おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

おしまいの噺」 美濃部美津子

2012年06月15日 | ま行の作家

「おしまいの噺」 美濃部美津子著  アスペクト 

 それなりに面白いと言えば面白いのかもしれない。しかし、それは、志ん朝関連本を一冊も読んでいない人にとってである。

 志ん朝による「びんぼう自慢」を読んだ後では、同じ話の焼き直しというか… 「びんぼう自慢」ダウングレード版でしかないような。定価で買っていたらもっと口汚く罵っていたかもしれませんが…、ブックオフの105円コーナーでゲットしたものなので、それほど不快感は無いです。


「鉄のしぶきがはねる」 まはら三桃

2012年04月07日 | ま行の作家

「鉄のしぶきがはねる」 まはら三桃著 講談社  

  北九州にある工業高校が舞台。機械科1年生唯一の女子・三郷心(みさと・しん)が、先生の差し金で「ものづくり研究部」に助っ人として引きずり込まれ、「ものづくり甲子園」とも呼ばれる高校生技能五輪を目指して奮闘する物語。

  物語の構造としては、極めて、ノーマル。もちろん、野球や、サッカー、テニスなどで大会優勝を目指す青春もののとはひと味違うけれど…でも、逆に、今さら、野球部の青春ドラマを描くのはハードルが高い。一歩間違えれば、陳腐過ぎてしまう。故に、「碁」とか「小倉百人一首」とか、ひとひねりした青春マンガが流行ったりしているわけで、「舞台設定はアブノーマル、ストラクチャーはノーマル」というトレンドにバッチリはまっているのかもしれない。ただ、そういう設定を狙って作り込んだわけではなく、「鉄」とか「モノ作り」に対する作者の暖かい視線が感じられて、好感が持てた。

  ただ、主人公の「心=しん」という名前が、どうもひっかかった。意味あって名付けられた名前なのだけれど、普通名詞である「こころ」という意味でも「心」が頻出するので、「普通名詞のつもりで読んでいたら主人公の名前だった!」ということが何度かあった。作者のキャラクターへの思い入れ、意味づけと、読者にとっての読みやすさのバランスって難しい。

  ちなみに、この作品は岡山県が主催する「坪田譲治文学賞」の受賞作なのだけれど、その選評が、なんとも時代を感じさせる。選者のお歴々は「工業」という言葉に感銘を受け、「現代のプロレタリア文学だ!」みたいなことを言っているのだけれど、何がプロレタリアなのか?? 赤貧でもないし、イデオロギーを語っているわけでもないし。純粋に、鉄の魅力、技術を磨くことの悦び、勝負の興奮を描いているのに、プロレタリアとかいう時代がかった意味合いを押しつける必要はあったのだろうか。文学の世界も、名実ともに世代が入れ替わるにはもうちょっと時間が掛かりそうな気がしました。


「おまえさん」 上・下巻 宮部みゆき

2012年02月06日 | ま行の作家

「おまえさん」上・下  宮部みゆき著 講談社文庫 

 

 江戸の町で起こった連続殺人事件の謎解きをベースとして、それに関わる人々の人間ドラマ。ネットで読書ブログや書評サイトなどいくつか見てみたけれど、おしなべて絶賛モードですな。独特の空気感があって、私自身も「これは固定ファンがいるんだろうなぁ」と思いながら読んでいました。

 

 でも、個人的にはかなり苦手な部類。上巻読み終えたあたりでドロップアウトの誘惑に駆られましたが、気力で頑張りました。

 

 決して、つまらないというわけではないのですが…。ふと頭に浮かんだのは、自転車で長い急坂を上る時に、なるべく斜面と水平になるように大きくジグザグを描くように上っていく光景。もちろん、最短距離の進路を取ることだけが最善の方法とは限らない。けれど、あまりにも細かくジグザグをとっていると、総走行距離がどんどん長くなって、結局は急坂を最後まで登りきらないうちに力尽きてしまうような感じ。

 

大きく蛇行しながら、あちらの斜面の花を愛で、こちらの斜面から眼下の街並みを眺めて…なんてことをしていると、注意力散漫な私は、目的が頂上に登ることだってことを忘れてしまいそう。この小説も、最短距離である直線コースからはずれて、ゆったりと蛇行しながら上っていく感じで、たびたび、サイドストーリーに気を取られているうちに、ストーリーの幹の部分を見失っていることがありました。

 

しかし、物語というのは、本来そういうもので、無味乾燥な最短距離の物語では、逆に面白みがないのかもしれない。要はバランスの問題なんだろうけれど、せっかちな私には、あちらの花を愛で、こちらの風景に見とれているよりも、もうちょっと蛇行が少ないコースでさっさと登りきってしまいたいのです。


「ビブリア古書堂の事件手帖・2」 三上延

2012年01月12日 | ま行の作家

「ビブリア古書堂の事件手帖・2」 三上延著 メディアワークス文庫 12/01/11読了 

 

 物語の舞台が私にとってはあまりにもツボすぎて、ミステリーとして面白いのか面白くないのかも分からないまま読了。大船・鎌倉近辺在住の人に熱烈推薦したくなる一冊です。

 

 鎌倉・大船といっても有名な観光地はほとんど登場しない。サザンの歌詞にも出てこないオシャレ度0のジモティーしか知らないような交差点や坂の名前が随所に散りばめられている。例えば、「手広(てびろ)の交差点」とか、「建長寺前の信号で一時停止」とか、「柏尾川沿いの道路を南西に向かった」とか、「小動(こゆるぎ)峠を越えた向こうに…」「大船の駅ビルの中にある書店」とか、その11つの光景が目に浮かんで平常心ではいられなくなってしまう。予期せぬ、懐かしい友だちに出くわしたような、嬉しくて、ちょっと気恥ずかしいし気分。

 

 というわけで、ボーリングでいえば最初から50点のハンデをあげちゃっているようなものなので、正確な評価は不能。ただ、莫大な取材をして書いているであろうことが伝わってくるほどに、古書に関する情報が緻密で誠実で好感が持てる。古書オタクウルトラクイズ(仮称)の問題を何個か作れそうなぐらいのマニアック度でありながら、電車の中で気楽にページをめくれるぐらいなお気楽モードの文体になっていて誰でもすんなりと入っていける。

 

栞子さんと大輔くんのおままごとのような淡い恋は昭和の少女マンガチックだし、そもそも、栞子さんと大輔くんというメインキャラクターが「2010年代の若者」としてはいまいちリアリティに掛けるような気もするが…作者は私とほぼ同年代なので、まぁ、昭和っぽさから逃れられないのはなんとなくわかる。

 

ちなみにこの巻の最初の小話でとりあげている古書は「時計仕掛けのオレンジ」(アントニー・バージェス)。キューブリックの映画のタイトルとして有名になった作品だけど、ちゃんと原作があって、しかも映画の印象で世の中の人が描いているのとは全く違うストーリーだったという―ちょっと物知りになった気分が味わえます。


「架空の球を追う」 森絵都

2011年12月01日 | ま行の作家

「架空の球を追う」 森絵都著 文春文庫 

 

 「ほろ苦く、最後にちょっと救いのあるいい話を集めました」的な短篇集。 機内誌とか、銀行の待合スペースにおいてある機関誌とかにちょこっと載っていそうなストーリー。

 

私はこういうのが一番苦手だ。どこにでもありそうな日常の光景を切り取って、こざっぱりと小品に仕立てあげているのは、「巧いなぁ」と思うところもある。一篇一篇は短かく、気楽に読める。でも、読み終わって最後のページを閉じた瞬間、「もう、どんな話が書いてあったか忘れちゃいました!」って感じ。

 

 「プチフール」と呼ばれる小さなケーキの詰め合わせみたいだ。箱を開けた瞬間は、色とりどりで、可愛らしくて、嬉しくなる。でも、実際には、大した食べごたえもなく、一口でお仕舞い。「あれ、今、食べたのは何の味だっけ?」と考えてもなかなか思い出せないような

 

 美味しいものを食べるなら、ゆっくり味わって食べたいのです!

 


「舟を編む」 三浦しをん

2011年11月04日 | ま行の作家

 

「舟を編む」 三浦しをん著 光文社 

 

 私の中では、三浦しをん作品は、「dark side Shion 」「light side Shion」に大きく分類できる。「舟を編む」はlight sideの傑作と言っても過言ではない。これまで小説の舞台としては誰も注目しなかった地味な世界に光りを当て、面白・楽しく・暖かな視線で魅力を最大限に引き出している感じ。私に文楽にハマるきっかけを与えてくれた「仏果を得ず」と同系統の作品です。

 

舞台は老舗出版社の辞書編集部。それにしても、地味だ!地味すぎる。

 

私も含めて、読者の99.9%は辞書編集の仕事に携わる知人・友人がいないであろうが、主人公の馬締(マジメ)クンが登場したとたん「ああ、確かにこういう人って辞書編集部にいそうだよな」と思ってしまう。ボサボサの髪、言語に対する感性は人一倍なのに、他人とのコミュニケーション能力は極端に低い。馬締クンのみならず、辞書編集に携わる人たちは、どこか浮き世離れしている。

 

しかし、辞書編集にかける彼らの熱い思いは、スピードは決して速くはないけれど、ジワジワと周囲の人を動かしていく。

 

それにしても、こんなに気が遠くのなるほど時間がかかり、膨大で、大変な作業なのかと、「辞書編集」という仕事を垣間見ることができるだけでも十分収穫ありの「お仕事小説」です。もちろん、三浦しをんらしく、クスッと笑わせる場面あり、不器用な恋愛あり、味のある脇役多数出演で、エンタメ性も十分。恐らくは、三浦しをんの言葉へのこだわりゆえに実現した作品だと思います。

 

さて、辞書編集の話なのに、なぜ、タイトルが「舟を編む」なのか? その意味はストーリーの中で触れられているのですが、ジワッと心に沁みます。

 

「涅槃の雪」「舟を編む」 2冊続けて光文社は大当たり。いいぞ~!

 


「ビブリア古書堂事件手帖」 三上延

2011年10月15日 | ま行の作家

「ビブリア古書堂の事件手帖」 三上延著 アスキー・メディアワークス 11/10/15読了 

 

 いわゆる「安楽椅子探偵」モノ。ビブリア古書堂の店主・栞子(しおりこ)さんは、足を骨折して入院中。バイトとして雇い入れた大輔くんから、店に持ち込まれた書籍や、店に出入りする常連さんにまつわる出来事の報告を病室で聞きながら、見事に事件を解決していくというもの。

 

 ま、ミステリーとしてはかなり「甘め」だし、やや不自然な設定も随所にあり。ただ、著者の本への愛がストーリーに勢いを与えていて、なかなかのページターナー。栞子さんと、大輔くんのゆっくりでほのかな恋模様も昭和チックで悪くないなぁ。

 

 でも、私が個人的にツボってしまったのは物語の舞台・大船や北鎌倉。子どもの頃から横浜の端っこに住んでいた私にとって、鎌倉は有名な観光地というよりも、すぐ隣町のようなところ。大人になってから15年以上、戸塚に住んでいたので、大船の商店街には毎週のように買い物に行き、MTBで小さな路地を散策したりしていたので、物語に出てくる街の空気が伝わってくる。

 

 鎌倉の大仏ではなくて、大船の三白眼の観音さまを登場させるあたりが心憎い。北鎌倉の駅の屋根が半分しかないとか、住民にとっては(観光客で混雑する)夏は嬉しくない季節だとか…うんうん、頷いてしまう。でも、一番、ズキュンと胸にささったのは「小袋谷の踏切」。いったい。この本を読んだどれぐらいの人が「小袋谷の踏切」を知っているだろう、渡ったことがあるだろう。私が知っている場所が出てくる、そして、恐らくは書き手がその場所・その光景に愛着を持っているであろうことを想像してちょっと幸せな気分を味わいました。鎌倉市民、横浜南部住民は要注意の一冊であります。

 


「吉原十二月」 松井今朝子

2011年09月25日 | ま行の作家

「吉原十二月」 松井今朝子著 幻冬舎  

 

 「物語を読む」楽しみって、こういうことなんだよね―と思う一冊でした。

 

作者の仕掛けたトリックを見破った達成感とか、深い人生の教訓が得られるとか、「そう、その気持ち解る~」という共感とかも、本を読むことの楽しさの1つだと思う。でも、達成感とか、教訓とか、共感とかいうフックがなくても、面白い物語は面白いんだってことを改めて感じました。物語の世界に引き込まれて、ただひととき未知の世界に迷い込む、それこそが、至福なのです。

 

 おっとりしているように見えて、したたかで、しっかりものの「あかね」。愛嬌があって、はしっこく、直情径行型の「みどり」。その2人が、互いに意識しあい、張り合いながら成長し、やがては二枚看板の花魁 小夜衣(さよぎぬ)と胡蝶(こちょう)となり、年季を迎えて、苦界から抜け出すまでの日々を、舞屋の主人・庄右衛門が語り手となって、物語は展開していく。タイトルの通り、11つのエピソードは、睦月から師走まで季節折々の郭の情景と重なりあい、華やかで、もの悲しく、どことなく湿度感のある吉原の世界を浮かび上がらせる。

 

 物語の始まりに、庄右衛門が「二人は、果たして女子(おなご)の果報に恵まれたか。それとも運拙くして、哀れな最期を遂げたのか」と問いかけてくるので、物語を読み進みながら、どうしても、二人の運命が気になってならない。時に小夜衣に肩入れしながら読み、時に胡蝶の魅力が勝っているように思えたりする。そして、結末に、深く深く納得する。今井今朝子らしい、清々しいフィナーレ。

 

吉原は完全にanother worldだけど、「女子の果報」とは何か―このテーマは、現代にも通じることなのかもしれない。

 


散る。アウト  盛田隆二

2011年08月08日 | ま行の作家

 

散る。アウト 盛田隆二著 毎日新聞社    

 

 帯によれば、「熱狂と、静寂、切なさに満ちた圧巻のラブストーリー」だそうだ。まぁ、確かに大掛かりなドラマである。ごくごく普通の地方都市の堅実なサラリーマンだった男が、先物取引に手を出したことをきっかけに借金を重ね、ホームレスとなる。そこで、暴力団にスカウトされ(?)、国際犯罪に巻き込まれていくというストーリー。東京、ウランバートル、ウラジオストク、マニラを舞台に、カーチェイスあり、銃撃戦あり、純愛ありと、派手な要素は揃っている。これが、真保裕一が書いた小説なら、フジテレビが織田裕二を主演にして映画化しちゃいそうな勢いかも。(織田裕二は究極的にホームレス役が似合わなそうだけど…)

 

 しかし、何かが物足りない。帯にも「圧巻のラブストーリー」と書いてあるぐらいだから、純愛の部分が物語のクライマックスなのだろうが、どうも、ここが、あっさりしすぎているような…。いや、ラブシーンが淡々としているとか、恋に落ちた理由が分からないとか―そういうことにケチを付けるつもりはない。それよりも、理由もなく、適うはずもない恋に落ちる人間の無力感とか絶望感みたいなものが今一つ、伝わってこなかった。しかも、恋する人の死の受け入れ方があまりにもサラッと描かれていてかなり拍子抜け。

 

 個人的には、前半の「地味なサラリーマンがいかにホームレスとなったのか」の部分の方が圧倒的に面白かったし、リアリティがあった。冗漫がいいとは思わないけれど、でも、ラブストーリーで読ませるつもりなら、あと30ページ増やして無抵抗に恋に落ちていく絶望感を描いてくれないと、心震えない。

 

 「盛田隆二なんて作家は、初めてだなぁ…」と思いながら読んでいたのですが、74日読了の「身も心も」が、同じ作者でした。たった1カ月前に読み終わった作品の著者名も覚えていられないほど脳が劣化しているのか、それとも、微妙に私の記憶には残りづらい作品なのか…

 

 ちなみに「散る。アウト」は chill out 。こういう掛詞って、なんとなく、昭和な空気の匂いがします。

 


「身も心も」 盛田隆二

2011年07月05日 | ま行の作家

「身も心も」 盛田隆二著 光文社 11/07/04読了  

 

 川崎ラゾーナの丸善にちょっと前から平積みになっていて、シンプルでビビッドな装幀が気になっていた。「死様(しにざま)」をテーマに6人の作家が競作するという斬新な試みのうちの一作。震災以降、重たいストーリーを読む元気はなくなっていたけれど、629日の日経夕刊の書評欄の評価が高かったことに背中を押されて購入。

 

 妻に先立たれた礼二郎。家業の酒屋は息子が引き継ぎ、コンビニに模様替えした。お金には困っていないが、趣味も生き甲斐もなく、ただ漫然とした日々を消化していくだけだった人生に再び色彩が戻ったのは、老人会で出会った幸子さんに恋をしたから。

 

 凜とした美しさをたたえ、セレブな雰囲気をまとう幸子さんは老人会の男性の憧れのまと。礼二郎にとっては近寄りがたい存在だったが、まるで高校生の淡い恋のごとく、2人はゆっくりゆっくりと距離を縮めていく。

 

 礼二郎と幸子さんの恋は切ない。なにしろ、2人には「命」という、避けて通ることのできない時間制限があるのだ。もちろん、若者だって永遠に生きられるわけではないけれど、20代、30代のうちは、現実味を持って時間制限のことを考えたりしないだろう。しかし60代後半、70代ともなれば、それは、明日やってきてもおかしくない。

 

 恋することの喜びと隣り合わせで、病気になって会えなくなる恐怖、記憶力が鈍って愛する人が誰だかわからなくなってしまう恐怖、そして、なによりも、自分が先に旅立たなければならない恐怖、相手が先に旅立って1人取り残されてしまう恐怖が常につきまとう。

 

 それでも、人生の最後のひととき、お互いを慈しみ合い、手を取り合って、穏やかな時間を過ごすパートナーに巡り会うことの意味を考え、電車の中で、はからずも涙がこぼれそうになった。

 

 正直なところ、幸子さんの不幸な過去(「幸子さんが不幸」ってことが、とってもベタ!)や、冷淡な嫁の描き方が、あまりにも昭和のドラマのお涙頂戴場面的な設定で安っぽい印象ではありました。

 

ただ、高齢化が進む中で、「老人同士の恋」というテーマを扱う小説が決してキワモノではなく、然るべきニーズのある安定的なジャンルになっていくのだろうな―と感じさせる真実味も十分にありました。恋に恋する小・中学生の頃、「コバルト文庫」の恋愛小説本を友だち同士で回し読みして盛り上がっていたけれど、これからは、かつてコバルト文庫で恋愛を学んだジジババが、人生最後の恋に燃え上がる時代になる。「大人のコバルト文庫」とか、「seventeen」ならぬ「seventy」が登場してもおかしくない。