おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「静かな夜」 佐川光晴

2012年04月18日 | さ行の作家

「静かな夜」 佐川光晴著 左右社  

 過去に文芸誌に発表された作品集。

 すごくいい。コトバがジワリ心に沁みていく。

 表題作は芥川賞落選5回を誇る(?)作家が最初に芥川賞候補になった作品「銀色の翼」の続編として書いた作品。最近、「おれのおばさん」(集英社)シリーズが尾木ママや中江有里さんから推奨されて少々注目されているけれど…作品としての熟度は「おれのおばさん」シリーズとは比べものにならない。余分なモノをそぎ落として、選び抜かれた言葉で綴られた物語。暗く重いストーリーなのに、すごく美しくて、清々しい。真っ白な表紙が美しい素晴らしい装幀ですが、それは、コンテンツを象徴しているようでした。

  「静かな夜」は長男と夫を相次いで亡くし、幼い娘2人と生きていく30代の女性・ゆかりに焦点を当てながら、人はどうやって「悲しみ」や「不条理」と向き合い、乗り越えるのかという普遍的なテーマを突き詰めていく。

  結局、人間って弱い。逃げるか、他人と比較優位になることで自分を納得させるか…。

 でも、弱くても、情けなくても、格好悪くても、生きていれば、新しい局面に出逢える。強くなくてもいい、生きていればいい―というメッセージが暖かい。そして、このメッセージこそが、人がフィクションを求める理由なのだと思う。

  ところで、今まで読んだ佐川光晴作品は、本人がモデルとなっているとしか思えないような愚直な男性が主人公で、勝手に、そういう作品しか書けないのかと誤解していましたが、「静かな夜」は女性主人公。これが、なんとも言えずによかった。主人公と筆者に適度な距離感があって、心の動きにリアリティがありました。これまでに読んだ(まぁ、そんなに大して読んでいませんが)佐川作品ではナンバーワン。


「晴天の迷いクジラ」 窪美澄

2012年04月07日 | か行の作家

「晴天の迷いクジラ」 窪美澄著 新潮社 

 本屋大賞で2位だった「ふがいない僕は空を見た」に続く、著者第2作目。(個人的には、大賞だった「謎解きはディナーのあとで」より、断然、よかった!)

 すごくいい。

文句なくスカッと素晴らしい作品―というわけではない。文章もいまひとつこなれていないような印象だ。決して楽しいストーリーでもない。それでも、読み終わった後に、ずっしりとした読み応えと、長い長いトンネルの先に陽の光が見えた時のようなホッとした気持ちがなんとも心地よい。

  破綻に追い込まれた東京の小さなウェブデザイン会社の女社長と、一番若手の社員。「もう生きてるのもかったるい」というところまで追い詰められた2人が、最後の力を振り絞って見に行ったのが、湾に迷い込んできてしまったクジラ。

 近隣の住民たちは、あの手この手で、なんとかクジラを湾の外に出してやろうとする。でも、結局のところ、クジラが自ら泳ぎ出さなければ、クジラは湾から出られずに死んでしまう。

 あまりにも直球すぎる比喩なのだけれど、そのストレートさが却って心に響く。迷い込んできたクジラに、迷える人たちを投影している作者自身が、迷い、悩みながらストーリーを展開させているからこそ、最後に、光が見えてくる。生きているのはかったるい、それでも、生きていかなきゃという当たり前のメッセージがしっかりと伝わる作品。

 

 


「鉄のしぶきがはねる」 まはら三桃

2012年04月07日 | ま行の作家

「鉄のしぶきがはねる」 まはら三桃著 講談社  

  北九州にある工業高校が舞台。機械科1年生唯一の女子・三郷心(みさと・しん)が、先生の差し金で「ものづくり研究部」に助っ人として引きずり込まれ、「ものづくり甲子園」とも呼ばれる高校生技能五輪を目指して奮闘する物語。

  物語の構造としては、極めて、ノーマル。もちろん、野球や、サッカー、テニスなどで大会優勝を目指す青春もののとはひと味違うけれど…でも、逆に、今さら、野球部の青春ドラマを描くのはハードルが高い。一歩間違えれば、陳腐過ぎてしまう。故に、「碁」とか「小倉百人一首」とか、ひとひねりした青春マンガが流行ったりしているわけで、「舞台設定はアブノーマル、ストラクチャーはノーマル」というトレンドにバッチリはまっているのかもしれない。ただ、そういう設定を狙って作り込んだわけではなく、「鉄」とか「モノ作り」に対する作者の暖かい視線が感じられて、好感が持てた。

  ただ、主人公の「心=しん」という名前が、どうもひっかかった。意味あって名付けられた名前なのだけれど、普通名詞である「こころ」という意味でも「心」が頻出するので、「普通名詞のつもりで読んでいたら主人公の名前だった!」ということが何度かあった。作者のキャラクターへの思い入れ、意味づけと、読者にとっての読みやすさのバランスって難しい。

  ちなみに、この作品は岡山県が主催する「坪田譲治文学賞」の受賞作なのだけれど、その選評が、なんとも時代を感じさせる。選者のお歴々は「工業」という言葉に感銘を受け、「現代のプロレタリア文学だ!」みたいなことを言っているのだけれど、何がプロレタリアなのか?? 赤貧でもないし、イデオロギーを語っているわけでもないし。純粋に、鉄の魅力、技術を磨くことの悦び、勝負の興奮を描いているのに、プロレタリアとかいう時代がかった意味合いを押しつける必要はあったのだろうか。文学の世界も、名実ともに世代が入れ替わるにはもうちょっと時間が掛かりそうな気がしました。


夏天の虹」 高田郁

2012年04月07日 | た行の作家

「夏天の虹」 高田郁著 ハルキ文庫 

  江戸の女料理人・澪を主人公とする「澪つくし」料理帖シリーズの7冊目。途中、「マンネリ化する前にさっさと完結した方がいいのに…」と思った時期もありましたが… 今や、大いなるマンネリが愛すべき作風(芸風)として定着。時代小説の「渡鬼」的存在です(スミマセン、「渡鬼」1度も見たことありませんが…)

  町人と武家という身分の壁を越え、澪はずっと思い続けていた小松原さまと結ばれることになった…はずだったのに。「料理は私が生きるよすが。どうあっても手放すことはできない」と悩む。

  今と違って、「仕事と家庭を両立します」などということはありえない時代。とはいえ…なんで、せっかく掴みかけた幸せを自ら放棄しようとするの? すっかり「親戚のおばちゃん」モードになって、辛い道を選ぼうとする澪に「いいから、さっさと好きな人のところにお嫁に行きなさ~い!」とイライラハラハラするも、時代小説的渡鬼にそんな簡単にハッピーエンドはやってこない。

  この巻では、澪に次々と試練が課され切なくなってしまうけれど…最後の救いは、「澪つくし」シリーズのテーマである「料理は人を幸せにする」ということ。澪が奉公する「つるの家」にやってくる客たちの、美味しそうで、楽しそうな食べっぷりは読み手まで幸せな気持ちにしてくれる。

  ちなみに舞台は、今の神田から飯田橋あたり。昨日、夜桜見物の帰り道、九段下から飯田橋に向かって歩いていたら「台所町跡」という石碑に遭遇しました。「澪つくし」シリーズにもしばしば登場する地名で、なぜか、懐かしい気持ちになりました。