おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「共喰い」 田中慎弥

2013年01月29日 | た行の作家

「共喰い」 田中慎弥著 集英社 

  「都知事閣下と東京都民のために貰っといてやる!」発言ですっかり有名になった芥川賞受賞作。

 強く昭和の匂いが漂う作品だなという印象。作者より少し若いのだけど、昭和30年代ぐらいに逆戻りした親の世代の物語ではないかと思うほど、重苦しく、貧しく、閉塞的な雰囲気が支配している。

  田舎の小さな町で、父と父の愛人と3人で暮らす少年。同じ生活圏に母親と父の買春相手もいて、父はその3カ所をフラフラと渡り歩いている。女性に対して暴力を繰り返す父親を嫌悪しながらも、心の中には自分も父親と同じ気質を持つのではないか、父親と同じことをやりたいのではないか…という恐れと好奇心が同居する。そして、ついには自分自身の彼女に対して暴力的な好意に及んでしまう。

 「共喰い」というタイトルの意味するところはあまりにもグロテスクで、物語の結末は、なんとも救いがない。

  現実問題として、DV男は掃いて捨てるほど(?)存在するのだろうし、そういう男に共依存することでしか生きていけない女性や、そういう父親のようにはなりたくないともがく少年もたくさんいるのだろうと思う。DVにまつわる家族間の傷害事件がニュースになることも珍しくないし、ましてや、小説の題材になるのも理解できるけど、それでも、やっぱり、救いがなさすぎるなぁ。

  「読書はひとときの現実逃避」と思っている私には、これでもかこれでもかと辛すぎる現実を突きつけられるような作品は正直、苦手な部類に入ります。やはり、芥川賞系よりも、直木賞系作品の方が私には合っているかも。

 高校を卒業後、就職もせず、バイトもせず、ただひたすら執筆活動を続けてきたという作者の執念は十分に伝わってくる作品でした。

 


「あい 永遠に在り」 高田郁

2013年01月18日 | た行の作家

「あい 永遠に在り」 高田郁著 角川春樹事務所  

  幕末から明治期にかけて活躍した関寛斎(せき・かんさい)という蘭方医の妻・あいに光を当てた大河小説。

  関寛斎は上総国の貧農の家に生まれるが、儒家の養父から厳しい教育を受け、やがて蘭医学を学ぶようになり、銚子で開業。豪商・濱口梧陵(今のヤマサ醤油の基礎を築いた人らしいです)の支援を受け、当時の蘭学の中心地であった長崎に遊学し、オランダ人医師の直接の指導により医師としての技量を上げる。その後、銚子に戻り、コレラの蔓延を防いだことを評価され、士分である徳島藩の侍医として取りたてられる。功なり名を遂げても清貧な暮らしを続け、貧しい人々からは薬礼を取らずに診療を続け、種痘を広げるなど、徳島では「関大明神」としてあがめられた人物らしい。また、戊辰戦争では敵味方の区別なく、傷ついた兵士の診療に当たったという。 

 で、不勉強な私は関寛斎という人物の名前を初めて知ったのですが、徳冨蘆花や司馬遼太郎が既に題材として小説にしているようで、それなりに有名人らしい。

  高田郁の高田郁たるところは、その関寛斎を主役とするのではなく、 妻・あいをフィーチャーしたことか。「澪つくし」シリーズの澪を彷彿させるような、素直で前向きでひたむきなステキな人。ただ、妻あいに関する資料はほとんど残っておらず、史実に基づく関寛斎の物語と、あいに関するフィクションのハイブリッド小説かと思われます。

  関寛斎という人物はとても興味深い。社会奉仕とかボランティアとかの概念がまだ確立されていなかったであろう時代に、なぜ、利他の精神を持ち得たのだうろか。どうして、戦争のさなかに敵の治療にあたる勇気があったのだろうか。もっともっと関寛斎について知りたいという気持ちが強まった。ただ、フィクションとしての部分については、資料の有無に関わるのかもしれませんが、ストーリーの濃淡にムラがある印象。上総時代が緻密に描かれているのに比べると、徳島時代はずいぶんとあっさりしていて正直、拍子抜けというか、物足りない感じでした。あと50ページぐらい足してでも、もっともっと濃いめに描いて欲しかった。

  妻あいをフィーチャーした物語なので、敢えて、関寛斎の最期については触れていないのも、ちょっと残念。できることならば、「あい」と対をなす物語として、関寛斎の晩年についても高田郁的視点で書いた物語が読みたい!


「大延長」 堂場瞬一

2013年01月17日 | た行の作家

「大延長」 堂場俊一著/実業之日本社 

 人気・実力を兼ね備えた警察モノミステリー作家として知られる著者ですが…私は圧倒的にこの人のスポーツ小説が好きだ。単なる爽やかな青春小説ではなく、スポーツの裏側にある人の心の描き方が緻密だ。試合そのものの駆け引きとは別の次元での駆け引きに手に汗握ってしまう。

  「大延長」は夏の甲子園の決勝戦が舞台。戦うは、公立の進学校で甲子園初出場の新潟海浜と、西東京地区の強豪校で甲子園常連の恒生学園。この2校の監督は大学野球でバッテリーを組み、それぞれに別の道を歩んだ好敵手同士。海浜のエースと恒生の4番バッターはリトルリーグ時代のチームメート。決勝戦は延長15回でも決着が付かず、引き分け再試合にもつれ込む。

  決着が付かなかった決勝戦の初日から再試合が終了するまでのたった一日に、紙幅の4分の3が費やされているのだが、戦術も、気質も、背負った歴史も知っているもの同士が、相手の心理を読みながら戦う試合の面白さは格別です。海浜は、初出場ながら非凡なエースの力で決勝まで勝ち上がってきたチーム。その海浜の監督が、負けを覚悟しながらも、再試合ではエースを登板させないという決断をするまでの懊悩と、決断したあともなお揺れ続ける心理描写が特に心動かされた。

  近いところでは甲子園での田中将大と斎藤佑樹の投げ合いを彷彿させるのかもしれないけれど… 私はこの小説を読みながら、ずっと松坂大輔のことを思っていました。PLを相手に17回を投げきったあの試合は、今思い出しても鳥肌が立つような素晴らしいピッチングだったけれど… でも、甲子園大会という過剰にフィーチャーされてしまった大会のために彼の持っている潜在力を18歳までに搾り出させるようなことをしなければ、松坂大輔は今も輝き続けていたのではないか。野球ファンの心の内にも、松坂が大リーグで活躍するチャンスを先食いしてしまったような惜しい気持ちが少なからずあるのではないか。

  甲子園で優勝投手となることは輝かしい勲章だけれども、しかし、そこはゴールでなく通過点にすぎない。監督としての実力と名誉とプライドを賭けた戦いでもある決勝戦で、敢えて、エースに投げさせない勇気を持った海浜の監督にアッパレ!

  そして、もう1人、ストーリーを追いながら頭に浮かんだのは日ハムの栗山監督。大リーグ行きを公言していた大谷翔平を口説き落とした彼の心のうちにはどんな思いがあったのだろうか… と思っていたら、なんと、「解説」を書いているのはスポーツキャスター時代の栗山英樹氏でした。なかなか渋い人選!

  野球を見ない人にとってはイマイチ面白みが伝わらないかもしれませんが…野球ファンには重層的に楽しめる、長く記憶に残る名勝負です!


夏天の虹」 高田郁

2012年04月07日 | た行の作家

「夏天の虹」 高田郁著 ハルキ文庫 

  江戸の女料理人・澪を主人公とする「澪つくし」料理帖シリーズの7冊目。途中、「マンネリ化する前にさっさと完結した方がいいのに…」と思った時期もありましたが… 今や、大いなるマンネリが愛すべき作風(芸風)として定着。時代小説の「渡鬼」的存在です(スミマセン、「渡鬼」1度も見たことありませんが…)

  町人と武家という身分の壁を越え、澪はずっと思い続けていた小松原さまと結ばれることになった…はずだったのに。「料理は私が生きるよすが。どうあっても手放すことはできない」と悩む。

  今と違って、「仕事と家庭を両立します」などということはありえない時代。とはいえ…なんで、せっかく掴みかけた幸せを自ら放棄しようとするの? すっかり「親戚のおばちゃん」モードになって、辛い道を選ぼうとする澪に「いいから、さっさと好きな人のところにお嫁に行きなさ~い!」とイライラハラハラするも、時代小説的渡鬼にそんな簡単にハッピーエンドはやってこない。

  この巻では、澪に次々と試練が課され切なくなってしまうけれど…最後の救いは、「澪つくし」シリーズのテーマである「料理は人を幸せにする」ということ。澪が奉公する「つるの家」にやってくる客たちの、美味しそうで、楽しそうな食べっぷりは読み手まで幸せな気持ちにしてくれる。

  ちなみに舞台は、今の神田から飯田橋あたり。昨日、夜桜見物の帰り道、九段下から飯田橋に向かって歩いていたら「台所町跡」という石碑に遭遇しました。「澪つくし」シリーズにもしばしば登場する地名で、なぜか、懐かしい気持ちになりました。


「銀河ヒッチハイクガイド」 ダグラス・アダムス

2012年02月09日 | た行の作家

「銀河ヒッチハイクガイド」 ダグラス・アダムス著 河出文庫

 

 最近は、基本的に日本人作家の本しか読まない。フランソワとかリチャードとかいう小洒落た名前の登場人物に感情移入できないし、故に、登場人物の名前をなかなか覚えられない。それに、やっばり、翻訳の限界があるような気がします(原文で読むことができない私自身の限界は、とりあえず棚上げ♪)

 

 というわけで、とっても久し振りの海外作品。友人のススメで、あんまり面白そうだったので、話を聞いたその日のうちにネットで注文しました。

 

 もともとは1978年にBBCが放送したラジオドラマのノベライズ版。ラジオドラマも書籍も大ヒットしてその後シリーズ化されたようですが、この第1作が一番面白いようです。「ナンセンスSFの金字塔」「ブリティッシュジョーク満載で抱腹絶倒」―らしいのですが、抱腹絶倒というよりも、シュールすぎて引きつる笑いかも。

 

イギリスの郊外に住む一人暮らしの男の物語。朝、歯磨きしながら、鏡に映る窓の外の黄色のブルドーザーが目に入る。いったい、なぜ、家にブルドーザーがやってくるのか? そう、その男の家は、バイパス建設のために取り壊されることになっていたのだ。 男は「そんな話は聞いていない! 横暴だ!」と怒るものの、立ち退き地域は何年も前から役場で縦覧されていた。(簡単にはたどりつけない役場の地下の、カギのかかったキャビネットの中だけど

 

 男はブルドーザーの進路に身を投げ出し、必死に、取り壊し阻止をしようとするのだが… そんなことは全くの無駄。なにしろ、12分後には地球が銀河バイパスの建設のために取り壊しされることに決まっていたのだから。(男が自宅の立ち退きを知らなかったように、地球人のほとんどは地球消滅を知らない)

 

 タイトルの「銀河ヒッチハイクガイド」は、物語に登場する書籍の名前。電子書籍スタイルの「地球の歩き方」の宇宙バージョンみたいなもの。私は、ここに、一番、感銘を受けました。今の時代なら、電子書籍の旅行ガイドと聞いても全く驚くこともないけれど、1978年の作品なのだから、まだ、パソコンはほとんど普及していない時代。90年代のノートパソコンだって、今と比べると、相当に分厚く重たかったことを思えば、70年代のコンピューターはコンパクトからはほど遠いいし、もちろん、ネットにも繋がっていないわけで、そういう時代に電子本を発想しているのはすごい。しかも、その形状が、ちょっとiPadを野暮ったくしたみたいに表現されている。

 

ちなみに、その電子ブックの中で地球に関する記述は、たった一言「無害」だけ!その後、宇宙船ヒッチハイクに失敗して15年も地球に滞在することになった宇宙人によって「ほとんど無害」に改訂される。いいなぁ。宇宙の中でずっと「ほとんど無害」の存在でありたい。

 

確かに面白かったけれど…でも、やっぱり、「翻訳の限界」を感じました。原文で読めたら、さらに面白いのかものしれないけれど、そこが私の限界です


「日本以外全部沈没」 筒井康隆

2012年01月16日 | た行の作家

「日本以外全部沈没」 筒井康隆著 角川文庫 12/01/13読了 

 

 年末から年初にかけて「日本沈没」を読んでいたところ、友人から「『日本以外全部沈没』がめちゃめちゃ面白い!」と勧められて購入。表題作を含む196276年の初期筒井作品を集めた短編集。

 

 「日本以外全部沈没」は、パロディであることが一目瞭然のタイトルですが、はっきり言って「ここまでやるか!?」というほどブラック。あまりの毒々しさに脱力しました。本家小松左京の「日本沈没」は、日本列島が沈没して日本人が彷徨える民になるかも…という設定でしたが、「日本以外全部沈没」では、次々と大陸が沈没し、唯一、残った日本列島に世界中の人が押し寄せるという設定。

 

 毛沢東、インディラ・ガンジー、キッシンジャー、フランク・シナトラにソフィア・ローレン、ビートルズ、蒋介石などなど世界の要人・著名人が軒並み西銀座のバーで生き残りをかけた交渉劇を展開する。(「日本沈没」の田所博士もこのバーに来ていました!)

 

さすがに40年前の作品とあって、今読むと、同時代感はないのですが…今風に言えば、オバマもサルコジもメルケルもジョニー・デップも、KARAもみんな日本にすがって生き残ろうとするという感じの設定でしょうか。1970年代前半といえば、日本が経済大国にはなっていない時代に、日本が世界の頂点を極めるという妄想を炸裂させているのがスゴイ。

 

どの作品も、大風呂敷を広げて、世の中をおちょくっている感じなのですが、特に痛烈だったのは「ヒノマル酒場」という掌篇。大阪の路地裏の一杯呑み屋・ヒノマル酒場に全身緑色の宇宙人がやってくる。世の中は、宇宙人が地球に(正確に言うと、通天閣のすぐそばに)降り立つ瞬間から大騒ぎで、テレビ中継車が何台も出て宇宙人の一挙手一投足に注目しているのだが、ヒノマル酒場に集う人々は「なんや、大掛かりなドラマの撮影か?」「ドッキリカメラちゃうんか」と宇宙人を意に介さない。というか、かなり、確信を持ってテレビや報道を疑ってかかっている。

 

 マスコミが信用されなくなったのって特にこの10年ぐらいが顕著なのかと思いきや…40年前から、ここまで報道がこき下ろされていたのかと思うとガックリきます。ちなみに、このストーリーに登場する宇宙人は、全身緑色の見かけはともかくとして、キャラ的には缶コーヒーBOSSのジョーンズ船長のモデルではないかと思いたくなるような感じで、なかなか憎めないヤツでした。

 

 時代の流れもあるのでしょうが、今の時代、なかなかここまで毒気に満ちた…というか、シュールなストーリーを雑誌に載せるって難しいような気がします。作家が書きたくて書いても、出版社がちょっと及び腰になりそうな…。そういう意味でも、興味深い一冊でしたが、書かれた時代背景が私にとってギリギリわかるかわからないかの境界線だったため、面白さが完全には理解できなかったのが残念。50歳代ぐらいの人なら、この毒の味がより楽しめるのだろうなと思います。

 

 

 

 


「ヒート」 堂場瞬一

2012年01月10日 | た行の作家

「ヒート」 堂場瞬一著 実業之日本社  

 

今年の箱根駅伝、正直、テレビ観戦者としてはイマイチ高揚感がなかった。

 

「柏原一人に全てを背負わせてはいけない、リードをもって柏原に襷を渡せ」-という東洋大監督の指導は圧倒的に正しいと思う。でも、昨年までの3年間、箱根駅伝が盛り上がったのは、間違いなく箱根の山での柏原クンが演じた大逆転劇があったからこそ。

 

なにしろ「天下の険」なのだ。車で走っていても、その傾斜のキツさは身体に伝わってくる。そこを細身の青年が風のごとく駆け抜け、何分も先行した走者に追いつき、追い越していく様は、ドラマとしての面白さもさることながら、人間の能力に対する畏敬の念さえ湧いてくる。

 

ま、つきつめていえば、初春に相応しい面白くて、元気が出るドラマとして柏原クンが箱根の山でライバルチームをごぼう抜きして往路を制する瞬間をテレビ観戦者は期待していたわけです。今年は3区、4区と東洋大が首位をキープしているところで、ドラマとしての面白みは半減。

 

というのは、視聴者のワガママだってことは、頭ではわかっているんです。

 

優勝後のインタビューで柏原クンが「マラソンを目指したい」と答えているのを見て、切ない気持ちになった。もちろん、彼がマラソンで活躍する姿を見たい。大きな大会で金メダルを獲得するとか、世界最高記録を出したら、日本中の多くの人が彼の箱根での激走ぶりを思い出して胸を熱くするだろう。しかし、彼は平地でも記録を出せるのだろうか。アップダウンの少ないマラソンコースでも超一流のランナーになれるのだろうか。

 

彼は、恐らく、大学4年間の競技者生活を「山登り」のために捧げてきたのだろう。もちろん、勝負の場が設定されれば、「勝ちたい」「記録を出したい」と考えるのが競技者としての本能かもしれないが…駅伝は正月三が日に2日間に渡っての生中継。スポーツ紙は軒並み一面トップで報じ、一般紙やテレビのニュースでも大きく取り上げられる。大学スポーツとしてはそこそこメジャーである六大学野球すら目じゃないぐらいの破格の扱いだ。大学には、強化費の何百倍、何千倍の宣伝効果をもたらす。柏原クンは無意識のうちに、山のスペシャリストとして大学4年間を走り抜けるしかないように進路を狭められていたのかもしれない。

 

―― という今の時期にこそ、オススメの一冊です!

 

 かつて箱根駅伝走者だった神奈川県知事の発案で、突然、「東海道マラソン」プロジェクトが動き出す。目的はただ1つ、日本人に世界最高記録を取らせること。そのために高速コースを設定し、最高のランナーを招聘し、最高のペースメーカーにレースを引っ張らせる。その実働舞台の責任者として指名された神奈川県教育局の職員。いずれも、箱根経験者だ。

 

日本人男子のマラソンの成績がふるわないのは、箱根駅伝がショウアップされすぎ、大学四年間が駅伝のために費やされていることに原因がある―「記録こそが日本陸上界を底上げする原動力になる」という神奈川県知事の仮説は、恐らく、作者である堂場瞬一の問題意識なのだろう。

 

突然、新しいマラソン大会を開催するという構想に、誰もが尻込みする。しかも日本人に世界記録を出させるというミッションなど、実現不可能としか思えない。しかし、箱根駅伝の経験者は、箱根の魅力からも、魔力からも逃れられないのだ。次第に知事の構想に巻き込まれ、登場人物の11人が「東海道マラソンで世界最高記録」という目標に向けて自分を追い詰めていく。

 

物語としては、若干、冗漫に感じるところや、唐突感が否めない部分もありましたが、新しい視点があり、問題提起もあり、グイグイと引き込まれていくページターナー。

 

特にペースメーカー役の二流ランナーと、大会事務局を引っ張る神奈川県教育局の職員の2人を2枚主人公にしたところがいい。スポーツの記録の裏側には、コーチや監督のみならず、もっともっと大勢の裏方たちの莫大な努力と舞台演出があることをさりげなく描き出している。

 

そしてネイティブ横浜市民である私にとっては、馴染みある地名がいっぱい出てくるのも嬉しい。六角橋商店街とか、鶴見橋に向かってゆるやかな坂道とか…その情景が目に浮かぶのは、読者の中でも横浜市民の特権です♪ 

 

但し、読者を生殺しにするようなフィナーレは勘弁! ニンジンぶら下げられて必死に走りきったのに、ゴールした瞬間にニンジンが消えてしまった…という感じ。正直、消化不良で夜中にのたうち回るような気分でした。文庫化の際の加筆を期待!

 

読み終えて、改めて、柏原クンの今後の活躍を期待せずにはいられません。2年後でも、3年後でも「箱根でも凄かったが、マラソン選手となって一段と輝きを増した」と言われるような選手になっているといいな。

 

ところで、この本は201111月初版。箱根駅伝前の絶妙なタイミングだけれど、バカ売れしたような気配はあまり感じなかったなぁ。年末に書店に平積みしたら、結構、売れたのではないか…と思ったりするのですが、でも、そんなことしたら日テレから圧力かかるか…。

 


「桜ハウス」 藤堂志津子

2011年10月15日 | た行の作家

「桜ハウス」 藤堂志津子著 集英社文庫 2011/10/14読了

 

 ありそうだけど、絶対ないだろうな―というお伽噺。市役所務めの蝶子さんが生前ほとんど付き合いのなかった叔母さんから古い一軒家を相続(ってことからして、普通はありえなさそう)。最初は、面倒くさいから相続放棄しようとする(もっともっとありえない!せっかくくれたもの、放棄する必要ない!!!)が、当時の彼氏にそそのかされて、シェアハウスとして2階部分を3人に貸し出すことに(えっ? どんだけデカイ家相続したの??? そんな立派な不動産なら、親戚の間で問題になるでしょ!?)

 

 以上の部分は導入なので、まぁ、よしとして…。もともとは何の接点もなかったのに、縁あって一つ屋根の下に暮らすことになった蝶子と3人の女たちの、友情を温め、励まし合いながらの10年間を描いた物語。途中、恋愛あり、不倫あり、親の介護あり、ちん入者あり…と盛りだくさん。

 

 確かに女性同士でシェアハウスで暮らすって、ちょっと憧れるところはある。でも、実際問題としては、見ず知らずの、バックグラウンドも全く違う4人が、大したもめ事もなく10年間も仲良くしていられるって…恐ろしく確率の低いことだと思う。4人いたら誰かしら1人はケンカっぱやくてもめ事起こすだろうし、誰かしら協調性がなくて部屋に籠もりきりになる人がいるだろうし、誰かしらは「片付けられない病」で他の住人の怒りを買うに違いない。そもそも、4人いたら、知らず知らず、誰かを仲間はずれにしようというムードが醸成されがちだ(悪意はなくとも、その方が、残り3人の結束が高まる)。

 

 で、ありえないはありえないなりに、ほどほどに面白いエピソードが盛り込まれていて、気楽なページターナーとして楽しめましたが、読み終わった後に「で、結局、何が言いたかったのだろう」という、手応えのない感触だけが残ってしまった感じがしました。

 

 解説を読んだら「恋愛小説家・藤堂志津子」と形容されていた。確かに、ふわふわとした恋愛エピソードがいくつも出てくる。でも、どれもこれも感情移入できるほどには書き込まれていなくて、ちょこちょことつまみ食いしているような描写。これもまた、手応えがなかった…。


「心星ひとつ」 高田郁

2011年09月30日 | た行の作家

「心星ひとつ」 高田郁著 2011/09/29 読了  

 

「料理こそが仕合わせの道」と心に決めた上方出身の女料理人・澪の江戸での奮闘ぶりを描いた「みをつくし料理帖シリーズ」最新刊。このシリーズ、三歩進んで二歩下がるどころか、三歩進んで三歩下がってしまうぐらいの遅々とした展開で「最近、なんかマンネリ化しているかも」と思っていたのですが、久々に物語に動きアリ。主人公の澪が決断を迫られる出来事がいくつかあって、「それで、それで、どうなっちゃうの???」というページをめくる楽しみがありました。

 

 とはいえ、予想通り、それぞれの決断の場面では、読者が「澪なら、こうするハズだ」「きっと、それが澪の生き方なんだ」と思う通りの選択を澪はするわけです。そして真っ正直で、料理一筋の澪が、いかにも澪らしい決断をすることにホッとする半面、なんでそんな不器用なの? もうちょっと自分がトクするように、もっと自分の幸せを優先させてもいいじゃない…と、もどかしい思いになる。

 

タイトルの「心星ひとつ」の心星とは北極星のこと。澪がただひたすらに自分の信じる道を行くということを暗示している。10年前の私なら澪の心意気に拍手を送るけれど、でも、今は頑張り過ぎる澪がちょっと切ない。

 

 ストーリーの中に出てきた「大根の油焼き」、お手軽なのに美味しそう。マネして作ってみたくなる一品。


「小夜しぐれ」 高田郁

2011年06月22日 | た行の作家

「小夜しぐれ」  高田郁著 ハルキ文庫 11/06/21読了 

 

 お馴染み「みをつくし」料理帖シリーズも、ついに第5弾となりました。

 

 昨日読み終わった「雷電本紀」は格式ある料亭で頂く会席料理の如し(って、料亭で会席石料理なんて食べたことないけど)。一つ一つの素材が厳しく吟味され、調理法から味付けまで、これ以外の方法は考えられない―というところまで極めた迫力が感じられる。

 

 でも、どんなに素晴らしい素材で、どれほど美味しくたって、毎日会席料理を食べたいか―と聞かれると、決して、そうではないんですよね。白いごはんに海苔の佃煮を載せて、ワカメとジャガイモの味噌汁、目玉焼きは白身を先に食べて、最後に半熟の黄身に醤油を垂らしてジュルッて食べるのがフツーに幸せなのです。

 

 「みをつくし」シリーズは、まさに、そういう「うちゴハン」的な安心感で、ホッとした気分にさせてくれる。「雷電本紀」とは違う意味で、物語を読む喜びを与えてくれる作品。

 

 でも、根性なしの私はちょっとイライラしてきました。物語のベクトルは、明らかに、澪が思い人と結ばれるフィナーレに向いてると思うのですが、その進捗は「3歩進んで2歩下がる」超スローペース。著者がレディースコミックの漫画原作の仕事をしていたことと関係あるのかどうか定かではないが、なんとなく、少女漫画の毎週ネタ小出し作戦的に結末を後ろ伸ばしにしているような…。「落としどころは決まっているんだから、さっさと2人が結ばれちゃえばいいのに!!!」と、ついつい、せっかちなことを心の中でつぶやいてしまう私。せめて、最終刊が6巻なのか、7巻なのか教えてほしいなぁ。