのか―その原点に戻ることで、ファン層を広げ、もっと深みにはまらせるようなメッセージある公演プログラムがきっと作れると思うのです。もちろん、プログラム制作委員の応募があれば、エントリーしますっ!!

   話が少々、脱線致しましたが…ともかく、「其礼成心中」の公演プログラムにも、学ぶことがたくさんあると思いました。そして、三谷幸喜の文楽に対する愛情と、敬意と、脚本家・演出家としてのプロフェッショナリズムに最大限の拍手と感謝を送りたいです。


三谷文楽「其礼成心中」@パルコ劇場

2012年08月15日 | 文楽のこと。

三谷文楽・其礼成心中@パルコ劇場 2012/8/12

 鳴り物入りの三谷幸喜初演出・脚本の「文楽・其礼成心中」を観た。「それなり」にではなく、「かなり」面白かった!

 幕が下りたあとに観客席から起こった温かい拍手と、カーテンコールで登場した技芸員の皆さんの晴れ晴れとした表情とが全てを物語っていたと思う。作者と、演者と、観客の心が通じている舞台って、なんだか、とっても心が満たされる。

 まずは、三谷幸喜の才能とセンスに最大限の敬意を! 

 開演前に丁稚風の三谷幸喜人形が登場!火災や地震が発生した場合には係員の誘導に従って避難するようにとか、携帯電話は電源を切るかマナーモードにしましょうとか…注意事項を説明してくれます。通常であれば、型どおりの事務的な館内放送で済ませてしまう部分にも手抜きはない。小ネタが色々詰め込まれていて、のっけから、観客を楽しませようという意気込みが伝わってくる。

  「其礼成心中」は、大ヒットした近松の「曽根崎心中」後日談を描いた物語。主人公は曽根崎心中人気にあやかり、一儲けを狙う団子屋の夫婦。

 これからご覧になる方もいるやもしれないので、物語の詳細については書きませんが、「いかにも三谷幸喜!」的な巧みな物語構造が築きあげられており、随所に隠された仕掛けが全部連携していて、最後に、ストンと胸に落ちる。三谷幸喜の文楽に対する敬意、近松というストリーテラーに対する敬意、曽根崎心中という作品への深い理解があってこそ「其礼成心中」が成立しているのだと心に響いてくる。

 といっても、声高に賞賛したり、説教臭く解説するわけではない。劇中、何度となく、会場から笑いがまき起こる。思わずクスッだったり、トホホと笑ったり、大爆笑したり…でも、最後に大切なメッセージが伝わってくる。「せや、お客さんが喜ぶのが一番や!そういう芝居を書くのが、わしの仕事や!」という近松の短いセリフに全てが集約されているようだった。今も、私たちをこれほど楽しませてくれる近松門左衛門という稀代の戯作者への賞賛であり、三谷幸喜という劇作家の信念であり、そして文楽界への熱いエール…なのだと思う。

 演出もオリジナリティーに溢れている。文楽ではお馴染みの「床」は舞台の上にある。つまり、大夫と三味線が人形を見下ろすような位置にいるのだ。初めて文楽を観る人にも、大夫を舞台の上に配置とすることで、大夫が物語のナビゲーターであることが一目瞭然に理解できる。呂勢さん、千歳さんがノッて語っているのが伝わってきて、すんなりと物語の中に入っていける。

 セリフの中には、カップル、タイミング、パトロール、ラストなどなどカタカナ言葉が散りばめられている。でも、それが違和感なく、ちゃんと義太夫節に溶け込んでいるのです。きっと、「けしから~ん!」とお怒りになる方もいると思うのですが、こういう試みも悪くないと思います。大切なのは、お客さんを楽しませて、もう一度、劇場に足を運んでもらうこと。初めて観た文楽が難解な歴史ものだったがために、二度と文楽を観たいと思われなくなってしまうよりも、平易な言葉で文楽の面白さを知ってもらい、「次は古典を見よう」と思ってもらえたら、それでいいのです。

 舞台装置では淀川の見せ方が面白いし、すごくワクワクした。本公演でも参考になるのではないだうか。日高川を是非、この仕掛けで観てみたい!

  と、いいところを色々と挙げてみましたが、手放しで絶賛モードというわけではありません。若手中心ということもあって、主遣いはともかく、左と足がかなり綱渡り状態。人形に厚みがないというか、ペシャンとつぶれてしまっていたり、手があらぬ方向にいっていたり、足がついていけずに遅れたり、小道具がちゃんと掴めていなかったり…とハラハラする場面多数。

 国立劇場よりも広い会場なのでやむを得ないとは思いますが… 2時間ぶっ通しでマイクを通して義太夫&三味線を聴くのは、かなり、しんどい。やっぱり、生声・生三味線の素晴らしさに変わるものはないし、あと、集中力を維持するためにもせめて10分ぐらいの休憩入れてほしかった、などなど。もちろん、脚本ももっと練る余地はあると思うる。

 でも、総合すると、やっぱり面白かった。やっぱり、みて良かった。まだまだ文楽にはとてつもない可能性が残っているし、もっと多くの人に文楽の面白さを知ってもために工夫の余地はたくさんあるという希望が湧いてきた。

 橋下徹大阪市長が打ち出した文楽協会に対する補助金カット問題で、三谷文楽には予想以上の注目が集まったようだけれど… 橋下問題と直結させなくとも、この舞台、文楽界にとっては価値あるチャレンジだったのではないかと思います。

  こういう公演を主催できるパルコ劇場ってスゴイ! 国立劇場にも、この気概が欲しいなぁ。伝統を守るのももちろん大切。だけど、芸能は観る人がいてこそ成り立つもの。伝統を守るためには、新しいファン層を獲得していかなければならないし、そのためには、入口の敷居を低くしておくのも1つのやり方。一度足を踏み入れた人を、どんどん深みに引きずり込んで、2度と出られないようにすればいいだけのことです。新しいチャレンジをすることは伝統をないがしろにすることではないし、其礼成の近松さんか言っている通り、「お客さんが喜ぶのが一番や!」なのです。

  この公演がパルコ劇場だけで終わってしまうのはもったいない。国立文楽劇場は三顧の礼で三谷文楽を招待すればいいのに。きっと、大阪人は東京の人よりもっと大笑いするハズ。私が観たいのは、「其礼成」と「曽根崎」の二本立て。曽根崎で大笑いしたあとに、簑助師匠のお初にうっとりできたら、どんなに幸せだろう!敷居を低く「其礼成」で集客し、「曽根崎」で深みにはまらせる―戦略としても悪くないと思う。

  近松ほど歴史に残るかどうかは定かではありませんが、三谷幸喜と言えば、今の時代の指折りの劇作家であることは疑いの余地のないこと。誰でも、三谷ドラマや三谷映画の1本や2本は観たことがあるほどの有名人。文楽界として、これを利用しない手はないでしょう。もっとベテランの技芸員の人たちが出てもよかったのに。そうすれば、「其礼成」が文楽初体験の人たちに、もっと美しい左手、もっと人間らしい足を見せられたのに…。

  公演の最後、カーテンコールに応えて、技芸員の皆さんと人形ちゃんが出てきてくれるのが嬉しい。お人形ちゃんたちが一人一人ご挨拶のお辞儀をした後に、大夫、三味線に手を向け、そこで、客席から再び拍手が起こる。通常の公演では、無表情に舞台を去っていく三味線さんが、満面の笑みで観客席に向けて手を振ってくれる。

  相生座や内子座の公演でもカーテンコールがあったが、本公演では絶対にやらない。なぜだろう? ファンなんてバカなものなのです。何十度舞台を観ても、やっぱり、人形に手を振ってもらうと嬉しいし、劇中ではクールな技芸員さんたちが芝居が終わった後の笑顔を見せて下さるのは、「ああ、いい芝居だった」と共に感じあえているような気分になれる。本公演ではカーテンコールはやらないなん慣例は堂々とやぶってしまえばいいのに。「お客さんが喜ぶのが一番や!」ただそれだけです。

 ということで、観劇の感想はだいたいこんな感じ。

 でも、もうちょっと言いたいことがあるので、また、それは数日中にアップします。

 


杉本文楽 @ 神奈川芸術劇場

2011年09月13日 | 文楽のこと。

杉本文楽@神奈川芸術劇場 2011/8/14 (もう、一カ月以上も前!

 

杉本博司氏演出による文楽・曽根崎心中を、今年オープンした神奈川芸術劇場で見た。もともとは3月に上演される予定だったものが、震災の影響で延期。そう、あの頃は、計画停電があったりして、首都圏も混乱のさなかにあったんですよね。延期になってチケットの値段が上がりました。芸術劇場のこけら落とし公演として補助金が出る予定だったのが、年度が替わってしまったので出なくなったとか…。興行主の都合で延期したわけではないんだし…ホント、お役所って融通効かないなぁ。

 

劇場の中はとっても今っぽくてステキでしたが、自分の席にたどりつくまでの動線がイマイチ。大ホールは建物の510階部分で、5階まで遅くて狭いエスカレーターで上がらなくてはいけない(一応、エレベーターもありましたが…)。劇場のキャパに対して入場口が狭いし、チケット切ってもらったあとにそれぞれの席に近いドアに向かうための動線もしっくりこなかった。「建物そのものがアート」という発想で、キレイに作られているのですが、利用者の快適さもアートの一要因に加えてほしいな…という感じ。

 

国立劇場・国立文楽劇場での定期公演とは違って、演出家・杉本氏とのつながりで見に来ている方も多かったようです。定期公演の時よりも、なにか、華やいだ雰囲気…というか、おしゃれな人が多かったし、いい匂いがした。 

 

さて、肝心の公演は…。杉本氏が新しい試みとして文楽の演出をする以上、定期公演と同じ曾根崎をやっても意味がないわけで、色々と、斬新な試みがありました。観音めぐりでお初の横顔や、寺の名前が映像で映し出されたり…。

 

「面白い!」と思ったのは、舞台の奥行きを使っていたところ。通常の公演での登場人物の動きは、圧倒的に上手(かみて)と下手(しもて)を結ぶ線にそったものが大半を占めていて、わりと平面的な印象なのですが、杉本文楽は三次元。舞台奥からお初が歩いてくると、だんだん顔の輪郭がはっきりして、表情が見えてくる。見るモノに「近づいてくる」という感覚は新鮮でした。ただ、私はたまたま前の方の席だったから臨場感を味わえましたが、あの大きなホールの後方の席の人には、近づいてくる実感も湧きづらいし、そもそも、人形の表情が見えなかったかもしれないなと思います。

 

天満屋の段の暖簾の美しさが際だっていた。通常の文楽公演でも暖簾はしばしば出てきますが、所詮小道具は小道具という程度の存在。しかし、杉本文楽では有無をいわさぬ存在感。鮮やかな緋色が「郭」という別世界を象徴しているようでもあり、こういう斬新な表現の仕方もあるのだな―と思いました。

 

手すりなしで、人形遣いの足元までオールスルーで見せていたのも新鮮。主遣いも高下駄を履かずに草履だったので、その分、足遣いさんはいつも以上にキツかったのではないでしょうか。さらに、小道具を出す人も、なるべく観客の目に触れないようにいつもとは違う動きを強いられたと思います。定期公演でこういう演出を取り入れることはないだろうし、その必要もありませんが、でも、普段は見えないところが見えるというのは、面白い趣向でした。ただ、それが、心中の物語の演出として必要な要素ではなかったと思います。

 

 他にも、「パーツ」としては興味深いことはいっぱいありました。でも、正直なところ、1つの物語として、作品として、心に迫るものがあったか―というと、そうでもなかったなという印象なのです。

 

 例えば、嶋さんと清治さんという、本公演ではありえない組み合わせの床―始まる前は「いったい、どんな物語を紡ぎ出してくれるのだろうか」というワクワク感がありました。清治さんのナイフのように鋭い三味線の音色に、嶋さんの情感たっぷりの語り、共に、独自の世界を持った二人がどのようにぶつかり合い、高めあうのだろうか―。でも、実際のところは、激しいぶつかり合いもなく、譲らない二人(私の勝手な想像ですが…)が、ほどほどに大人の妥協をしていて、切なさも悲しさも響いてこない。

 

 そもそも、清治さんが三味線を弾くのにメガネをかけているというのが、なんとも違和感でした。今回は、新しい作曲をした部分もあり、慣れ親しんでいる曾根崎とは違うので譜面を見ながらの演奏。清治さんだけではありません、みんな譜面を見ているから、観客からは三味線さんの頭頂部ばかりが見えてしまう。個人的なシュミですが、やはり、床の上にいる人は、シャキッと背筋が伸びて、キリリとした表情でいらっしゃるのがカッコエエのです。

 

 そして、これは言っても詮無きことですが、やっぱり、ナマ音の文楽をやるには天井が高く、会場が広すぎ。大夫の声も、三味線の音もなんとなく拡散して迫力がなかった。

 

 細かい部分は、いちいち挙げていても切りが無いし、あまりにも個人的なシュミの問題ではありますが… 「最初」と「最後」だけはメモしておこう。

 

本公演、地方公演で何度も曾根崎を観ているけれど、何度観ても、私は「はすめし」屋の窓辺にお初の横顔が見える登場シーンが大好きなのです。中盤以降、2人が心中へと追い込まれていく展開の中では、お初は「度胸の据わった姐さんキャラ」として描かれていますが、「はすめし」屋のシーンだけは、徳兵衛が好きで好きで仕方ない恋するカワイイ女。恋するお初を見て、一緒に、胸がキュンとしてしまいます。でも、今回の舞台では、お初の「カワイイ」面はほとんどなかったなぁ。ずっとクールなままなのが物足りなかった。

 

私の中のbest of 曾根崎は、20102月公演。天神森でいよいよ心中しようとする場面。2人の身体を結びつけるための長い紐を作ろうとしていて指を切ってしまったお初を気遣う徳兵衛。これから死ぬ2人が指先の血におろおろし、最後の「生」を確認するのが痛々しくも、エロチックだった。そして、お初を固く抱きしめて、自らの首に刃を当てる徳兵衛。2人が息絶えた瞬間、会場は無音となる。大夫の声も、三味線もない。観客も、拍手をすることすら忘れて、あまりの美しさと切なさに息を呑む。

 

今回は、2人が死んだ後も、鳴り物が続いていた。個人的には、全編を通して、そこが一番、興ざめだった。「無音」、それこそが、死を象徴するのに…。それに、お初が指を切る場面、あったっけ? 思い出せない。少なくとも、エロチックには描かれていなかったと思う。2人の死をせかすような寺の鐘の音もなかったな。

 

「結局、文楽ファンって、コンサバなんじゃん!」と言われれば、「おっしゃる通りです」と言うしかありません。でも、杉本文楽を見たことで、「いつもの本公演でやっている曾根崎って、めちゃめちゃ完成度が高いんだっ!」てことがすごくよくわかりました。他者として、客観的に、美しい装置、美しい舞台を見ているのではなく、いつの間にか、物語に引きずり込まれ、感情移入せずにはいられないように、長い年月かかって作り込まれてきているのだと思います。お初の横顔にしても、鐘の音にしても、その全てが、観客を物語に引きずり込むためのフックなのです。

 

その「良さ」が当たり前になってしまうところを、杉本文楽という新しい刺激を得たことで、「良さ」を再認識できた意味は大きいと思います。今後の本公演の曾根崎がさらに磨き込まれていけば、文楽ファンにとっては嬉しいことです。そして、杉本文楽で文楽デビューした人が、本公演の面白さを知ってくれれば、なお、素晴らし!

 

 最後のカーテンコールで、簑師匠が登場した時、黒衣の裾の部分に、小さな赤い飾りが付いているのが見えた。お茶目っ! 最後にそれが見れたのが嬉しい気分で、会場を後にしました。

 


「義経千本桜」 @ 国立劇場・2月文楽公演

2011年02月16日 | 文楽のこと。
義経千本桜 @ 国立劇場・文楽2月公演

 「演目は義経千本桜」と聞いた瞬間から、勝手に「道行&河連法眼館」と思い込んでいました。「渡海屋大物浦&道行」であることに気付いたのは、ほんの1週間ぐらい前。「空飛ぶ勘十郎さまを見れる~♪」と信じ込んでウキウキしていたので、ちょっとシュンとしておりました。

 でも、「渡海屋大物浦」は、ストーリーがしっかりしていて、滅び行くものの哀れを感じさせる見応えのある段。派手なアクションで観客のハートを鷲掴みにする「河連法眼館」とは、また違った魅力いっぱいでなかなか楽しめました。

 壇ノ浦の戦いで死んだハズの平知盛が実は生きていて、船宿の亭主に身をやつして、義経がやってくるのを手ぐすねをひいて待ち構えている。天皇の乳母が船宿の女将、天皇は一人娘になりすましているというのだから、平家はなかなかの役者揃いということか。あっ、でも、結局は義経に全て見抜かれているのだから、やっぱり大した役者じゃないのかもしれないけれど。

 やっぱり、こういう正統派のイケてるお侍さんは、玉女さんのはまり役ですね。しかし、途中、海渡屋銀平(実は知盛)が、うだうだと独白をする場面があって、その場面は眠気には勝てずにしばし沈没。切場で、再び、覚醒。やっぱり、私は燕三さんの三味線が大好き。平家滅亡の場面に、燕三さんの三味線のどっしりと重た~い響きはベストマッチです。聴き惚れました。

 最後に知盛が碇を身体に結びつけて自害する場面で幕を閉じるのですが、ここが、まるでスローモーションで海に落ちていくような演出なのです。コレって、映像技術の影響ってことなのでしょうか? もしも、ムービーカメラが無い江戸時代からこうした演出をしていたのだとしたら、すごく斬新だったんだろうなぁ…などと考えました。

 そして、最後の「道行」。これは、もう、どんなに言葉を尽くしても足りません。艶やかで、楽しく、美しく。「渡海屋」を見終わった時点で、結構、エネルギーを使い果たした気分だったのですが…やっぱり、甘いものは別腹なんですね。

 簑師匠の静御前が登場したとたんに、ウットリした気分に。「菅原伝授」の桜丸もステキでしたが、でも、やっぱり、簑師匠の遣われる女の子って別格なんですよね。らぶな勘十郎さまが遣われている忠信の存在をしばし忘れてしまうほどに、静にクギ付けになってしまいました。もちろん、お楽しみの狐・忠信の早替わりは、何度見ても楽しいし、勘十郎さまの狐ちゃんは、本当に生きているよう。子どもだましに100回騙されたいぐらい、この演目が好き!

 1日の締めくくりが、こういう後味のよろしい演目だと、とっても幸せな気分で「明日からも頑張ろうっ」と思えてきます。
 

「菅原伝授手習鑑」 @国立劇場・文楽2月公演

2011年02月15日 | 文楽のこと。
菅原伝授手習鑑 @ 国立劇場・文楽2月公演

 おなじみの寺子屋ではなく、今回は車曳き&桜丸切腹の段を中心とする場面。以前、素浄瑠璃で住師匠の桜丸切腹の段を拝聴したことがあります。住師匠自身も、大変、お好きな場面とういうことで、魂のこもった大熱演でしたが、「やっぱり、私は人形浄瑠璃が好きなんだ」と今回、再認識しました。もちろん、床が良いことが大前提なのですが、でも、人形があってこそ心ときめくのです。

 この演目の私的MIPは「車曳き」で梅王の芳穂さん! 病気休演の始大夫さんのピンチヒッターとしてのご出演でしたが、ピンチヒッターとは思えぬ堂にいった語りでした。ふくよかで、伸びやかな声が、私を物語の世界に引きずり込んでくれるのです。以前から、芳穂さんが滑稽な場面を語られるのが、本当に、楽しくて、楽しくて大好きだったのですが、笑いの場面ではなくても、とってもステキでした。何よりも、芳穂さんご自身が、物語の世界にどっぷりと入り込んで語っていらっしゃるから、安心して身を任せていられる―そんな感じです。

 そして「私的ベストドレッサー賞は玉也さんで決まり!」と、途中まで思っていました。「車曳き」の場面、松王を遣われた玉也さんの袴は、さわやかなグリーンと白のチェック。白地に鮮やかな松の刺繍をほどこした松王の衣装とのマッチングを考えていらっしゃるのだと思います。さらには、暴れん坊・松王のエネルギーが伝わってくるようでもありました。以前から、玉也さんのおしゃれな袴には密かに注目し続けているのですが、今回も、相変わらずステキなセンスでした。もちろん、お衣装だけではなく、メリハリの効いた松王の動きが小気味よく、一気に、ワクワクウキウキとハイな気分が盛り上がってきます。

 でも、最後の場面で簑師匠の桜丸が登場した時のあまりの美しさに、松王へのトキメキもちょっとだけクールダウン。簑師匠のお衣装は、淡く、落ち着いた紫の色調で統一。親や妻を残して死にゆくものの悲しみを象徴する一方で、散りゆく花の最後の艶やかさもあり、桜丸がそこに立っているだけで切なく、人生の不条理を感じさせられる。住師匠の語りも、素浄瑠璃で聴いた時以上に、心に響いて来ました。住師匠&簑師匠で「桜丸切腹の段」とは、なんとも有り難く・贅沢な公演でした。

 親・白大夫の70歳の誕生日の場面も楽しかったです。3兄弟の妻たち千代、春、八重の嫁トークが見所・聴き所。末っ子・桜丸の嫁で何をやってもドンくさい八重は可愛らしい。でも、それ以上に、勘弥さんの春の横顔の美しさ、呼吸している生々しさにキュンとなってしまいました。

 でも、ここで気になったのは、八重は振り袖に、赤い髪飾りで、まるで生娘のような装いなのです。そもそも、松王・梅王・桜丸も三つ子なのに、なぜか、松王はどっしりとした長兄らしく、桜丸は初々しい末弟の風情がありました。三つ子の妻たちであれば、年齢はそれほど離れていないであろうに、嫁女たちも、松王の妻・千代が叔母さま風なのに対して、八重はおきゃんな娘のようで、妙に年齢差を感じさせる演出なのです。でも、そのココロがどこにあるのかは、よくわかりませんでした。

 と、全般的には大満足の菅原伝授手習鑑でしたが、冒頭の「道行」はイマイチでした。富助さん率いる華やかな三味線軍団と、呂勢さん、咲甫さんの伸びやかな声まではよかったのですが…そのお2人以下の大夫さんのあまりにバラバラとした不協和音で、少々、出鼻をくじかれたような気分でした。

文楽12月公演 @ 国立劇場

2010年12月19日 | 文楽のこと。
由良湊千軒長者&本朝廿四孝@国立劇場

【由良湊千軒長者】
 「難しげなタイトルだが、安寿と厨子王の物語である」。-とサラリと書いてはみたものの、実は「安寿と厨子王」がどんなストーリーだったかなんて、まるで覚えていません。森鴎外の「山椒太夫」も読んだような、読まなかったような…まことに胡乱であります。

 鑑賞ガイドによれば、三荘大夫(=山椒太夫)のもとに売られた安寿と厨子王が虐待されながらも、いつも父母を思ってけなげに働き、励まし合って生きていくという物語-だそうだ。ストーリー自体は単純でわかりやすいのですが、逆に言うと、何の展開もなく、面白味がない。景気も悪いし、政局も混迷しているし、せめて、舞台の上ではシミッたれた現実をしばし忘れられるようなanother worldを見せてもらいたいなぁ…。
 
 話の本筋からは外れますが、観ていて気になったのが厨子王の幼児言葉だ。厨子王の人形はちょっとイケメンな若者風だった。年の頃で言えば15~16歳といった感じだろうか。ところが、語りは7つ8つの子どものような口調。人形拵えと浄瑠璃とのギャップが激しすぎる。イケメンが舌ったらずな幼児言葉でしゃべるのは興醒め-と感じるのは、私だけじゃないハズ。浄瑠璃が正しいのであれば、人形は、もうちょっと子どもらしく作ってほしかった。


【本朝廿四孝】
 廿四孝と言えば「十種香」「奥庭狐火」が繰り返し上演されていて、初心者の私でも既に、複数回見ている。恋に狂う女の狂気が溢れ出る簑師匠の八重垣姫は、何度見ても、見応えがある。

 今回の「桔梗が原の段」「景勝下駄の段」「勘助住家の段」は、八重垣姫登場の前段に当たる部分で、武田家と上杉家の間での名軍師・山本勘助争奪戦を描いたもの。新聞の劇評などでやたらと「難解な物語」と書かれているし、上演回数が少ない演目のためにネット検索しても予習資料が十分に集めることができず、撃沈覚悟で臨んだものの…意外や意外、見応えたっぷりでめちゃめちゃ楽しめました。

 確かに、単純明快すぎる「安寿と厨子王」とは対象的に、いかにも、文楽チックな錯綜したストーリーで、3分に1回はツッコミを入れたくなるぐらいに突飛な展開。

 主人公である横蔵(玉女さん)と慈悲蔵(勘十郎さま♪)兄弟が父の名跡である山本勘助の名と奥義の軍法書を巡って激しく火花を散らす。慈悲蔵はいじらしいほどに母に尽くし、父の跡を継ぎたいと必死にアピールする。母親からイヤミを言われようが、ダメ出しされようがへっちゃら。「川には魚がいるのだから、それを獲ってくるのはガキでもできる。不可能を可能にしてこそ、本当の親孝行。雪山でタケノコを掘ってきて食べさせてくれ」と、「イジメ」のような言い付けにも必死に従おうとする。

 しかし、しかし、そこまでしておきながら、物語の終盤で「実は、慈悲蔵は上杉(長尾)方の家臣・直江山城之助だったのです」と突然のカミングアウト。しかも、そのことをこっそり母親だけに打ち明けていたという。その上、兄の横蔵が長尾景勝に顔立ちが似ているという理由で、慈悲蔵と母親は示し合わせて横蔵を景勝の身代わりとして殺そうとしていたのです。とすると、「いったい、何のために慈悲蔵を虐待していたの???」と疑問が湧いてくる。

さらに驚いたことに、兄の横蔵は以前から武田信玄に仕えていたそうだ。いくら対立する兄弟とはいえ、それぞれ、敵対する武将に仕えていたことにお互い気付いていないなんて、戦国武将としては、あまりに察しが鈍すぎるんじゃないか?

 さらに、横蔵が慈悲蔵夫妻に育てさせていた赤ん坊の次郎吉は、実は、将軍・足利義晴の忘れ形見ということも明らかになる。「そんな大切な預かりものを、対立している兄弟に渡しちゃっていいわけ???」と、またまた、素朴な疑問が湧いてくるが、いちいち、立ち止っていると頭が混乱するので、あまり深く考えずにスルーしておく。

 話は前後しますが、この演目は、横蔵の子どもである次郎吉(=実は将軍の忘れ形見)を養育するために、慈悲蔵が泣く泣く、わが子峰松を桔梗が原に捨てにいく場面から始まります。未だ、横蔵・慈悲蔵の間で山本勘助の跡目争いが決してもいないのに、なぜか、峰松に「山本勘助」の名札がついているという意味不明の設定。山本勘助の縁ある子どもということで、武田家と上杉家の赤ん坊争奪戦が始まるのですが…よくよく考えてみれば、慈悲蔵は上杉方の家臣なのだから、こんな無意味な争いが起こらない方法を考えられなかったのだろうか? -という疑問はさておき、最初の見せ場は、リトル・勘助をめぐる女たちの代理戦争。武田方の唐織と上杉方の入江の言い争いはなかなか見応えあり。勘弥さんが遣われる品格ある女性は気の強そうな雰囲気が出ていて、カッコイイ。

 慈悲蔵の妻・お種が、雪の降る門口に置きざりにされたわが子・峰松と、横蔵から託された次郎吉とが同時に鳴き声を上げ、どちらを抱き上げて乳をやるか心乱す場面が切ない。やっぱり、清十郎さんは圧倒的に、女形を遣われているのがしっくりくる。もちろん、勘十郎さまも、相変わらず素敵でした。慈悲蔵が登場してくるだけで、舞台の上の空気が変わるような気がする。背筋がスッと伸びた立ち姿がゾクゾクするほどカッコよかった。

 そして、なんと行っても、床が素晴らしい!!! 人間国宝不在の月ながら、聴きごたえたっぷりでした。錯綜したストーリーでもこれだけ楽しめるって、やっぱり、「床」の力です。特に、呂勢&燕三のコンビにはうっとり。呂勢さんの伸びやかな声に、燕三さんの重めの音がよく合っていました。 津駒&富助もボリューム感があって情を語る場面にピッタリ。人間国宝のおじいちゃま方の至芸も魅力的ですが、脂が乗った世代のエネルギーとエネルギーがぶつかりあう感じもまた心に響いてきます。簑師匠や清治さんを見ることができないのは残念でしたが、ても、次世代の胎動を感じて満たされた公演でした。
 

文楽鑑賞教室Aプロ 伊達娘&三十三間堂 @国立劇場

2010年12月08日 | 文楽のこと。
伊達娘恋緋鹿子&三十三間堂棟由来 @ 文楽鑑賞教室Aプロ

 相子&清丈コンビ最高~! 文楽鑑賞教室恒例の文楽解説。今、文楽界でこれ以上のボケとツッコミは存在しないのではないでしょうか(って、文楽はボケとツッコミを競うものではありませんが…)。相子さんの伸びやかで楽しげな声と、清丈さんのノ~ンビリとしたテンポの会話を聞いているだけで、ちょっとトクした気分になれる。海老蔵ネタや、清水寺の今年の漢字一文字など、今的な話題を取り入れつつ、面白おかしく初心者に文楽を解説してくれる。

 さすがに、私も初心者解説は卒業できるぐらいの観劇を重ねてきたものの、でも、相子&清丈コンビの解説なら何度聞いてもいいなぁ…。会場は、何度も暖かな笑いに包まれました。

 …と、冒頭から演目ではなくて、文楽解説を熱く語ってしまうあたりが、なんとも、寂しいのであります。

「伊達娘恋緋鹿子(=いわゆる、八百屋お七)」-紋臣さん、大抜擢でした。10年後には、きっと、見目良く、華のある女形遣いになられていることを感じさせる舞台でした。でも、お七は、単に、品が良いだけでなくて、ある一線を超えたところからは、ラリってなきゃダメでしょう。最後まで、楚々としたお嬢さまで終わってしまったところが、やや物足りませんでした。床も「一糸乱れず」とまではいかず、なんとなく、パラバラとしていて迫力不足は否めません。まあ、鑑賞教室は、若手の人に大役が付くことで、きっと、次へのステップアップにつながる-と信じたいと思います。

「三十三間堂」。申し訳ありませんが、相当、沈没していました。もともと動きが少なく、睡魔に襲われやすい演目である上に、なんとなく、舞台の空気が緩いというか…今一つ、ピリピリとした緊張感が伝わってきません。勝手な思い込みかもしれませんが、人間国宝がお休みの月は、どうも、締っていない印象です。

和生さんのお柳、玉女さんの平太郎ともに、敢えて、感情を抑えた演技をされているのかもしれませんが、もうちょっと、夫婦が引き裂かれる哀しみ、子どもと別れる苦しみが伝わってきてほしいなぁ…。私は「化身する役柄はラリっているべき」論者なので、柳に化身するお柳が淡々と平常心でいるのがそもそも腑に落ちないのです。

というわけで、この演目、圧倒的にBプロの勘十郎さまお柳、玉也さんの平太郎の方が物語に感情移入できたのではないか-と思うのです。化身する役をやらせたら、勘十郎さまの右に出る人はいません。それに、以前、玉也さんの平太郎を拝見した時、「厳格だけども慈愛に満ちた父親」のキャラクターがきっちりと作り込まれていて、安心して見ていることができました。

誤解を恐れずに言うならば、「解説はAプロ、配役はBプロ」が12月鑑賞教室の理想の組み合わせであったように思います。

良弁杉由来 & 鰯売恋曳網 @ 国立劇場

2010年09月12日 | 文楽のこと。
良弁杉由来 & 鰯売恋曳網 @ 国立劇場 9月文楽公演

 「昼寝に6500円お支払い」というぐらいに、ひどく爆睡してしまいました。

「良弁杉」は特に辛かった。楽しかったのは「桜宮物狂いの段」ぐらいでしょうか…(それでもちょっと寝ました)。清治さん率いる三味線軍団と、呂勢さん&咲甫さんの浄瑠璃が華やか、かつ、フレッシュ感があってちょっとテンション上がりました。やっぱり、清治さんの三味線の音は、切れ味鋭くてステキ。そして、清治さんの隣に座っている清志郎さんは、まぎれもなく、「清治さんの音」の継承者なんだなぁ-と感じます。

フィナーレの「二月堂の段」は、完全に、沈没。「あ~、この調子っぱずれ、どうにかならないかなぁ」「なんで、三味線がこんなに唸っているんだろう…」などと思いながら聞いていると、まるで、物語が頭の中に入ってこない。というか、ストーリーは知っているのに、全然、浄瑠璃が心に響かない。もしかして、会場で何人か泣いている人がいたようで、ちょっと鼻をすするような音が聞こえてきた時には「私は、こんな程度では泣けないよ」と冷めた気持ちになりました。

途中、何度も沈没してハッと目が覚めるたびに、大夫の床本をチラリと確認。「まだ、半分以上残っている…。早く、終わんないかなぁ…」と再び眠りの世界へ。

実は「良弁杉」は、2008年春に、女流義太夫の人間国宝・駒之助さんと文雀さん和生さんグループのイベント公演がありました。その時は、まだ、文楽を見始めたばかりで、浄瑠璃を聴きとれない部分もたくさんあったと思うのですが… それでも、駒之助さんの語りはストレートに心に響いてきて、「良弁杉」の親子の情愛が痛いほどに伝わってきました。そして、私なりに、駒之助さんの語りが、完全に人形を喰ってしまっているなぁ…と思ったのでした。

今回の公演での床は、まるで、駒之助さんのような迫力も熱い思いもなく(それ以前に調子っぱずれだし…)、人形もなんかなぁ…。良弁よりも簑紫郎さんの僧侶の方が、哀しみがにじみ出ていたように見えてしまいました。

「鰯売恋曳網」。三島由紀夫原作の作品として、今回の公演の話題の一つ。もともと、歌舞伎ではよくかかる演目らしいのですが、文楽公演としては初上演。傾城に恋をした鰯売りが、大名に化けて傾城に会いにいく-という物語。肩の凝らない、気楽なアミューズメント作品でした。咲甫さんの浄瑠璃、とっ~ても楽しかった。もともと咲甫さんの声は大好きですが、直前の「良弁杉」の調子っぱずれでイラ立っていたせいか、いつも以上にウキウキしました。そして、勘十郎さまの人形が、秀逸。人形ではなくて、猿源氏という鰯売りが、本当に、そこにいるかのよう…。

…と断片的には楽しめましたが、「新作」の存在意義は、「古典作品」の素晴らしさを再認識するためのもののような気がします。やっぱり、300年、400年熟成させた作品の重さは違うよなぁ。というわけで、後半の咲大夫さん&燕三さんの床のところは、半分ぐらい寝ていたかも。

今公演、圧倒的に2部(阿漕&桂川)が素晴らしくて、6500円以上の価値あり。かたや、1部(良弁杉&鰯売)は、お昼寝するのに6500円は高すぎ-という気分。これは、国立劇場のプログラムミスなんじゃないでしょうか…。


勢州阿漕浦&桂川連理柵 @ 国立劇場

2010年09月05日 | 文楽のこと。
勢州阿漕浦&桂川連理柵 @ 国立劇場9月文楽公演

【勢州阿漕浦】
 初見の演目。ほとんど予習なしで見たわりには、ストーリーに入りこみ易く、楽しめました。なんといっても、玉也さんが遣われる治郎蔵がイカしてるんです♪

 伊勢神宮の御料地では殺生が禁じられていて、漁をすることも禁止。しかし、平治は母の病気を治したい一心で、病気に効くと言われる魚を深夜に密漁しようとする。網にかかったのは、魚ではなく、三種の神器の一つである「十握の剣」。しかし、その様子を、平瓦の治郎蔵に見とがめられ、つかみあいの争いをした結果、「平治」と名前を書いた笠を奪われてしまう…。

 まあ、その後は、いかにも文楽的にはよくある展開で、犯人である「証拠」を残してしまった平治は、あやうく身柄を捉えられそうになる。ところが、「実は」治郎蔵は平治の家来筋にあたることが判明し、最後の最後、治郎蔵が平治のために一肌脱いで、「笠にある平治の文字は平瓦の治郎蔵の頭の文字をとったもの」と言って、身代わりとなって平治の危機を救う。

 治郎蔵、脇役なのに、主役を食ってましたね。「阿漕の平治殿といふはここでえすか」「アイヤ、大事ないものでえす」。この「でえす」という、朴訥な口のきき方にハートくすぐられてしまいます。玉也さんが遣われるお人形は、いつも、キャラクターがきっちりと作られていて、観る者がそれに素直に乗っかっていかれる。だから、本当に、見ていて楽しくなるのです。最後に、治郎蔵が男気を見せるところは、あまりにもカッコよくて、大きな人形が一段と大きく見えました。

 勘弥さんの女房お春も、ふとした仕草に、子どもへの気遣いとか、夫への思いが溢れていてとってもよかったです。
 そして、清十郎さんは代官役でしたが… やっぱり、私、清十郎さんは女形の方が、圧倒的に心に響いてきます。

 住師匠、1時間半に渡る語りは圧巻でした。80歳を過ぎて、これだけの長丁場、たった一人で大熱演。本当に頭が下がります。予習なしでストーリーについていけたのは、住師匠のナビゲートあってこそ。でも、やっぱり、私が文楽を見始めてからの2年半の間にも、少しずつ、声量が落ちてきているような気はします。


【桂川連理柵】

 ブラボー嶋師匠! ブラボー簑師匠!
 いやぁ、この2人に完全にヤラれました。凄過ぎます。
 
 桂川は8月22日の内子座文楽で拝見したばかり。内子で「帯屋」を語った呂勢さんが、あまりにもノリノリで楽しくって、逆に、本公演を楽しめなかったら勿体ないな-と、ちょっとだけ心配していました。しかし、それは、まったくの杞憂でした。 もちろん、内子座での呂勢さんが素晴らしかったのは間違いないし、いずれ呂勢&咲甫時代が必ず来ると思いますが、でも、やっぱり、嶋師匠は別格なんです。観客を物語の中に引きずりこむ吸引力が強烈。有無をいわせず、一挙に、劇場を支配してしまうような勢いがありました。

 今回、妙に印象に残ったのは儀兵衛を遣われた玉輝さん。正直なところ、これまで、私的には全くのノーマークでほとんど記憶に残らない方だったのですが… 今回、とっても楽しそうに遣われているオーラが溢れていました。人形遣いをノリノリにさせるのも嶋師匠パワーでしょうか。

 そして、やっぱり、簑師匠のお半はイヤらしかった。最初の登場シーンからして、長右衛門に送る視線が、もう、「まだ14歳の少女の視線」ではなくて、あきらかに「少女であることを武器にした女」なんです。どう考えても、長右衛門が年若い女を手籠にしたのではなくて、間違いなく、お半が、最初から長右衛門をハメるつもりだったんだと思います。 やっぱり簑師匠ってすごいなぁ。どれだけ女を泣かすと、こういう演技ができるようになるのか、一度、お聞きしたいものです。

 通常は「帯屋」のみなのですが、今回は「帯屋」を挟んで前後の段も上演されたことで、ストーリーが立体的になり、これまで、今一つ、唐突感のあったエピソードの意味がよくわかりました。登場人物のキャラクター付けも明確になるし、エンタメ性も十分にあるので、圧倒的に「通し」の方が良いように思います。

 それにしても長右衛門…。この絶句するほどのロクでなしぶりは何なのでしょう。女たらしとはちょっと違う。というか、長右衛門は、まったくもって、遊んでいるつもりはないんでしょうね。全部、本気。お絹といる時には、お絹が大切。お半といれば、お半がすべて。で、多分、遊女といれば遊女に本気。いい加減、自分のそういう性格が周囲の人を混乱させ、迷惑をかけていることに気付けよ~と思いますが、まるで自覚なし。

 さすがに、勘十郎さまが遣われていても、こんなヤツには惚れられません。

 やはり、この物語は、お半とお絹という、怖い女2人がいて成り立っている物語なんだと思います。簑師匠のお半は、あざとさ全開! 紋寿さんのお絹は控えめで、ひたすら夫を立てる妻のそぶりをして、実は、一番、男を追い詰めるタイプ?

 床は、ともかく嶋師匠が圧巻でしたが、六角堂の文字久さん&富助さんもステキ。この2人、とってもいい組み合わせのような気がします。 三味線の連れ弾き。元締め役が清治さんの時と、寛治師匠の時とでは、音質が違うように感じます。世話物には、やっぱり寛治師匠のふくよかな音がよくあっているような気がします。

 ところで、清志郎さんって、最近、音だけでなく、顔も清治さんに似てきているような気がするのは、私だけでしょうか?

ひばり山姫捨松 @ 内子座文楽公演

2010年09月04日 | 文楽のこと。
鶊山姫捨松 @ 内子座文楽公演

 色々あって感想を綴る間もなく、かれこれ2週間が経過してしまいましたが…内子座文楽、やっぱり、楽しかった♪

 もう一つの演目である桂川は世話物、鶊山は時代物ですが、共に、「継子いじめ」がモチーフになっています。鶊山は、なんといっても、玉也さんが遣われた継母・岩根御前が秀逸でございました。割り竹で中将姫を、叩いて、叩いて、叩きまくるシーン。もちろん、全く笑うべき場面ではないのですが…私は、一人、ニタニタ笑ってしまいました。悪役でない玉也さんも大好きなのですが、でも、やっぱり、悪役商会の玉也さんもステキ。叩いたり、斬ったり、暴れたりは、他の遣い手さんとは切れ味が圧倒的に違います。本来なら、嶋さんの語りに耳を傾けつつ、可哀想な中将姫に肩入れして涙すべきところ、私の気分はついつい「もっとやれ~」と盛り上がってしまいました。

 勘弥さんの桐の谷が、上品で気高くてステキ。今年の春巡業の廿四孝で勘弥さんが腰元・濡衣を遣われた時、はからずも「ああ、簑師匠の濡衣よりも、好きかも…」と思ってしまったのですが…勘弥さんが遣われるお人形は、気高い女オーラがほどよく出ていてキレイだなぁと思います。

 清志郎さんのお三味線も心地よく、もうちょっと長く聴いていたいなぁ…という感じでした。