おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「日無坂」  安住洋子

2010年04月24日 | あ行の作家
「日無坂」 安住洋子著 新潮社 (10/04/24読了)

 江戸の薬種問屋の跡取り息子として生まれた利一郎。父親は、丁稚奉公から、物覚えの良さと、甲斐甲斐しい働きぶりで主人に可愛がられて番頭となり、入り婿へと引き立てられた真面目一筋の人間。舅が死に、自分が主人の身になっても婚家に気を使い、姑の顔色ばかりを窺っている。だから、利一郎にはことさらに厳しい。

 そんな父親に対して利一郎は子どもの頃から小さな反発心を抱いていた。それは、「もっと愛されたい」「自分に目を向けてほしい」という思いの裏返しなのだが、その気持ちを素直に父親に伝えることもできないままに、少しずつ道をそれて、転落人生を歩んでしまう。ついには勘当され、家を追われる。

 親子の関係というのは、江戸の昔も、今の時代も変わらないものなのだなぁと思わされる。

 転落社会の中で生きていても、利一郎には、子どもの頃に厳しくしつけられ、たまに息抜きに訪ねた父方の祖父母に愛された記憶が身についている。本当の悪人になることなど決してできない。いつか、堅気の生活に戻りたい-と、もがく日々の中で、期せずして縁を切られたはずの父親と結ばれた糸が手繰り寄せられていく。 

互いに不器用で、思いを上手く伝えられないがために、すれ違ってしまった父と子。実は、誰よりも思い合って、気遣い合っていたことを淡々とした筆致で描き出している。

十分すぎるほどに合格点。 ただ、以前(もう、かれこれ、1年ぐらい前かも)に、日経水曜夕刊で読んだ書評が、あまりにも絶賛モードだったので、少々、肩すかしをくらった感じではあります。個人的には、もっと、キャラクターをじっくりと書きこんで、重たいストーリーにしてもらいたいし、父と子を再び引き寄せる事件の描かれ方も、ちょっとあっさりしすぎているように感じました。 

ただ、余白を残して、想像の余地を読者にたくさん与えるのが、この作家の個性なのかもしれないので…。今のところは、「松井今朝子の方が圧倒的に好きで、でも、安住洋子も悪くないかな」という感じ。最終評価はペンディング。

「天国旅行」 三浦しをん

2010年04月22日 | ま行の作家
「天国旅行」 三浦しをん 新潮社 

 ダーク・サイド・オブ・しをんワールド全開。「心中」をテーマにした、7つの作品を収めた短編集。

 残念ながら、現実問題としては、今の世の中でも心中のニュースはさほど珍しくないけれど… でも、なんか「心中」って、昭和な響きですよね。私的には「まず~しさに、真負けた~。いいえ、世間に~負けた~」(昭和枯れすすき)の歌詞を口ずさみたくなってしまうような…。 心中をテーマにした小説なんて、すごく昭和チックに感じそうで、でも、全然、古くさくないのです。

 そして、「昭和枯れすすき」ような「湿り気」はなく、極めて「サラリ」とした手触りに書きあげているのが、上手いなぁ-と改めて、三浦しをんの才能に恐れ入る気持ちになりました。

 ちなみに、タイトルの「天国旅行」はYellow Monkeyの同名曲からとっているそうで、本の扉には、曲の歌詞「狭いベッドの列車で天国旅行に行くんだよ 汚れた心とこの世にさよなら」が引用されている。 なるほど、昭和歌謡のノリではないわけです。

 そして、これは、私の勝手な想像ですが、三浦しをんが、この短編集を書くに当たっては、相当、「文楽」にインスパイアされているのではないかと思うのです。

文楽の世界では、いとも簡単に人は死を選びます。「世話になった人に義理が立たない」と言っては死に、「お前と結ばれるには死ぬしかない」とすぐに思い詰める。 最初は、すぐに心中する登場人物に感情移入できなかったのですが、江戸の人々は来世を信じていたので、死は終わりではなくて、未来への扉でもあったそうなのです。

「死」に追いつめられるのではなく、選択する「死」。文楽も、「昭和枯れすすき」ではなく、「天国旅行」的世界なのです。究極的には、「自分の望みを実現したい」という生きることへの執着が、この本の救いになっているような気がします。

 7編の中で、私好みなのは、「前世の夫との再会」と信じて不倫に走る女の物語。ストーリーの前段で、前世と現生を行き来している場面が、ちょっとエロチックであり、女の狂気から生命感が伝わってくるのが、とっても文楽的世界に通じている印象でした。
 


ハイになる妹背山・第2部

2010年04月21日 | 文楽のこと。
妹背山婦女庭訓(遠し狂言)の第2部 @ 国立文楽劇場

 文句なしに楽しかった~♪ 第1部の「山の段」に6人中5人の人間国宝を投入したせいもあって(本当は、お陰で?)、第2部はフレッシュ感が溢れていました。

「万歳の段」の咲甫さん&清志郎さん、ネクスト・ジェネレーションですねぇ。ウキウしちゃいます。十年後はこの2人の床を聴くために劇場に足を運ぶ人がいっぱいいるハズ。

「芝六忠義の段」期待以上でした。咲大夫さんは、面白可笑しい演目や、華やかな演目よりも、重厚でストーリー性がある演目の方が私は聴いていてしっくりきます。燕三さんの三味線のズッシリとした音とも相性が良くて…α波が出てしまいました。
清十郎さんがアクティブな男のお人形を遣われるのは珍しいですが、とっても良かったです。床よし、人形よしの、大大大満足でした。

「杉酒屋の段」&「道行恋苧環」 テンション上がりっぱなしでした。3年前の東京・国立劇場では簑助お三輪&清之助橘姫(実は、私の文楽デビュー前のため、最近、知人がコピーしてくれたDVDで鑑賞)。引き続き、簑助お三輪を期待する声も多かったようですが、今回は勘十郎お三輪&勘彌橘姫。幕が開き、被布をまとった橘姫が登場した瞬間、胸がキュンとしました。カワイイ~。めちゃめちゃカワイイです。そしてお三輪が登場して、さらに、キュンとしてしまいました。超カワイイです。

簑助お三輪が情念の女なら、勘十郎お三輪は、ピュアに一途に、恋する女。若いエネルギーが伝わってくるようでした。同じお人形なのに、遣う人によってこんなにもキャラクターが違ってくるのは面白い。私が文楽にハマっていると言うと、多くの友人は「それって、人形劇でしょ?」とちょっと理解に苦しむような反応をするけれど、ただの人形じゃない、遣う人によって、こんなにも違う魂が宿っているということを、是非、知ってもらいたい。

そして、お三輪と橘姫の恋のさや当て。めちゃめちゃハイになれました。恋する女って、かわいいんだなぁ、そして、観ている私までウキウキした気分にさせてくれる。それにしても、二股男のくせに、ハッキリしない求馬、許し難し!

「恋苧環」は床も超私好みでした。吉穂さんの声は、いつも、私の心を開放してくれます。三味線5人並び、元締めが清介さん。一糸乱れずの演奏に聴き惚れました。清介さんの三味線、いつも、キレがよくて気持いいのです。もしかして、清介さんは、クライマックスではトランス状態なのでしょうか? イッちゃっていた頃の桜井和寿の目と同じ目です。

「鱶七」「姫戻り」「金殿」 ここからは、玉也さんが主役。またまた、テンション上がります。玉也さんが、大きな人形を、一段と大きく遣われている場面は本当に楽しくなってしまいます。その上、鱶七の着物と、玉也さんの袴がお揃いなのです♪ もう、このオシャレ心にグググッときます。

フィナーレは、あまりにもあんまりな不条理な終わり方。玉也さんファン、勘十郎さまファンを自任する私ですが、修行が足りず、さすがに、このストーリーには感情移入できず。それなのに、あまりの熱演に、向こう側の世界に連れていかれてしまう感じ。そして、こういう、どうにも救いようの無いストーリーは嶋師匠に限りますね。

あああああああ、楽しかったぁ~!

前も思いましたが、人間国宝がいっぱい出ていれば面白いってわけでもないんですよね。私としては、圧倒的な大差で2部の方が面白かったのですが、2部はかなり空席が目立ってました(平日はさらにヒドイらしい)。大阪の皆さん、ぜひぜひ、2部もご覧になって下さい!

 

「さくら」 西加奈子著

2010年04月19日 | な行の作家
「さくら」 西加奈子 小学館文庫  100418読了 

 初・西加奈子。ああ、きっと、この人のファン、いっぱいいるだろうなぁ…と思いました。でも、私のシュミではないなぁ。作風は全く異なるのですが「赤朽葉家」を読んだ時の印象と似ていました。

 ある家族の物語。カッコよくて、面倒見がよくて、人気者の兄。超美人の妹(ただし、かなりエキセントリック)。深く愛し合っている両親。家族に愛され、家族を愛する幸せな犬のさくら。理想の家族が、なぜ、壊れてしまったのか。

 「ああ、私の子どものころもそんなことがあったなぁ」。郷愁を誘うエピソードがたくさん出てくるのですが… ひたすら羅列しているだけという印象。もちろん、積み重ねたたくさんのエピソードから、著者の言いたいことをちゃんと読みとれる人もいると思います。

 でも、読解力の無い私は、「ここが伏線で」「ここがクライマックス」と明示的に書いてあるのが好き。風流を解さない人間には、ちょっと、単調に感じてしまうストーリーでした。

「妹背山婦女庭訓」の山の段 @ 国立文楽劇場

2010年04月18日 | 文楽のこと。
妹背山婦女庭訓(通し狂言)の「山の段」 @  国立文楽劇場

 何度も大阪文楽劇場に通っているのですが、今回、初めて飛行機での旅。のぞみで往復より圧倒的に安いんですよね。台風シーズンでもないんだし、飛行機が遅れることもないだろうとたかを括っていたのですが、4月にして霰(アラレ)が降り、空の便は混乱。出発は遅れるは、飛行時間も予定より長くかかりました。1時間の余裕を持って劇場に到着するハズが、1時間近くの遅刻。

 でも、「最大の見どころ!」と期待していた「山の段」には間に合いました。

 まるで日本版ロミオ&ジュリエット。モンタギュー家とキャピュレット家の如く、入鹿方、鎌足方に別れて対立する家に生まれながらも、恋に落ちてしまった雛鳥と久我之助。
舞台中央を流れる川で2つの家を隔てる象徴的な演出。そして、特別しつらえの「床」が下手側にも用意され、対立する両家の様子を、それぞれの側から語る趣向。

久我之助側(上手)住師匠&文字久さん / 雛鳥側(下手)綱さん&呂勢さん。まったくもって何の勝負でもないのですが、私の勝手な事前予想では「上手側圧勝」のはずでしたが、意外にも、互角。

綱さんは、この1年ぐらいの中では、一番、声が出ていました。残念ながら、「聞き惚れる」ところまではいきませんでしたが、少なくとも、「聞きとれずにイライラする」ということはありませんでした。

でも、「互角」であった最大の理由は、住師匠の声に張りがなく、声量もずいぶんと落ちていたからです。いつも、住師匠の声は鋭い矢のように心にビュンと飛んでくるのに、今回は、私の心まで飛んできてくれませんでした。たまたま、体調が悪かっただけなのでしょうか…。2月公演の時にも「もしかして、声量が少々、落ちたのでは?」という印象でしたが、今回は、それを一段と強く感じました。

その一方で、文字久さん、呂勢さんには勢いを感じました。もちろん、声量だけが全てでないでしょうし、師匠からみれば、技量・技術はまだまだこれからなのかもしれません。それでも、2人の豊かな声量、伸びのあるふくよかな声を聞いていると、心が開放されるというか…知らない間に向こう側の世界に引きずり込まれてしまうのです。

実は1年前ぐらいまで呂勢さんはあまり好みのタイプではありませんでした。ガナリたてるような声は聞いていて疲れるとさえ思いました。文字久さんに至ってはノーマーク。名前すら覚えていませんでした。でも、この1年、特に半年ぐらい、聞くたびによくなっているような印象なのです。私に良い・悪いを判断する力はないとしても、確実に聞いていて楽しい気持にさせて下るようになりました。

というわけで、はからずも、世代交代について考えさせられる一幕となりました。私の中では、「住師匠は永遠に最高峰の人」と思っていただけに、ちょっとショックでもあり、でも、着実に次の世代が育っているということは、決して不幸ではないんですよね。

そして、雛鳥かわいい~。お人形ちゃんに関しては、今のところ「簑師匠は永遠に最高峰の人」であることに変化はありません。

知人に10年前の妹背山のDVDのコピーをもらったのですが…その時の山段の配役は、久我之助=簑太郎(現・勘十郎さま) 大判事=玉男 雛鳥=一暢 定高=文雀。この時の、久我之助&大判事がめちゃめちゃカッコいいのです。もう、2人とも超超超イケメン。確実に惚れます。玉男さんの大判事には、人間としての器量まで感じます。

というのに比べると、今回の久我之助&大判事は「もう一息」という感じかなぁ。久我之助、若さが足りませんでした。紋寿さんと簑太郎の年齢差ではないんですよね。現に、雛鳥は70歳過ぎた簑師匠が遣われていてもカワイイ。大判事、もうちょっと男の色気が欲しかった。

定高は10年前も、今回も文雀さん。もはや、演技のレベルではなくて、文雀さんがお人形を真っ直ぐに高い位置で持てないことが痛々しい。

凡人には想像も及ばない厳しい修行の日々を送られてきたことには頭が下がる思いです。そして、素晴らしい芸を引き継いで下さったことに感謝します。でも、やっぱり、芸能は、観る者がハイになれてこそ-だと思うのです。演者のためにやるのであれば、お金をとって観客を入れる必用はないのだし…。

というわけで、期待したほどにはハイになれず、ところどころ気を失った「山の段」なのでした。


「想い雲」 高田郁

2010年04月16日 | た行の作家
「想い雲」 高田郁著 ハルキ文庫 だいぶ前に読了  

 「八朔の雪」「花散らしの雨」に続く、澪つくし料理帖シリーズの第3巻。束の間、日々の乾いた生活を忘れて、優しい気持を思い出せてくれる。

 澪の作る料理はどれも、「手軽な価格で、季節感があって、おいしく、楽しく」という思いがこもっている。もしも、今、東京にこんな店ができたら、私は昼・夜・昼・夜と、しつこく毎日、通ってしまいそう。

 幼なじみ野江ちゃんとの再会、密かに思いを寄せる小松原さまへの気持ちは強まるばかりと、ストーリーも盛り上がりつつあります。しかし、ここは敢えて、次の巻でフィナーレがいいかなぁ。

 「図書館戦争」も「しゃばけ」も「ダビンチ・コード」も、1冊目を読み終えて、2冊目を読み始める瞬間が一番、テンションが上がっていました。でも、どんなに素晴らしい作品でも、やっぱり、マンネリが訪れるのです。サザエさんのように大いなるマンネリを追求する覚悟があるならばともかくとして、そうでないならば「もっと読みた~い」という気持ちのまま終わってくれた方が、このシリーズをずっとずっと好きでいられそうな気がします。

「春になったら苺を摘みに」 梨木香歩 

2010年04月16日 | な行の作家
「春になったら苺を摘みに」 梨木香歩 新潮社 だいぶ前に読了。

 まだ今年、半分も終わっていないけれど、今のところ、文句なしの今年ナンバーワン。 静かに、深いところから、心を揺さぶられるような一冊でした。

 梨木香歩の代表作の一つ「西の魔女が死んだ」は正直なところ、私のシュミではありませんでした。だから、この本を読み始める時も、さほど乗り気ではありませんでした。しかも、基本的にエッセイってあまり好きじゃないし…。

 著者が英国に留学していた頃の日々の生活、特に、下宿屋の女主人にまつわるエピソードを中心に綴られている。最初は、昔気質で、頑固で、少々変わりモノのおばちゃんの思い出話かと思って読んでいました。

 おばちゃんは理屈っぽい。少々、口うるさくもある。でも、面倒見がいい。たまに、お節介なくらいだったりする。おばちゃんには、誰かを見捨てることなど絶対にできないのだ。だから、近所の鼻つまみモノに手を差し伸べてしまう。刑務所帰りの男が住む場所を求めてやってくれば下宿を提供してしまう。ゲイのカップルが泊まれる場所を必死になって探してあげる。近所の人同士がもっと仲良くなれるように-とお祭りを計画する。

 おばちゃんが親切心でしたことが、必ずしも、いつも報われるわけではない。何度も痛い目にあって、それでも、おばちゃんはやっぱりお節介なぐらいに面倒見がいい。

 著者にとって、おばちゃんは「象徴」なのだと分かった時、このエッセイが、単なる英国暮らしの生活雑感ではなく、静かな叫び声なのだと理解できた。

異国の地の小さな町の下宿で、異なる生活環境の人、異なる宗教の人、異なる考え方の人と共に暮らす。当然、フリクションもある。それでも、人間は「理解してもらいたい」「理解し合いたい」。でも、そのためには、一歩踏み込まなければ何も始まらない。おばちゃんは、「一歩踏み込む」象徴なのだ。

そうだ
 共感してもらいたい
 つながっていたい
 分かり合いたい
 うちとけたい
 納得したい
 私たちは
 本当は
 みな

 平易な言葉なのに、なんて力強く、美しいフレーズなんだろう。

 出版不況と言うけれど、でも、「紙に印刷されたものを読みたい」というニーズは決して消えることがないように思いました。自分の言いたいことを、自分の言いたい時に「つぶやく」だけでは、決して伝わらない、もっと不器用で、醜い感情のぶつかりあいを乗り越えて、人は理解しあえる。いや、もしかして、理解はしあえないかもしれないけれど、それでも、異なる信条、宗教、生き方を尊重することができる-そういう気持ちにさせてくれる一冊です。

「ちょんまげプリン」 荒木源

2010年04月05日 | あ行の作家
「ちょんまげプリン」 荒木源著  小学館文庫  

 あまりにもくだらないタイトルに心躍りました。江戸時代のパッとしない武士の木島安兵衛が、何かの拍子に現代の東京にやってきてしまったというタイムスリップ物。

 都内のマンションのエントランス近くで困っているところを、そこに住む親子に助けられる。安兵衛が転がりこんだ先は、離婚してSEとして仕事をしながら、1人で息子を育てる女性。会社は千代田区淡路町にあるらしい。大手町の超オシャレなオフィスではなく、淡路町という微妙感にしろ、社内の立場を悪くしながらも途中で仕事を切り上げて保育園のお迎えに行かなきゃいけない当たり、妙に生活感というか、現実味があります。

 当然のことながら、安兵衛は当初、なぜ現代にやってきたのかもわからないし、現代では当たり前のビルも、テレビも、インターフォンも、電車もすべてが不思議。女が働きに出ることも理解できなければ、男が「うちむきのこと」をするなどあるまじきこと-と思いっ切り頭の中は武家社会のままなのだが、ただで居候させてもらうことは潔しとせず、やむにやまれず家事全般を引き受ける。

 そこから、安兵衛の才能が開花する。廊下は鏡のように磨きあげ、料理を作らせれば天才シェフのごとき。特に、お菓子作りには並々ならぬ情熱を注ぐ。そして、安兵衛は、現代の江戸でとんとん拍子の出世を成し遂げてしまうのだが…。

 はっきり言って、突っこみどころ満載です。でも、妙な勢いがあって、スピードに乗って一気に読めます。「どうせ非現実なら、徹底的に非現実に」という割り切りの一方で、「働くことの喜びとか」「ワークライフバランス」とか、極めて、今的な課題について考えさせられます。安兵衛のキャラがかわいく、読後感、すがすがしき一冊。

 ちなみに、この本が単行本として出版された時のタイトルは「不思議の国の安兵衛」だったそうです。いかにも、売れなさそうだなぁ…。「ちょんまげプリン」に改題したセンスにも拍手!