おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「クワイエットルームにようこそ」 松尾スズキ

2011年03月29日 | ま行の作家
「クワイエットルームにようこそ」 松尾スズキ著 2011/03/28読了  

 心が弱っている時に読んではいけなかった―と反省。

 精神病院の閉鎖病棟に運び込まれた女性が体験した2週間。クワイエットルームとは、閉鎖病棟の中の、さらに隔離部屋。超特別待遇室。

恋人との大喧嘩の腹いせに精神安定算を過剰摂取して意識混濁してしまったことが直接の原因。もっと遡れば、離婚した元夫が遺書を残して自殺してしまったこと。初体験の閉鎖病棟は、凡人には全く想像も付かないanother world。でも、正常と異常って、もしかしたら、ほんの紙一重なのかもしれないなとも思う。

冷静になって考えると、ストーリー自体は、主人公が、自分と向き合い、再生していくという希望のある内容なのかもしれない。結局は、誰かに頼っても、問題の本質を解決することはできない。私の人生に向き合えるのは私だけなんだ―と気付けたのであれば、彼女は、きっと、新しい一歩を踏み出せるのだろう。

私自身が被災したわけではないのに、311の地震・津波禍以降、滅入っています。こんな時は、「結局は1人で生きていくしかないんだ」という悟りの境地には至れず、人の温かさを感じたいし、誰かに頼ったり、頼られたりするような物語が読みたくなります。 


「明日この手を離しても」 桂望実

2011年03月26日 | か行の作家
「明日この手を離しても」 桂望実著 新潮文庫    

 裁判官になることを夢見ていた大学時代に病気で突然、失明してしまった妹・凜子。短気で、気まぐれやの兄・真司。その後、母が自動車事故で亡くなり、父親は謎の失踪をとげ、2人だけが取り残される。決して、仲が良かったとは言えない兄妹が、少しずつ、歩み寄り、互いを理解しあうようになる成長物語。

 失明して、生きる気力も目的も失っていた凜子は、盲目の少女を主人公とする漫画の原作者として生きる喜びを取り戻していく。真司は、妹のサポート役として、漫画家との調整やコマ割りなどを担当。漫画の主人公を成長させるために知恵を出し合い、試行錯誤する2人。そのステップが凜子と真司を成長させる。

 物語の中で漫画が重要なアイテムだから―というわけではないと思うのですが、なんとなく、漫画チックな物語でした。「人生の途中で失明した女性が、いかに失意から立ち直り、生きる道を見出すか」という骨組みがあれば、かなり、ダイナミックな物語ができるような気がするのですが、どこかチマチマした印象。

細切れな感じでちょっとしたトラブルが凜子の身に降りかかり、それを解決していくことが、物語の推進力になっていのです。つまり、連続ドラマで、毎週毎週45分を過ぎたあたりで「えっ~~」と言いたくなるような出来事が起こるようなノリ。

 軽い読み物としては気楽で悪くないけれど、物語としての面白みはイマイチでした。


「聖夜」 佐藤多佳子

2011年03月25日 | さ行の作家
「聖夜」 佐藤多佳子著 文藝春秋社 

キリスト教系の高校のオルガン部に所属する少年の成長の物語。父は牧師。子どもの頃から、賛美歌の伴奏のために家にあったオルガンに慣れ親しんできた。オルガン部は、高校の礼拝で演奏を担当する。少年にとって、音楽は、信仰と共に存在するものだ。

 しかし、彼にとって、音楽は「罪」の象徴でもあった。ピアニストだった少年の母親は留学中にドイツで父親と巡り会い、バッハ好きで意気投合し、結婚した。しかし、少年が10歳の時に、今度は、著名なオルガン奏者と恋に落ち、家族を捨ててドイツへと旅だってしまった。その喪失感が、彼を、ちょっとひねくれ者の高校生にしてしまったのだろう。
 
 宗教や音楽は人の人生に何をもたらしてくれるのか―少年の思考を通して、私自身も考えさせられる。そして、人間の罪と人間の幸福はコインの裏表のようなものだと思う。罪を犯した彼の母親は、そうすることでしか幸せになれなかったのだろうけれども。その代償としてあまりにも多くのものを失ってしまった。かたや、少年は、母が犯した罪を受け入れ、消化することでしか、次の一歩を踏み出すことができない。

牧師の家庭、キリスト教系の高校、賛美歌にバッハ。登場するアイテムは宗教色が強いが、でも、結局のところ罪にいかに向き合い、罪をいかに受け入れるか―というのは人間が生きて行く上で普遍的なテーマであり、この物語が伝えたかったものもキリスト教的なことではなく、普遍的なことなのではないかと思う。

3月11日の巨大地震発生以来、あまりにも想像を絶するような映像を何度も何度も目にし、未だに着地点がまるで見えない福島原発事故の報道に、どんどん、心が弱っていっているのを感じていました。そんな時、無性に聞きたくなるのはバッハでした。高校3年生までピアノを習っていて、バッハを好きだと思ったことなど無かったのですが…。テレビを消して、目をつぶって、ボリュームをしぼってバッハを聴いていると、不思議と、ざわついていた気持ちが落ち着いていくのです。バッハの音色もまた普遍的なものを人の心に響かせるのだと思います。

「私の男」  桜庭一樹

2011年03月10日 | さ行の作家
「私の男」 桜庭一樹著 文藝春秋社 2011/03/09読了 

 なんか、しばらく前に話題になった作品だったなぁ―と思ったら、2007年の直木賞受賞作でした。マグマがフツフツと沸いてくるような、不気味なパワーを感じる作品です。書き手の底力も伝わってくる。でも、読み終わってため息が出るというか… 言葉では表現しきれない疲労感が残る作品。私は好きになれなかったです。

 1983年の北海道南西沖地震による津波で家族を失って孤児になってしまった花は、親戚の腐野淳悟のもとに引き取られていく。この時、花9歳、淳悟24歳。

 物語は花の結婚式を間近に控えて、花の婚約者と養父・淳悟が顔を合わせる場面から始まる。この時点で花と淳悟の間にはただならぬ爛れた空気が漂っていることが伝わってくる。何しろ、花にとって、養父の淳悟は「私の男」なのだ。そりゃあ、24歳の男が、9歳の女の子を引き取ることになれば、早晩、父としての役割よりも、欲望のはけ口として少女を見るようになることであろうことは想像に難くない。

物語は、時計の針を逆戻しするように、少しずつ、9歳と24歳の2人が出会う瞬間に向かって遡っていく。それにつれて、花と淳悟の関係が、常人の私が想像したほどに単純なものではなく、もっとプリミティブで、もっと倒錯的なものであることが明らかになっていく。読んでいて、生理的に「気持ち悪い」と感じるばかりでなく、「ありえないでしょ!」と突っ込みを入れたくなる場面多数。

 小中学生の子どもは、あくまでも子どもであって、尋常ではない状況に陥っていることを他人に気取られることなく日常生活を送れるほどには感情や行動のコントロールができなないと思うのです。淳悟という人物の常軌の逸し方が異常であることは言うまでもないのですが、私には、むしろ、中学に上がるか上がらないかのうちから、「現実」と「倒錯」を器用に行き来する花という存在の方が、一段と現実離れしたあり得ない存在に思えました。

まぁ、でも、やっぱり、好きになれない最大の理由は、理屈では単純に「気持ちわり~」と感じてしまうということです。


「清佑、ただいま在庄」 岩井三四二

2011年03月07日 | あ行の作家
「清佑、ただいま在庄」 岩井三四二著 集英社文庫 2011/03/04読了 
  
今年の最初の一冊として読んだ「おくうたま」(光文社・岩井三四二著・2011/1/1/読了http://blog.goo.ne.jp/orionisorionis/e/103c13ccdb3b5ae500cb618088b131d5)があまりにも面白かったので、同じ著者の作品にトライ。これも、なかなかに味わい深い作品でした。

16世紀初頭、京都の寺が所有する荘園を舞台に、代官として派遣された若い僧侶・清佑(せいゆう)と、村に住む人々の暮らしぶり、生き様を描いたオムニバス形式の短編集。

まじめな学級委員タイプの清佑。庶民の苦しい生活への思いが至らず、「規則は必ず守りましょう」と原理原則を振りかざし、当初は村人の反発に遇い苦労する。でも、悪代官というわけでは、決してない。前任者からは「村人を自分の愛する子どもと同じように大切にし、慈しみなさい」と引き継ぎを受けていたが、そういう心境になれない自分を不甲斐なく思ったりする。そんなところも、いかにも優等生。

 清佑には表面的に上手く立ち回る器用さはないが、でも、根は「いい人」なのだ。原理原則重視は貫くけれど、村人の苦しい暮らしぶりを目の当たりにすると、それを無視することはできない。耳を傾け、何か解決方法はないかと誠実に対応しようとする。そして、次第に、村人との信頼関係を築いていく様子には、素直に、応援したくなる。

 そして、この物語のもう一人の主人公が、おきぬという14歳の少女。幼い頃に母を失い、父親は盗みの疑いで打ち首にされた。村の湯屋の火の番をしながら、幼い弟・妹の面倒を見ている。清佑は、おきぬを不憫に思い、何かと気に掛け、目を掛けるのだが…清佑の心配をよそに、おきぬがみるみるうちに強く、逞しく、したたかに成長していくのがなんともいい。

 堅物の清佑だけでなく、清佑とは対照的にしなやかで柔軟なおきぬにも光を当てていることが、物語を一段と魅力的なものにしています。
  
有名な合戦や、歴史上の人物ではなく、ごくごく普通の庶民の暮らしを描いた時代小説というと、江戸時代以降のものが多いように思います。なので、室町時代の庶民を描く時代小説というのは、とっても斬新です。そもそも、「荘園」なんて言葉は、「日本史の教科書に出てくる単語以上の存在ではなかったのですが、そこに、ちゃんと人間の息づかいが聞こえてくる暮らしがあったということが新鮮でした。


「ひとり日和」 青山七恵

2011年03月01日 | あ行の作家
「ひとり日和」 青山七恵 河出書房新社 2011/02/28読了  

 初・青山七恵。2007年の第136回芥川賞受賞作。

埼玉で母親と暮らしていた知寿は、母親の中国への研修留学を機に東京に住む遠縁の吟子さんと暮らし始める。その、なんということもない日々を描いた小説。

知寿はフリーター。お金を貯めるためのパーティーコンパニオンと、笹塚駅でのKIOSKでのバイトを掛け持ち。コンパニオンのバイトをしているなんて、さぞや華やかな暮らしぶりかと思いきや、知寿の毎日は超地味である。というか、70歳を過ぎた吟子さん以上に老成しきっている。

欲がない。執着心がない。多少の不満があっても、「まあ、そんなものか」と受け入れる。吟子さんのダンスの発表会を見に行ったり、吟子さんと吟子さんの彼氏と一緒に居間で夕ご飯を食べて茶飲み話をしたりという、あまり心躍らなそうな日常を淡々と消化していく。唯一、KIOSKのバイトを通じて知り合った彼氏との別れには心理的なダメージを受けるものの、20歳そこそこの恋の終わり方としては、実に、あっさりとしたものである。

その後、小さな会社で正社員の職を得て、知寿に新しい恋が始まる予感を感じさせつつ物語は終わるのだが「もう、バイトの彼の時ほど、激しい恋にはならないだろう」と、始まる前からテンション低過ぎ。えっ~20歳代前半で、そんなこと決めちゃっていいわけ? 「若いんだしさ、もうちょっと、強欲に生きようよ」などと説教をしたくなったりする。

もちろん、私の日常だって平々凡々としたものである。知寿と同じように、休みの日には顔も洗わず、スウェットのままダラダラとお茶を飲みながら本を読んで気がついたら「昼過ぎ!」なんてこともある。しかし、若い作家が若い女子を主人公にして「諦念」をテーマにしたみたいな作品って、なんか、日本って本当に活力の無い国になってしまうんじゃないかと心配になるのでした。