おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

竹本住大夫素浄瑠璃の会 @ 日経ホール

2009年09月27日 | 文楽のこと。
竹本住大夫素浄瑠璃の会 @ 日経ホール (09/09/26)

 いつもは床にいらっしゃる師匠が、スポットライトを浴び、錦糸さんと並んで舞台の中央にゆったりと座っている。「あらず、戻られし~」。じんわりと響く声で、最初の一言が始まった瞬間から、2人しかいない舞台の上に、物語の世界が浮かび上がる。

演目は菅原伝授手習鑑・桜丸切腹の段。父親・白大夫の古希の祝いに集まった、梅王、松王、桜丸の3兄弟。めでたい席のはずなのに、桜丸は切腹の覚悟を固めている。それを知りつつ、明るく振る舞う父親。最後の場面では、息子に切腹刀を手渡し、介錯をしなければならない、父親の悲哀。

白大夫の唱える「なまいだ、なまいだ、なまいだ…」の念仏の声の、あまりの悲しさに鳥肌が立った。

9月公演の「沼津」で、自らの死と引き換えに息子を生かそうとする平作が、息も絶え絶えに唱える「なまいだ」も圧巻だったが、息子の死を受け入れなければならない白大夫の「なまいだ」は、深い沼に落ちていくような、とてつもない凄味があった。

いやぁ、いいもの聴かしていただきました。まさに、住師匠は国の宝です。

そして、後半は住師匠&赤川次郎さんのトークショー。司会の女性が「日経ホールのオープニング記念に、住師匠にご登場いただき光栄です」と言うと、「すんまへんなぁ。文楽は、目出たい話が少のおましてな。やれ、切腹だ、心中だって話ばかりですわ」と、観客の心をグッとつかむ。

浄瑠璃も素晴らしいけれど、普通にトークしていても、名調子!!!

これまで、住師匠の本を何冊か拝読し、そのたびに、なんてリズムのいい文章なんだろうと感銘を受けていたのですが… まさに、しゃべり口調をそのままに文字に落としこまれていたのですね。

江戸言葉と大阪言葉の違いがありますが、住師匠の本は、立川談四楼師匠の小説やエッセイを読んだ時と同じく、文字からも音が聞こえてきて「ああ、なんて、日本語っていい音なんだろう」と感激するのです。

その師匠の言葉をナマで聞くことができて、本当に、楽しかった!!
そして、さすが、大阪のおっちゃん。会場がドッと沸くのを「な、ワシの話、おもろいやろ?」とでも思っていらっしゃるのか、ちょっと嬉しげなお顔をされるのが、なんとも、キュートでいらっしゃいました。住師匠のしゃべり過ぎで、赤川次郎さん、ほとんど、しゃべる場面がなかったのが、ちょっとお気の毒でした。


「沼津」&「酒屋」 = 文楽9月公演第2部

2009年09月23日 | 文楽のこと。
「沼津」&「酒屋」=文楽9月公演第2部 @ 東京国立劇場

 超メジャー演目であり、その上、人間国宝てんこ盛り。当然のことながら、連日の満員御礼。
 
 まずは沼津。
 ミーハーな勘十郎さまファンとしては、大太刀回りのある派手な役を見たいなぁという気持ちでいたのですが… 老人を遣われても、勘十郎さまは、やっぱり、天下一品でした。

 貧しい人足の平作は、旅人の荷物運びで日銭を稼いで糊口をしのいでいる。西へと向かう十兵衛を見つけると、「だんなさん、今日はまだ稼ぎがないんです。どうぞ、荷物を運ばせて下さい」と懇願する。ところが、年老いた平作には荷物が重すぎて、足がもつれてしまう。この足のもつれぶりがあまりにも真に迫っていて、息を飲みました。

 「荷物を運ばせて下さい」と言いながら、ろくに荷物を持てない平作。本来なら、笑いの場面なのですが、この2人は、実は、昔昔に生き別れた親子。この時点ではそのことに気づいていないのですが、仇討ちの裏側で敵味方に分かれている二人にとって、再会は永遠の別れにつながる悲劇の始まり。平作のもつれる足は、これから始まる悲しいドラマを予感させるようで、笑いの中に悲しみを感じさせる、なんとも切ない演技でした。

 それにしても、勘十郎さまと簑師匠の濃厚な師弟競演を拝見できるというのは、なんと幸せなことでしょう。改めて、「文楽に巡り合えて良かった」と感謝の気持ちでいっぱいになります。そのうえ、浄瑠璃は住師匠!!! 今の、世の中で、こんな贅沢なことがありましょうか。宗教を持たない私なのに、神に感謝したくなる瞬間です。

 住師匠が床にいらっしゃる時は、浄瑠璃を聴きたい。でも、勘十郎さまと簑師匠の人形も見たいという、悩ましい舞台でした。最後、十兵衛が息も絶え絶えに唱える念仏の声。住師匠の迫真の語りに涙が出そうになりました。悲しい胡弓の響きも素晴らしかったです。

 休演の多い綱大夫さんが、9月公演は休みなしでご出演。大阪の夏休み公演の時よりもお声は出ていたようでしたが… それでも、三味線に負けてしまって聞き取れないところが、結構、ありました。 綱大夫さん、かつては、声量もあり、笑い薬をやらせたら住師匠よりももっとすごかったそうですが… 私が文楽デビューした時点では、既に、休みがちで声の出も出づらくなっていました。9月公演は、綱大夫さんのあとに、住師匠ということで、声量の違いが際立ってしまい、痛々しかったです。


続いて、「酒屋」

 東スポ的(東スポが文楽の記事を載せることは永遠にないでしょうが…)には、9月公演のトップニュースは、なんといっても、「嶋大夫・富助、ついに破局!」ですよね。

 事前に、配役を見て、「ああ、ついにこの日が来てしまったんだなぁ」とは思っていましたが、改めて、床が回って、嶋師匠の隣に富助さんがいないのがちょっと悲しかったです。

 嶋師匠のお声は本当に大好き。小さな身体なのに、毛細血管の先の先まで余すことなく使っているのではないかと思うほど伸びがあって、艶があって、使いこんだバイオリンのように、温もりのある響き。富助さんの華やかで、キレのある三味線の音とはベストマッチと思っていました。

 嶋師匠の新パートナーは清友さん。富助さんの印象がまだ強く残っているだけに、ちょっと、地味目な感じ? 嶋師匠の声は相変わらず、素敵でしたが、終わってみると、あまり三味線が印象に残らなかったです。

 芸と芸がぶつかりあう激しさ、厳しさは、凡人には想像も及びませんが、でも、凡人的には、それを乗り越えて、嶋大夫&富助のコンビ復活を願いたいです。まあ、無理なんだろうなぁ…。

 で、嶋さんの素敵な声にのせて物語は展開するのですが…。妻は夫を思い、親は娘を思い、舅・姑は嫁を思い… 登場人物が、みな、誰かを思いやる「ええ話」なんだそうです。

 お園が「半七つぁぁぁん」と心を寄せる夫は、女舞の芸人・三勝に惚れこんで、子どもまでなした仲。その上、三勝の父親の借金が原因で人殺しまでしてしまう。しかも!半七は、三勝に操を立てるために、お園を抱いていないというから驚き。

 つまり、お園は、自分を抱いてもくれない、人殺しの男に「半七っあああん」と身悶えて、「去年、病気になった時に私が死んでいれば、三勝さんとちゃんと夫婦になって幸せになれたでしょうに」「鈍な私がいけいなのね」と自虐モード全開。ダメンズウォーカーの世界です。

 実は、最後、半七が手紙の中で「来世で夫婦になろう」とお園に語りかける場面があります。来世思想が強かった江戸時代においては、その言葉がお園にとって、この上ない救いになるらしいのですが、でも、現代人の私には、根本のところで、お園の気持ちにシンクロできないし、あまりにも不条理。

 だからこそ、お園は、簑師匠がよかったなぁ…と思ってしまいました。やっぱり、不条理を条理に変えてしまうほどに、娘役を遣わせたら、簑師匠以上のお方はこの宇宙には存在しないのです。日高川の清姫も簑師匠が遣われると、その狂気に得心してしまうから不思議。

配役によっては、もっともっと、テンション上がったかもしれないなぁという舞台でした。

鬼一法眼 = 文楽9月公演 第一部

2009年09月23日 | 文楽のこと。
鬼一法眼三略巻 = 文楽9月公演第1部 @ 東京国立劇場

 いやぁ、めちゃめちゃ楽しかった~♪ 「これぞ、エンターテインメント」という、何度でも見たくなる作品です。

9月公演は「沼津」「酒屋」という超メジャー演目&人間国宝大量出演の第二部の人気が沸騰して、即日完売・連日大入り満員。その反動なのか、第一部は休日でも100枚ぐらいチケットが売れ残っていたらしく、空席が目立ったが残念でした。

もちろん、第二部の住師匠、簑師匠、勘十郎さまの素晴らしい芸は、「ああ、生きててよかった~」と思えるぐらい幸せな気持ちになれます。でも、私的には、作品全体の「楽しくって、ワクワク!」な感じは、圧倒的に第一部の方が上回ってました。人間国宝の会ばかり見ている方々、絶対に、もったいないですよ~!!!

で、その「楽しくって、ワクワク!」の8割ぐらいを担っていらっしゃったのが、鬼若(後の弁慶)の玉也さん。 不覚にも、私は、5月の相生座公演まで、お名前と顔が一致しておりませんでした。夏祭浪花鑑で勘十郎さまと共演の義平次の生き生きとしたお姿に「えっ~、この人形遣いさんは誰? めちゃめちゃカッコイイ~!!」とハートに火が付いてしまいました。

今回の鬼若も、可笑しみがありながらも、後に弁慶として活躍する大器を予感させるスケールのあるお遣いぶり。硯やら、書のお手本をぶん投げ、大筆や薙刀を振りまわし、見せ場もいっぱいあって、何度も笑ったり、心の中で大拍手を送ってしまいました。しかも、会場の笑いを誘う場面でも、玉也さんは超クールなお顔つきのままで、それも、またステキでした。

三味線も充実してました。寛治師匠のまぁるい、優しい音に、津駒さんの張りのあるお声がよくあっていて、うっとり。中休み後の喜一朗さん、燕三さんは、寛治師匠とはタイプが違いますが、若さとエネルギーがじわっと感じられるような音色。そして、三味線5人揃いで、元締め役の富助さんの音色は、やっぱり、華とキレがあっていいですねぇ。嶋師匠・富助さんの破局(?)は、ファンとしてはめちゃめちゃ残念ではありますが、でも、嶋師匠と別れても、富助さんの音の素晴らしさに変わりはありません。

ストーリーも単純で、わかりやく、本当に、気楽に見られます。なにしろ、牛若丸と弁慶が出会うまでの前段の物語。最後の五條橋の場面は、子ども向けの昔話にも登場するので、大抵の人は知っているのではないでしょうか。笑わせどころも、色々と盛り込まれていて、本当に楽しかったなぁ。

本筋からははずれますが、玉女さんと鬼一法眼のお人形、あまりにソックリなのが気になってしかたありませでした。まるで親子のようでした。



「一回こっくり」 立川談四楼

2009年09月17日 | た行の作家
「一回こっくり」 立川談四楼著 新潮社 (09/09/14読了)

 毎度のことながら、談四楼師匠の小説を読むたびに日本語の美しさに感銘を受けます。いわゆる美文調というのではなく、簡素で、耳に心地よい、リズムのある文章。さすが、音を職業にされている方だなぁ…と思います。そして、この作品は、小説としての構成の素晴らしさにもやられてしまいました。

 幼少期、そして、憧れの談志に入門して落語家となり、立川一門が落語協会を脱会してからの苦労…。ある意味、談四楼師匠の自伝的小説であります。中でも、幼い弟を亡くしたこと、落語家になった後に母親を亡くしたことが師匠にとっては、忘れることのできない、心に深く刻まれる出来事であったことが伝わってきます。

 大切な人を失う喪失感と、それでもなお、残されたものは悲しみを抱えながらも生きていかなければいけないという諦念が、一つの創作落語に結実していく。談四楼師匠が、その人生を経てこそ書きえた創作落語-そのタイトルが「一回こっくり」であり、この小説の最終章であり、そして、タイトルでもあるのです。ううううう、上手すぎます。

 そして、昭和って、いい時代だったなぁと、ちょっと感傷的な気分になります。経済大国ではなかったけれど、精神的にはもっと豊かだったような気がします。って、感じるのは、私が年をとったからだけなのかなぁ。

「身の上話」 佐藤正午

2009年09月13日 | さ行の作家
「身の上話」 佐藤正午著 光文社 (09/09/13読了)
 
 すごい小説です。

 正直、終盤に至るまで「私、この小説、あんまり好きじゃないかも」と思いながら読んでいました。タイトル通り、「身の上話」の独白形式なのですが…本人が独白しているのではなく、ある若い女の一年余りの逃避行生活を、後に夫となった男性が独白しているのです。

 その女というのが、何とも、とらえどころがない。決して生まれながらの悪人ではないのですが、魅力あるとも思えない。意志があるのか、ないのか、すぐに周りの状況に流されて、自らトラブルに巻き込まれていく。何がしたいのか、どうなりたいのかサッパリわからない。面倒なことが厭で、その場限りの嘘や言い逃れを重ねて、厭なはずの面倒事を自ら生み出してしまう。

 ふと思う。独白している男は、なぜ、こんなトラブルサムな女と結婚してしまったのだろうか。

 そして、最後にわかるのです。確かに、夫が結婚前の妻の生活を独白しているのですが、でも、実は、これは夫本人の独白でもあるのでした。書店のポップなどで、どんでん返しがあることは予告されているのですが、予想を遥かに超えるどんでん返しに「そうか、これは、夫の独白だった」と分かった時の意外感はなんとも言葉に言い表せませんでした。

 夫の告白もまた、どうしようもなく救いの無いものなのです。そうか、こういうトラブルサムな男が、トラブルサムな女と引き合ってしまったのか…。そう思った最後の最後に、かすかな救いの光が射し、最後まで読んでよかった…と思いました。

 恐らく、私は、まんまと作者の罠にはまり、作者の思う通りの心の軌跡をたどりながら物語を読み進んだのだと思います。でも、完璧な罠ゆえに「あっばれ!」という気分。読者を完璧にハメることを、考えに考え抜いた作品です。すごい小説です。(スカッとはしないけどね…)


「エスケープ!」 渡部建

2009年09月09日 | わ行の作家
「エスケープ」 渡部建著  幻冬舎 (09/09/08読了)

 お笑コンビ・アンジャッシュの渡部建の処女小説。週刊誌か新聞か忘れてしまいましたが、どこの書評で絶賛されていました。帯には映画監督の「映画化させて下さい!!」、放送作家の「悔しいけれど面白い!」と激賞コメントが並んでいます。「へぇ~、そんなに才能がある人だったのか」と、見事にセールストークに乗せられて買っちゃいました。

ちなみに、私は、アンジャッシュのファンというわけではありません。「顔は知ってる!」という程度。なにしろ、この本を読み終わった今に至っても、「著者は、わたなべさん? それとも、わたべさん?」というぐらいの知識レベルです。

読み始めて30ページ。「失敗した!営業トークに騙されたよ!」と軽い失望感に襲われました。平凡な大学生が、大して努力もせずに内定をくれた企業に妥協で就職を決め、社会人になったら結婚したがっている彼女からは逃げられないだろうなぁ、まあ、そんな人生もしょうがなないっかなぁ…などと考えている。いかにも、いまどきの草食青年っ感じなのですが、たまたま読んでいた雑誌に、空き巣の手口を紹介する記事があったことをきっかけに、なんと、彼は、自分の彼女の友達であるお金持ちのお嬢様の家に空き巣に入ってしまうのです。

この時点で、私のツッコミモードは全開! 「おいおい、いまどきの草食男子が、そう簡単に空き巣なんてしないでしょう。犯罪に手を染めるには、どうしようもなく追い詰められて、やむにやまれずという舞台設定が必要だよ!」「だいたい、今どきのお金持ちの家が、そんなセキュリティが甘いハズないでしょ。ピッキングで解錠する前にセコムが飛んでくるって!!」と心の中でブチブチと文句。やっぱり、芸能人が本を出すと、面白さを5割ぐらい水増しして、売りまくるんだなぁ…などと考えながら惰性で読み進む。

しかし、草食男子の一人語りである第1章が終わり、第2章に突入すると…「あれ、もしかして、このストーリーって、それほどツマラナイわけではない???」という気分になり、第3章に入ると「激賞とまではいかないけれど、処女小説としては、すっごく頑張ったんじゃない!?」と、ちょっと見直す。最終章の4章に至り、「なるほど、そういうことだったわけね! 結構、練られてますなぁ」と感心してしまう。確かに、映画監督が「映画化させて下さい!」と言いたくなる気がわかるような気がする。

2章以降も詰めの甘いところはあちこちにあり、突っ込みどころ満載ではあるのですが、それって、編集者がもうちょっとアドバイスしてどうにかできなかったのかなぁ…。アイデアは面白いので、磨けばもっともっともっと光る作品になったに違いありません!

頑張りました! 敢闘賞!!!

「ダブル・ジョーカー」 柳広司

2009年09月07日 | や行の作家
「ダブル・ジョーカー」 柳広司著 角川書店 (09/09/07読了)

 凡庸な人間として生まれ、取り立てた能力は無くとも食う寝るに困らずに暮らしていけるのは幸せなことと感謝しています。お金持ちを羨まない。美しい人を羨まない。痩せている人を羨まない-と思っていますが、でもでも、こういう本を読むと、才能がある人が猛烈に羨ましくなってしまいます!!! もう、とにかく面白い! 久々の「やめられない・とまらない」で、読み終えたら朝4時でした。

 4月29日読了の「ジョーカー・ゲーム」(角川書店)の第二弾。第二次世界大戦中の陸軍内部に作られた諜報組織・D機関を指揮する結城中佐と、その配下のスパイたちの物語。トーンを落とした、淡々とした文章。それでいて、読者を楽しませることに徹した緻密で、大胆なストーリー展開。「一筋縄ではいかない」と分かっていながら、ページを繰るたびに「おぉっ、そういうことだったのかぁ」「そこまでやるか?」という驚きが必ず隠されています。

 そして、2作目に至っても、主人公である結城中佐の人となりが未だにナゾのままです。読者に対しても、結城中佐がスパイであることに徹しているのがステキ。極上のスパイ小説にして、極上のエンターテインメント。

 それにしても、これがコミックカ化されているのが残念(余計なお世話ですが…)。可視的にしない方が読者の妄想の余地が大きくて面白いのになぁ。よもや、誰かが、映画化を思いつかないことを祈るばかりですが…でも、きっと、映画化したくなる人がいてもおかしくない。それぐらい、面白いです。

「精霊の守り人」 上橋菜穂子 

2009年09月07日 | あ行の作家
「精霊の守り人」 上橋菜穂子著 新潮社文庫 (09/09/05読了)

 スタジオジブリのアニメーションは世界に通用するファンタジーだと思う。上橋菜穂子は、活字の世界で世界に通用するファンタジーの書き手だと思う。ミヒャエル・エンデの「ネバー・エンディング・ストーリー」のような壮大さと、生きるとは何か、運命と向き合う勇気を持つとはどういうことなのか-を考えさせる深さがありました。
 
 帝の第二皇子・チャグムは、知らぬ間に精霊の卵を身体に宿してしまい、それが原因で、父親からたびたび命を狙われる。チャグムの命を救い、追っ手から逃れる旅に誘うのが女用心棒のバルサ。

 チャグムの成長譚であり、職業的闘士であるバルサが再び人間らしさを取り戻す物語でもありました。

普通、ヒーローと言えば若い男。そうでない場合でも、ナウシカのような強いけれど、強いだけではない、若く美しい女。この物語の真骨頂は、薄汚れた身なりで、肌はボロボロの、30歳過ぎの疲れたオバサンを主人公としたことだと思います。

あえて日本ではないどこでもない国を舞台とするために、国の名前、人の名前を初めとして耳慣れない響きのカタカナがたくさん出てくるのが、ちょっと、キツかった。