おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「銭の戦争 第2巻・北浜の悪党たち」 波多野聖

2013年01月28日 | は行の作家

「銭の戦争 第2巻・北浜の悪党たち」 波多野聖 ハルキ文庫 

  どうしよう。もう、面白すぎる!!!

  サブタイトルの通り、明治40年前後の北浜や証券金融市場を賑わした相場師にフィーチャー。改めて、株式市場って、100年以上、同じことを繰り返しているのだなと思う。電話、コンピューター、インターネットと、新しい技術の導入に伴い圧倒的なスピード感の変化を獲得してきたけれど、儲けるためのメソッドは変わらない。と、分かっていても、人間って相場の魔力から逃れられないんだな。というか、カネの魔力が世界を動かし、歴史を変えているし、歴史が相場を動かしているのかもしれない。

  物語の中で狂介が語る相場哲学は潔く、美しい。相場に勝つために必要なのは、知恵と機転と度胸と資金力。そして、何よりも孤独に耐える精神力。自分には何ひとつ無いので、相場には不向きと改めて認識する。というか、やっぱり、素人がパソコンみながらクリックしてカネを稼ごうなどという浅はかな考えが通じるほど甘い世界ではないなと思う。

  ピンポイントで特に面白かったのは、創業当時の村證券の描写。「野村週報」って、野村徳七が考案したのかぁ。投資情報部やストラテジスト、アナリストを駆使したハウスオピニオンの流布なんて今となっては当たり前のことのようだけど、最初に思いついて、システムを作った人には素直に賞賛の拍手を送りたい。 

 そして、100年前に財政難にあえいでいた日本も、やっぱり金融緩和で切り抜けようとしていたというのも、なんか、身につまされます。


「銭の戦争 第1巻・魔王誕生」 波多野聖

2013年01月25日 | は行の作家

「銭の戦争 第1巻・魔王誕生」 波多野聖 ハルキ文庫  

  恐るべしハルキ文庫!!!

 そして、波多野聖、いったい何者なんだ!!! 

 まったくもってキケンな書物を手にしてしまいました。

  主人公は明治21年生まれの稀代の天才相場師。三井銀行のエリート・井深雄之介の次男・享介として生まれ、容姿端麗・頭脳明晰な青年へと成長していくが…相場の魔力に取り憑かれ、父親の友人の破滅を招いたとして勘当を言い渡される。狂介と改名し、孤高の人生を歩んでいくことになる。

  主人公はこの狂介のようでいて… 単に一人の人物にフィーチャーしているわけではないのです。高橋是清、ラスプーチン、伊藤博文など教科書に必ず出てくる歴史上の人物から、もう少々マイナーな幕末から明治期にかけての経済人まで、ネット検索してみると井深雄之介&享介親子以外はほとんど実在の人物なのです。

  日本が戦費のメドも立てないまま日露戦争に突入したこと、当時・日銀副総裁だった高橋是清がロンドンに赴き、ギリギリの交渉を重ねて奇跡的に外債発行にこぎ着けたこと、そして、その裏でうごめくユダヤ財閥の思惑。かと思えば、ラスプーチンがいかにしてロシア皇帝に取り入っていったのか… 近代史総復習的でありながら、少しも「お勉強」的な匂いはなく、物語としてのハラハラドキドキがてんこ盛りなのです。

  もちろん、相場師の物語というだけあって、仕手戦の様子は息をのむようにリアル。株式市場の草創期で、まだ、電話回線すらろくにない時代。現代の秒速の戦いに比べてみればなんとも悠長な売り買いのようでいて、株取引で勝つための手法の原型というのは当時からある程度、確率されていたのだなと納得。

  作者の波多野聖氏、大阪出身、一橋大卒、機関投資家でファンドマネジャー経験ありというあっさりとしたプロフィールしか書かれていませんが、いったい何者なんだろう。金融の知識はともかくとして、近代史の網羅的な知識と考察力はただものとは思えません。とにかく、キケンなほど面白い。そして、これを書き下ろし文庫で出版するハルキ文庫、ブラボー!!!

  ちなみに、この小説、完結まで10年を要するそうです。書店で3巻までが平積みになっていて、「なんとなく面白そう…」と購入したものの、後になって3巻が最終刊ではないことに気付く。最終的には20巻になる予定とか。もしかして、現代金融財政史に踏み込むってことでしょうか。続編熱烈期待。でも、半年に一冊の最新刊を待つのはつらいなぁ(>_<)

 


「誰にも書ける一冊の本」 萩原浩著 

2012年01月28日 | は行の作家

「誰にも書ける一冊の本」 萩原浩著 光文社 12/01/24読了

 

 6人の作家が「死に様」をテーマに競作した光文社のシリーズ本のうちの一冊。

 

 もともとは光文社の小説誌「宝石」の企画であり、中編という長さ制限があったものと思われますが…。にしても、なんか、あまりにもオーソドックスというか、ストレートど真ん中な感じの作品でした。

 

 東京で小さな広告会社を経営する「私」は、父の危篤で故郷の函館に急遽、呼び戻される。父親は80歳を過ぎ、大往生といっていい年齢だが、いざ、今際のきわとなればおろおろとうろたえる家族たち。

 

 そんな中で、母親から、父が密かに書きためていたという「自伝的小説」を手渡される。意識が戻る見込みすらない父が眠るベッドの脇で「私」はその小説を読み始める。函館がイヤで大学進学と同時に上京し、その後、年に数度、帰京するだけ。大人になってから、父親とじっくりと話をしたこともない「私」は、父が書いた小説を通じて初めて父の人生に触れる。当たり前なんだけど、そのストーリーの中では、凡庸な人にしか見えなかった父が、主役を張っているのだ。その人の人生の中では、その人が主人公である、そんな当たり前のことに気付かされる「私」。

 

 親と真正面から向き合わなかった ― というのは、誰でも身に覚えのあること。そして、年老いていく親の姿を目の当たりにして、「もうちょっと親の話を聞いておいてあげればよかったかなぁ」と思いつつも、いまさら気恥ずかしくて実行できずにいる人も少なからずいる。そういう読者の痛いところを突いてくる王道の作品なんだけど、萩原浩だったら、もうひとひねりを効かせてもいいんじゃないかなと思いたくなってしまいます。

 

 ところで、この本を一冊1200円で売るって、なかなか、勇気ある値付け。6作品とも、既に、小説「宝石」で発表済み。小説「宝石」は税込み780円で、何十もの連載小説・エッセイによって構成されている。そこから、一作品を切り分けて1200円というのは、消費者の感覚としては高すぎっ!もちろん、文芸誌から単行本化は珍しいことではないけれど、この本は、とっても大きな活字で、しかも、薄い。あきらかに、一作品で一冊の単行本にするのが無理無理なのです。 幕の内弁当780円で、そこにちょこっと入っている煮物だけを別の容器に入れてバラ売りしてもらったら1200円したのと同じことですよね。6作品シリーズで揃えたら7200円なんて…。

 

 とってもステキな装幀だし、流通コストがかかることも理解できるけれど…高速通信が普及して大容量のコンテンツも簡単にネットでやりとできる時代に、紙の書籍が、読者を甘くみたような値付けしていて大丈夫なんでしょうか? 

 

 と、偉そうに書きましたが、スミマセン、知人に借りて読んだので1200円払ったわけではありません。でも、これに1200円、やっぱり、払いたくないなぁ。 

 

 


「謎解きはディナーのあとで」 東川篤哉

2011年06月14日 | は行の作家

「謎解きはディナーのあとで」 東川篤哉著 小学館 2011/06/13読了  

 

 何年か前に深田恭子主演で「富豪刑事」といとうテレビドラマがあった。本編を見たわけではないけれど、予告編で深キョンが「たった○○億円のために殺人事件を起こすなんて信じられな~い」という、すっとぼけたセリフを甘ったるい声で言っているのを聞いて、「深田恭子による、深田恭子のためのドラマなんだろうなぁ」と思いました。トリックの緻密さとか、リアリティなんかは二の次で、深キョンが深キョン的に可愛ければそれでよしってことだったんじゃないかと…。

 

(と、ここまで書いたところで、友人から「富豪刑事」の原作は筒井康隆の小説で、そちらはめちゃめちゃ面白い作品であったとの情報がもたらされる。)

 

 で、その「富豪刑事」にインスパイアされた作品なのかどうかはしりませんが、「謎解きはディナーのあとで」も、警視庁国立署の超セレブなお坊ちゃま刑事とお嬢様刑事のコンビが難事件に挑む。でも刑事としての2人の能力はほどほどな感じで、難事件を見事に解き明かすのは、お嬢様に仕える執事でした―という設定。しかも、この執事は現場も見ずに、お嬢様に事件の概要を聞いただけで、犯人やその手口を推理してしまう。その上、「お嬢様の目は節穴でございますか」などと辛辣な言葉をまき散らす毒舌家。

 

 個人的には、まったく好みではないけれど、百歩譲って「キャラもの」というジャンルならば「あり」かもしれないな―と思わないでもない。GACKTとか、いかにもナルシストな雰囲気の俳優さんで深夜枠のドラマにしたら、まぁ、それなりにウケるかも。

 

 けれど、これが2011年の「本屋大賞」というのが、どうも、いまいち、腑に落ちない。メインキャラのお嬢様刑事と執事はコメディエンヌ、コメディアンとして、ある程度、できあがってはいるものの、漫画チックに面白いだけ。その背景に、今の時代を映す何か、人間が背負う業とか、悲しみとかがあるわけでもない。その場限りは大笑いして、後で、ちょっと虚しくなる、安っぽいお笑い番組のような…。

 

 その上で、細部があまりにもテキトーすぎるのです。ちょっとしたミステリーファンや、刑事ドラマ好きであれば「ありえな~い」と叫びたくなるような設定が2ページに1回ぐらいの頻度で出てくる。まあ、それも、「コメディなんだからいちいち目くじらを立てずに読めばいいのか」と割り切れば済むことかもしれない。

 

 が、本の帯を見ると「令嬢刑事と毒舌執事が事件を解決。ユーモアいっぱいの本格ミステリ!」と書いてある。こんなテキトーな設定で、「本格」を名乗る気? 本屋大賞に寄せられた書店員のコメントも「ミステリとしても満足のいく出来」「ミステリとしてもきちんと仕上がっている」「上質のミステリ」と絶賛モード。

 

一言、言わせて頂きたい。「書店員さんの目は節穴でございますか?」。

 

 ちなみに、本屋大賞の10作品の中で私の既読は、2位の「ふがいない僕は空を見た」窪美澄著・新潮社、9位「キケン」有川浩著・新潮社、10位「ストーリー・セラー」有川浩著・新潮社の3冊。「キケン」「ストーリー・セラー」は有川浩の代表作にはならない程度の作品なので、まあ、大賞受賞しなくとも納得。「ふがいない僕は空を見た」は、圧倒的によかった。キワモノ的なプロローグとは裏腹に、生きるとは何かを問う作品だ。人間の弱さ、愚かしさを淡々と描きつつ、最後に心に残るのは人間の生への渇望であり、たくましさ、強さ。こういう作品こそ、本屋大賞を受賞してほしいなぁ。ま、毎年、本屋大賞とは意見が合わない私です。

 

 


「どう伝わったら、買いたくなるか」 藤田康人著 

2011年06月10日 | は行の作家

「どう伝わったら、買いたくなるか」 藤田康人著  ダイヤモンド社 

 

 サブタイトルは「絶対スルーされないマーケティングメッセージのつくりかた」

 

天の邪鬼な私は、「絶対なんて、ありえないでしょ~!私は、そんなの騙されないからねっ!!」と心の中で啖呵を切りたくなってしまった。

 

 著者はインテグレートCEO。ガムのデファクトスタンダードとなっているキシリトールを日本に持ち込み、厚労省を説得し、消費者に浸透させた人として、マーケティングの世界ではあがめ奉られている人だそうです。「インテグレート」という会社は、日本初のIntegrated Marketing Communication のプランニングブティックだそうです。う~ん、まぁ、要するに、広告代理店ってことですよね。

 

 インターネット、SNSが普及して、伝える側が一方的に商品情報を反復的に流し続けるマス広告の時代は終わった―という。広告も報道と同じ壁に直面しているのだ。情報の伝わり方が一方向から、双方向へ、そして、いまや、全方位へとなり、消費者は単なる「受け手」ではなくなった。消費者は情報の媒介者でもあり、「共感」することによって動くのだという。

 

 なるほど。納得。

 

 だから、これからの広告代理店の仕事は「共感」を演出する舞台装置を作ることだというわけですな。マスメディアだけではなく、情報番組、フェイスブックのファンページなどSNSも使って消費者自身が新しい価値の創造、遡及に参加する形こそが新しいマーケティングなのだそうだ。その成功事例として紹介されていたのが、「美魔女」やワコールの「ちゃんと測って正しいブラでずっときれいなおっぱいキャンペーン」。

 

 でも、その手口にも、消費者はそろそろ気付いているよね。企業のファンサイトが、決して自然発生的に生まれているわけではないことも。情報番組の裏側で代理店が絵を描いていることも。ブログで「○○の使い心地がよくて感動~」と絶賛している人が企業の仕込みであることも。読者モデルがタレント事務所に所属するプロであることも。そして、消費者である自分自身もマーケティングのコマにされていることも。

 

 もちろん、それを承知の上でブームに乗って楽しむという手もあるけれど、いずれにしても、消費者は騙されっぱなしではないんじゃないの?

 

 しかも、たまたまかもしれませんが「美魔女」も「タレそうなオッパイをキレイに維持したいのも」アラフォー~アラフィフがターゲット。つまり、バブル華やかなりし頃を謳歌した世代。浪費癖のある人を、もう一度、浪費の罠に陥れるという手口って、別に新しくもなんともないような気がするのは私の気のせい?

 

 スマホとDSさえあれ1日楽しく過ごせる。車なんて興味ないし、服はユニクロで十分。牛丼とマックとコンビニで食事は事足りる。それより、失業した時のためにお金を貯めとかなきゃ―などと言っている若者の財布を開かせたら「さすがっ!」と思うけれど、バブル世代は、そもそも、お金使うきっかけがほしくてしょうがないだけなんじゃないの?

 

 個人消費は経済の柱の1つであり、否定するつもりは毛頭ありません。でも、なんとなく「贅沢はステキ」「浪費って楽しい」という時代は終わりを迎えているような気がする。代理店の手口に乗らず、自分にとって本当に必要な、長く大切にできるものを、必要な分だけ買う―そういう人が増えつつある時に、「これが最先端のマーケティングなのかなぁ?」という疑問が残った。

 


「白銀ジャック」 東野圭吾

2011年01月06日 | は行の作家
「白銀ジャック」 東野圭吾著 実業之日本社文庫 

 さすがベストセラー作家。そつなく上手い。私にとっては、久々のページターナーで3時間一気読みでした。

2010年10月に創刊した実業之日本社文庫創刊の第一弾の目玉中の目玉とあって、ハードカバーでも売れる作品を、いきなり文庫にしてしまった心意気に感服致します。他の出版社の皆さまも、読者は、いつでも「いきなり文庫化」大歓迎ですよ~!

 「ハイジャック」ならぬ「白銀ジャック」。つまり、スキー場を丸ごと人質にとってしまおうというストーリー。ゲレンデの下に爆弾を仕掛けてあり、大規模な雪崩を起こすという。犯人は爆弾を起動させないために「3000万円」という微妙な額を要求してくる。スキー場や付属のホテル・レストランなどを何日にも渡って営業停止にすることを考えれば、3000万円で犯人と取引できるのであれば安いものと-経営者なら考えるわけだが…。

実業之日本社文庫のウェブサイトで著者本人が「いろいろ推理するだろう 残念ながらすべてはずれている」とうそぶいている。なるほど、ベストセラーになるためにはこういうサービス精神が必要なわけなのですね。ストーリーには、いろいろと、臭う仕掛けが散りばめて「あっ、こいつ怪しいな」「多分、この男が裏で糸ひいているんでしょ」と読者に推理する楽しさを提供しつつ、予定調和的に、その推理からヒョイとハシゴを外して読者に騙される楽しさも提供してくれる。一度ページを開くと、もう、「やめられない、止まらない」状態です。

ただ、結末は、かなり陳腐な印象。「えっ~、そんな重大なことをあっさり告白しちゃうの?」「妻が死んでいるというのに、簡単に水に流していいの?」とツッコミたくなるところは山のようにあるのですが…。なにしろ、ベストセラーエンタメなのです。深く考えず、軽~く読み流せるところにこそ醍醐味があるだろう-と自ら、深追いを戒めました。

ところで、出版不況のさなか、なぜ実業之日本社は文庫を創刊したのだろう? 2010年の売れた本ベスト25を見ても、文芸書は村上春樹ぐらいで(もしかして、「もしドラ」って、文芸書?)、ほとんどがダイエット本とか、ハウツー本とか、ビジネス書っぽいのとか…。さらに2011年は「電子書籍元年」などと言われていて、これから、文庫で小説を読む人なんて絶滅危惧種になるんじゃないか…と思うのですが。

とはいえ、「白銀ジャック」は2010年10月発売で既に100万部突破。出版不況でも、売れる本は売れるんですねぇ。

「民宿雪国」 樋口毅宏

2011年01月05日 | は行の作家
「民宿雪国」 樋口毅宏著 祥伝社  2011/1/5読了 

 実は、年末の川崎ラゾーナ丸善で、2011年第一冊を「おくうたま」(岩井三四二著)にするか、「民宿雪国」にするか悩みに悩みました。結局「おくうたま」を選んだのですが、「民宿雪国」を読み終えてみて、「私って勘が冴えてる♪」と、自らの選択を褒めてあげたい気分になりました。 

要するに、私的には「民宿雪国」はかなり微妙。斬新ではあるけれど、気分が滅入るし、救いがない。私の好みではないし、少なくとも新春には相応しくない1冊でした。

 本の帯は売るための宣伝スペースなのだから、まあ、多少はオーバー気味に書いてあることは割り引いて考えなければならない。それにしても「なみなみならぬ筆力」「かつてない刺激的で衝撃的な読書体験」と言われると、かなりそそられるものがあります。しかも、ネットでコアな読書好きの方(っぽい人)が高評価しているのです。

 期待を胸にページを繰っていくと、確かに第一章には「えっ、何?」「それって、どういうこと?」というフックがいくつか仕掛けてある。

物語は、新潟にある寂れた民宿「雪国」の主であり、晩年になって画才を見だされて一気に国民的人気画家へと掛け上った丹生雄武郎(にう・ゆうぶろう)の人生を、ある週刊誌の事件記者が紐解いていくという形式で進んでいく。

画家としての名声を得るまでの丹生の人生は、嘘と欺瞞に塗り固められている。民宿「雪国」の地下室は、丹生のうっ屈した思いを晴らす場であり、創作のためのエネルギーを得る場所でもあるのだが… しかし、そこで行われていることは、あまりにも、悲惨で救われないし、いくらフィクションと言っても非現実的すぎる。

実は丹生も、丹生の評伝を書いているライターも、それぞれに、とある「マイノリティ」グループに属する。まだ、敗戦を引きずっていた昭和という時代の空気と、その中で、マイノリティとして生きることの意味、苦しみを描こうとしたのかもしれない(でも、私の読解力ではマイノリティに対するシンパシーを持っているようには感じられなかったけど…)。しかし、「その苦しみを克服する方法がこんなことでいいの???」と疑問に思うし、いくら犯罪捜査に今ほど科学的手法が導入されていない時代だったにしても、ここまで、ディープな事件が長年に渡って露見せずにいたというのは不自然だと思う。

 「私って昭和の人」と自覚している世代ならば、必ず、深く記憶に残っているであろう昭和史を彩る2つの大事件にも丹生は間接的に関与している設定となっている。かなり、奇想天外な設定である。故に、帯に書いてあった「かつてない刺激的で衝撃的」は、確かに、その通りなのかもしれないが…でも、「刺激」と「衝撃」の中に、少しも、ポジティブなニュアンスが感じられないのが、なんとも、評価しがたい。

 そして、作者あとがきの中で、「共働きの両親に代わって、ありったけの愛情で私を育ててくれた祖母に捧ぐ」という言葉がありましたが、私がおばぁちゃんだったら、孫が書いたこんな悲惨な物語を捧げられたくないなぁ。

 ただ、私好みではないけれど、この作品が好になる人もいるだろうな-というのは、なんとなく、想像はできます。好きになれるかどうかはともかくとして、内側にパワーを持った書き手なのだろうな-というのも感じます。

著者の第一作目の「さらば雑司ヶ谷」も色々な読書ブログで高評価で、しかも「民宿雪国」ほどディープではなさそうなので、いずれ読んでみたいと思います。


「ゆんでめて」 畠中恵

2010年11月09日 | は行の作家
「ゆんでめて」 畠中恵 新潮社 2010/11/03読了

 ジャニタレでドラマ化までされた「しゃばけ」シリーズの最新刊。隣の家まで歩いていくだけで熱を出すほど病弱な江戸の薬種問屋の若旦那と、その家に居着く妖怪(あやかし)たちが繰り広げるライトミステリー。

 第一作「しゃぱけ」はめちゃめちゃ新鮮でした。基本的にはファンタジー小説はあまり好きではないのですが…妖怪たちのおちゃめっぷりに引き込まれて、あっという間にファンになってしまいました。しかし、楽しかったのは、第三作ぐらいまででしょうか。その後は、マンネリとミステリーとしてはあまりにも甘々すぎるストーリー展開が鼻につくようになってきてしまいました。

 今回は、正直、読むのがキツかった。もはや、登場人物のキャラで読ませるには新鮮味が足らない。かといって、サザエさんや水戸黄門のような大いなるマンネリを読者が納得して受け入れられるほどにストーリーが練り上げられているわけでもない。ミステリーとしては陳腐すぎる。

 -というのは、大人の感想である。多分、小学校の学級文庫に並んでいたら、そこそこの人気を博すであろう-と思われる。

「スリーピング・ブッダ」 早見和真

2010年10月20日 | は行の作家
「スリーピング・ブッダ」 早見和真著 角川書店 2010/10/19読了 

 毎週水曜日のお楽しみ、日経夕刊(10月13日付)の本のコーナーで紹介されていました。ファンキーなタイトルと表紙に心奪われ、即、楽天ブックスで注文。

 正直なところ、色々な要素を盛り込み過ぎて、後半は、若干、ストーリーが破たんしているのではないか-と思わないでもありませんでした。小説としての完成度は、まだまだ高める余地が残っています。しかし、それでもなお、人を引き寄せる吸引力のあるストーリーでした。

 なにしろ、仏教という特殊な世界を舞台にしているものの、突き詰めていえば、青春小説なのです。「生きる」とはどういうことなのか。「死」と向き合うとはどういうことなのか。嫉妬や名誉欲に打ち克つことはできるのか-どんな時代も若者は悩み続けるのです。そして、この物語の中では、本来、救済者であるはずの僧侶に俗世の若者たちと同じように悩み、もだえ苦しみ、無様な姿をさらさせているのが、斬新であり、リアル。

 まだ、私が子どもだったころ、実家では、家族の命日やお盆にお坊さんに来て頂き、お経をあげてもらっていました。子どもにとって法事などというもものは、退屈極まりないはずなのですが、毎年、来て下さるお坊さんは立ち居振る舞いの全てが優雅で美しく、仏さまがそのままこの世に現れたのではないか-と思うほどでした。私は、密かに「菊童子さま」とあだ名を付けて、その姿を見るのを楽しみにしていました。

 寺の跡取り息子であり、やがては住職になるはずだった菊童子さまが自殺したのを知ったのは、新聞の地方版でした。1年にほんの1度か2度姿を見るだけの菊童子さまの心の内側にどんな懊悩があったのか知る由もありませんが、子どもながらに「人を救わなければならない人が自ら生命を絶ってどうする?」と割り切れぬ思いがずっと残っていました。

 「スリーピング・ブッダ」は、寺の次男として生まれた広也と、バンド活動に明け暮れながらもメジャーデビューの夢がかなわなかった隆春の2人が、大学の教室で出会い、共に仏門に入り、辛い修行の日々を送る-というのが前半戦のメーンストーリー。広也は兄が事故死したことで繰り上がりの跡取りになることに。仏門に入ることは子どもの頃からの憧れであったが、住職である父親から期待されていないのではないか、認められていないのではないか-というコンプレックスを持ち続けていた。かたや、隆春は、バンド命でろくに就職活動もせず、あてにしていた父親の経営する町工場の経営も傾き、「ナンカ、安定してそう」という理由で仏教界に興味を持つ。

 つまり、修行僧も、つい昨日までは、普通に町中にいて、悩みを抱えたり、悩むことにすらマジメに向き合おうとしなかった若者であり、俗人の集団なのだ。もちろん、修行を積み、人を救いたいというピュアな思いを持った人もたくさんいるだろう。しかし、人が集まるところにはイジメがあり、権力闘争があり、嫉妬もうずまく。

その中で、どうやって、道を極めていくのか。理想と現実との狭間で揺れる2人。一時は、互いの友情すら信じられなくなってしまうが、共に修行する仲間の一人が自殺未遂事件を起こしたことをきっかけに、再び、求道者として相互の存在を認め合うようになるが…。
物語後半はかなりグダグタ系。先輩も交えて3人で寺の経営に乗り出すものの、それぞれの目指すものが微妙にズレてくる。ピュアであるが故に信徒の期待に必死に応えようとして気が付けばカルト教団の教祖のような存在に祭り上げられてしまった広也。「なんとなく」仏門に入ったものの、教えに目覚め、原理主義者のように教えに忠実であろうとする隆春は激しくぶつかり合うようになる。

もだえ苦しんだ隆春が、最後に行きついた安息の地は、学生時代に大好きだった美鈴先輩との貧しいけれど、幸せで甘い生活。そして、隆春にパワーを与えてくれるのは、一度は諦めた音楽の道。  

 私は、この結末が嫌いじゃない。結局、人間を救うのはそういうものなのだ-と思う。というか、救われるか・救われないか-は最終的には気の持ちようなんじゃないかと思う。

 しかし、この小説、ここまで仏教について、修行生活について熱く語っておきながら、最後の最後に「美鈴先輩、超・愛してる!」で終わっちゃっていいの-??? という余計なお節介的な疑問が湧いてきてまうなぁ。 私自身は、特定の宗教を信じているわけではないけれど、宗教が果たす役割を否定するつもりは全くないし、クリスチャンや仏教徒でなくとも教会やお寺の敷地に足を踏み入れれば厳粛な気持ちになるのは、私だけではないだろう。せっかく、宗教というやっかいなテーマに手をつけちゃったのであれば、「自分が救われる」ための答えだけではなく、「人を救うとはいかなることなのか」というところを、もうちょっと掘り下げてほしかったです。しかも、後半、かなりたくさんの要素を詰め込んだわりには、慌てて終わらせようとしているような印象でした。

 でも、荒削りながら、読み手を引き付けるパワーは感じました。特に、前半は文楽の世界に飛び込んだ若者の奮闘を描いた三浦しをん「仏果を得ず」の仏教版のような印象で、異色青春小説として楽しめました。

「船に乗れ!」ⅠⅡⅢ   藤谷治 

2010年09月18日 | は行の作家
「船に乗れ!」ⅠⅡⅢ  藤谷治著 ジャイブ 2010/09/18読了  

 芸大付属高校に落ち、小さな挫折を味わった三流音楽高校の生徒である「僕」がいかに大人になっていたか-の成長物語。

一人一人にとって、自分の人生はとてつもなくドラマチック。それは、他人にとって取るに足らないような出来事であっても、その出来事に向き合う本人にとっては、頂上が見えないほどに高く、険しい絶壁のように立ちはだかる。そして、時には、それを乗り越えられずに逃げ出してしまうのもまた人生。それでも、人は大人になり、ドラマチックではないけれど、人生はずっと続く-そんな物語でした。

 正直なところ、第2巻で「僕」の純愛の相手である南枝里子が、「僕」が数週間の短期留学をしている間に、好きでもない男と寝て、妊娠して、学校を辞めてしまう-というあまりに安っぽい学園ドラマ風事件に、かなり、ゲンナリしました。が、まあ、でも、3巻全体を通してみると、不格好だったけれど、私なりに精いっぱいだった中学・高校時代が懐かしく、愛おしく思えるような、そんなストーリーでした。

 そして「船に乗れ!」というメッセージがいい。「僕」が、壁を超えられずに自暴自棄になった時に、生贄として傷付けてしまった相手から送られたニーチェの言葉。恐らく、「僕」は自分の犯した罪の代償として、一生、負っていかなければいけない言葉。それは「生きろ」「もがきながらでも生きろ」というメッセージであり、命じられるまでもなく「それでも、人は生きていく」という現実を伝えているようでもある言葉だった。

 個人的には、本牧や紅葉坂の県立音楽堂、県民ホール-私の高校生活にとっても馴染み深い地名がたくさん出てきたことが、ちょっと嬉しかった。そして、やっぱり、2巻の冒頭の方で、純愛の2人が初めて手をつなぐ場面はキュンとしました。

 出版社の「ジャイブ」って気になるなぁとずっと思っていたのですが、「雨にも負けず粗茶一服(松村栄子著 2008/09/07読了)」の文庫版を出していた会社でした(私は文庫を待ち切れずにマガジンハウス版のちょっと高いのを買いましたが…)。青春モノを得意とする本屋なのだろうか? 疲れたおばちゃんも、たまに、こういうビタミン剤をもらうと元気になれます!