「芙蓉千里」 須賀しのぶ著 角川書店 11/04/25読了
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久々のページターナーでした♪ 311の震災以降、もともと低い集中力が極限的に低下して、ろくに本が読めない状態というか… 本を読みたい気分にもなれませんでした。「芙蓉千里」は、活字を追い、ページをめくる楽しさを思い出させてくれました。
「少女大河小説」とでも言えばいいのでしょうか。
辻芸人の父親とともに角兵衛獅子(越後の郷土芸能)を演じて生活の糧を得ていたフミ。芸妓とデキてしまった父親は娘を捨てて遁走。天涯孤独となったフミは、人買いに自ら売り込んで哈爾浜(ハルピン)に渡り、日本人が経営する女郎屋の下働きとなる。
フミの夢は、病で早世した母親のような立派な女郎になること。ハルピンで大陸一の女郎を目指すと意気込むが、類い希な「舞」の才能が開花し、女郎ではなく芸妓として大輪の花を開花させていく。芸妓となったフミに与えられた名は「芙蓉」。
フミとして女の幸せを追い求めるのか、それとも芙蓉として芸を極めていくのか―。1人の女として恋する男とともに生きる道を選ぶのか、それとも芸妓・芙蓉を愛でる客に応えることこそ、才能を与えられたものの本分なのか。究極の選択を迫られる。
高田郁の「みをつくし料理帖シリーズ」(ハルキ文庫)の澪のストーリーと微妙にダブルところがある。天涯孤独となった少女が、いかに運命に立ち向かい、澪は水害で両親を失い、生まれ故郷である上方の地を離れ、江戸で料理人としての修行に励む。幼なじみの野江ちゃんは吉原で女郎となっている。
「天涯孤独となった少女が、見ず知らずの土地で新しい人間関係を作り、いかに人生を切り拓いていくか」というストーリーの幹の部分は共通しているのに、印象は全く違う。「みをつくし」は癒やし系なのに対して、「芙蓉千里」は戦闘モード。どちらも、それぞれの良さがあるが、日本中が元気を無くしている今、フミの毅然とした強さ、踏み付けられても枯れることのない雑草のような生命力に勇気づけられる。