おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

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「半九郎闇日記」 角田喜久雄

2011年10月26日 | あ行の作家

「半九郎闇日記」上・下 角田喜久雄著 小学館文庫 11/10/25読了

 

 ゼーゼー、ハーハー。なんかフルマラソン走りきった気分です。走り始めてすぐに苦しくなったけれど、そこをなんとか乗り切り、30キロ過ぎてほとんど意識を失いかけながら「ここまで走ってきたのに、棄権するわけにはいかないっ!」と意地で完走。そんな感じです。

 

 正直、面白いのか、ツマラナイのかすらイマイチわからなかった。この小説を一言で表現するならば「confusing!」。とにかく、二転三転、行ったり来たり。最初はお江戸ミステリーと思って読み始めたのですが、途中から、ホラーのような、オカルトのような気味悪い場面多発。その上、赤穂浪士と浦島太郎を足してぐるぐるかき回したような(足して2で割るのではなくて、足してかき回しているのです!)不思議なストーリーで、下巻のラスト30ページまで来たところで、ようやく「えっ、これって源平ものだったの???」と気付く始末。

 

 物語の大きな枠組は、日本版・聖杯伝説というところでしょうか。聖杯にあたるのは「将監闇日記」という竜宮の歴史書。これを求める過程で物語のメインプレーヤーたちには様々な試練が課され、アングラ勢力の妨害に遭いながら、最後にようやく聖杯を手にするというもの。

 

 ちなみに、この作品は1959年(昭和34年)のもので、wikiによれば角田喜久雄という人は日本の伝奇小説の分野を確立した人なんだそうです。奇妙奇天烈なストーリーである以上に、印象に残ったのは物語の構造がくどいというか、プリミティブというか…。悪者の仕掛ける罠が毎度同じような手口なのに、なぜか、何度もそれにひっかかる繰り返し返しで、ちょっとイラッとする。

 

 しかし、とにかく読み終えたのだ! 疲労感と達成感。でも、爽快感はないなぁ。ネットでは、「あっという間に読み終えるほど面白い」という趣旨の読書ブログもいくつかありましたが、若輩者の私は、その域には達していないようです。

 

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「杉浦日向子の食・道・楽」 杉浦日向子

2011年10月19日 | さ行の作家

「杉浦日向子の食・道・楽」 杉浦日向子著 新潮文庫 11/10/19読了

 

 杉浦日向子と言えば「お江戸でござる」。といっても、私は「お江戸でござる」も数えるほどしか見たことがないので、漠然と「江戸の風俗に詳しい人」という程度の認識しかなかった。こんな、ステキな文章を書く人だったのかということを初めて知り、ちょっと心打たれました。

 

 3つの雑誌に連載していたエッセイを一冊にまとめたもの。中でも、毎月、季節にあった手持ちの酒器の写真とともに、その酒器にまつわる思い出、日々の生活雑感を綴った「酒器12月」がいい。酒への限りない愛情と、ここ数年、加速度的に薄れてきている昭和の空気がそこはかとなく漂うような文章。文庫の2ページと少々程度の短いエッセイの中に、決して押しつけがましくはなく、その人の価値観、こだわり、美意識をきっちり表現し、時々クスリと笑わせ、最後に爽やかな読後感を与えるって、すごい文章力だと思う。

 

 高価なものでなくていい。ご馳走してもらうんじゃなくて、自分が好きなモノを、好きな時に、ゆっくりと味わいながら食べることの幸せ(彼女の場合は飲むことの方がより幸せだったようですが)。誰もいない、誰に気兼ねすることもない一人の時間の幸福。なんか、そういうのっていいなぁ。本当の豊かさって、こういうことなんだよね。

 

 きっと、平成生まれの子たちには…この文章の良さって実感として分からないんだろうなぁ。まぁ、私も、のべつまくなしに、私生活を垂れ流しにするつぶやきの楽しさが分からないので、お互い様なのかもしれないけれど…。昭和を感じる一冊でした。

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「ビブリア古書堂事件手帖」 三上延

2011年10月15日 | ま行の作家

「ビブリア古書堂の事件手帖」 三上延著 アスキー・メディアワークス 11/10/15読了 

 

 いわゆる「安楽椅子探偵」モノ。ビブリア古書堂の店主・栞子(しおりこ)さんは、足を骨折して入院中。バイトとして雇い入れた大輔くんから、店に持ち込まれた書籍や、店に出入りする常連さんにまつわる出来事の報告を病室で聞きながら、見事に事件を解決していくというもの。

 

 ま、ミステリーとしてはかなり「甘め」だし、やや不自然な設定も随所にあり。ただ、著者の本への愛がストーリーに勢いを与えていて、なかなかのページターナー。栞子さんと、大輔くんのゆっくりでほのかな恋模様も昭和チックで悪くないなぁ。

 

 でも、私が個人的にツボってしまったのは物語の舞台・大船や北鎌倉。子どもの頃から横浜の端っこに住んでいた私にとって、鎌倉は有名な観光地というよりも、すぐ隣町のようなところ。大人になってから15年以上、戸塚に住んでいたので、大船の商店街には毎週のように買い物に行き、MTBで小さな路地を散策したりしていたので、物語に出てくる街の空気が伝わってくる。

 

 鎌倉の大仏ではなくて、大船の三白眼の観音さまを登場させるあたりが心憎い。北鎌倉の駅の屋根が半分しかないとか、住民にとっては(観光客で混雑する)夏は嬉しくない季節だとか…うんうん、頷いてしまう。でも、一番、ズキュンと胸にささったのは「小袋谷の踏切」。いったい。この本を読んだどれぐらいの人が「小袋谷の踏切」を知っているだろう、渡ったことがあるだろう。私が知っている場所が出てくる、そして、恐らくは書き手がその場所・その光景に愛着を持っているであろうことを想像してちょっと幸せな気分を味わいました。鎌倉市民、横浜南部住民は要注意の一冊であります。

 

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「桜ハウス」 藤堂志津子

2011年10月15日 | た行の作家

「桜ハウス」 藤堂志津子著 集英社文庫 2011/10/14読了

 

 ありそうだけど、絶対ないだろうな―というお伽噺。市役所務めの蝶子さんが生前ほとんど付き合いのなかった叔母さんから古い一軒家を相続(ってことからして、普通はありえなさそう)。最初は、面倒くさいから相続放棄しようとする(もっともっとありえない!せっかくくれたもの、放棄する必要ない!!!)が、当時の彼氏にそそのかされて、シェアハウスとして2階部分を3人に貸し出すことに(えっ? どんだけデカイ家相続したの??? そんな立派な不動産なら、親戚の間で問題になるでしょ!?)

 

 以上の部分は導入なので、まぁ、よしとして…。もともとは何の接点もなかったのに、縁あって一つ屋根の下に暮らすことになった蝶子と3人の女たちの、友情を温め、励まし合いながらの10年間を描いた物語。途中、恋愛あり、不倫あり、親の介護あり、ちん入者あり…と盛りだくさん。

 

 確かに女性同士でシェアハウスで暮らすって、ちょっと憧れるところはある。でも、実際問題としては、見ず知らずの、バックグラウンドも全く違う4人が、大したもめ事もなく10年間も仲良くしていられるって…恐ろしく確率の低いことだと思う。4人いたら誰かしら1人はケンカっぱやくてもめ事起こすだろうし、誰かしら協調性がなくて部屋に籠もりきりになる人がいるだろうし、誰かしらは「片付けられない病」で他の住人の怒りを買うに違いない。そもそも、4人いたら、知らず知らず、誰かを仲間はずれにしようというムードが醸成されがちだ(悪意はなくとも、その方が、残り3人の結束が高まる)。

 

 で、ありえないはありえないなりに、ほどほどに面白いエピソードが盛り込まれていて、気楽なページターナーとして楽しめましたが、読み終わった後に「で、結局、何が言いたかったのだろう」という、手応えのない感触だけが残ってしまった感じがしました。

 

 解説を読んだら「恋愛小説家・藤堂志津子」と形容されていた。確かに、ふわふわとした恋愛エピソードがいくつも出てくる。でも、どれもこれも感情移入できるほどには書き込まれていなくて、ちょこちょことつまみ食いしているような描写。これもまた、手応えがなかった…。

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「笑い三年、泣き三月。」 木内昇

2011年10月12日 | か行の作家

「笑い三年、泣き三月。」木内昇著 文藝春秋社 2011/10/11読了

 

 「茗荷谷の猫」も「漂砂のうたう=直木賞受賞作」も、私にはイマイチ、響きませんでした。なんというか、不思議な空気感だけが残り、ストーリーとしてはつかみ所がないというか…そんな感じ。 

 

 でも、「笑い三年、泣き三月。」は、本屋に平積みしてあるのを見た瞬間に「ど真ん中にストレートが来るっ!」という予感がしたんです。というか…本に呼び止められたような気がしました。その直感は大当たり。

 

 江戸や明治を舞台としたこれまでの作品から一変、「笑い三年、泣き三月。」の舞台は敗戦間もない時期の浅草の小さな劇場ミリオン座。東京で一旗あげようとやってきた旅芸人の岡部善造、空襲で家族を失った戦争孤児の武雄、かつては映画監督を目指していたが夢破れ毒舌ばかり吐いている光秀、財閥の令嬢だったと言い張るストリッパーのふう子。登場人物1人1人の輪郭がくっきりとしていて、ページをめくるたびに物語に引き込まれていく。

 

 これまでに何度も資料映像で観て、ドラマや映画の題材になって「知識」としては知っていることだけれど、改めて、たった65年前、東京の町は何もかもが焼け尽くされた焦土だったんだ―ということを思い知らされる。特に、印象に残ったのは、ミリオン座の面々が、卵かけご飯を食べるシーン。いまとなっては、粗食、手抜き飯の代表格のような卵かけご飯が、当時の日本人にとっては、夢のようなご馳走。卵を口にするのは何年ぶりか―その興奮で鼻血を出してしまうほど。もう一つは、武雄が宝物にしているカメラに初めてフィルムを入れてもらい、考えに考え、悩みに悩みぬいてシャッターを切る場面。それまで、武雄はフィルムが入っていないままファインダーをのぞき、シャッターを切り、頭の中で現像した写真をイメージするしかなかった。高価なフィルムを無駄にすることのないよう、真剣に被写体に向き合いながら押すシャッターの重みに息苦しくなる。

 

 でも、この物語が伝えたかったのは、つい65年前の日本が貧しくて、辛い時代だったということだけではないと思う。ストリッパーのふう子がいい味を出している。周りの人がみんな、ウソだと知っているのに、頑なに「戦争でお父様が死んでしまって落ちぶれたけれど、私は財閥の令嬢だったの」と言い続ける。ストリッパーの仕事に加えて、売春をしてお金を稼いで善造や武雄を自分のアパートに住まわせ、「さあ、みなさんで一緒に食べましょう」「お裾分けをして差し上げるわね」と食べモノを分け与える。とてつもない見栄っ張りか、虚言症のようでもあるけれど、終盤の告白が泣かせる。「私は何の取り柄もない子どもだった。きれいでもないし、勉強もできなかった。でも、戦争が終わって、私には生き延びる才能があるかもしれないって気付いた。だったら、その生き延びる才能を大切に、エレガントに生きようって決めた」

 

食べるものもない、着るモノもない、暖を取るものもない、仕事もない。夢見ることが許されなかったというよりも、夢見る余裕すら無い時代を、日本人はこうやって生き延びてきたのだ。

 

 国債の格付けが最上位でなくたって、GDPが中国に抜かれたって、円高でヨレヨレになったって、そして1000年に1度の震災・津波に見舞われても、きっと、もう1度スタートラインに立ってやり直すチャンスが日本にはあるのだと信じたい。

 

 旅芸人出身の善造は、最初は「自分の笑いは東京でも十分に通じる」と自信に満ちあふれていたが…大きな劇場の舞台に出演するチャンスを自ら潰し、やがてはミリオン座の客からも飽きられ、再び、旅芸人の世界へと戻っていくことになる。それでも、善造のカラ元気なぐらいの前向きさに救いがある。「さあさ、皆さん、ご陽気に!」、善造のかけ声は今こそ、必要なのかもしれない。

  

 前書きも後書きもないので、作者がどんな思いでこの物語を書いたのかはわからない。木内昇は、私と同世代だ。この物語にあるような何もない時代から這い上がってきた世代を親に持ち、でも、自分自身は高度経済成長期のまっただ中に生まれ、右肩上がりだった時代に育った。貧しかった日本を実体験として持つ人から、直接、話を聞いた私たちの世代が、さらに、その伝聞情報を、どう、次の世代にバトンタッチしていくか。作家が、そういう課題を自らに課しているのではないか―と感じさせるようなストーリーだった。

 

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「土井徹先生の診療事件簿」 五十嵐貴久

2011年10月10日 | あ行の作家

「土井徹先生の診療事件簿」五十嵐貴久著 幻冬舎文庫 2011/10/10読了

 

 まずは、五十嵐貴久に敬意を!!!

 

 この作家が凄いなと思うのは、作品ごとに全く作風が違うのだ。わりと正統派に近いケーサツ小説の「交渉人」、エンタメ時代小説の「安政五年の大脱走」、ハードボイルドチックな「TVJ」、青春小説「1985年の奇跡」、ハートフルホームコメディ「パパとムスメの7日間」、微妙な女心を描いた「年下の男の子」。ときて、「土井徹先生の診療事件簿」はユルユルなライトノベル風。いったい、どれだけ引き出しを持っているんだか。とにかく、凄いです。

 

 土井徹先生は獣医さん。動物に関する知識を活かして、現場を見ずして事件を推理し、南武蔵野署の立花令子副署長を助ける。

 

令子さんは、有能で、人格者でもあった殉職警官の一人娘。東大在学中に就職活動に出遅れ、なんとなく受けた国家公務員一種試験に合格して警察庁に入庁してしまったものの…南武蔵野署ではキャリア女性警察官僚を持てあまし気味。ジェントルマンで、思慮深く、知恵者である土井徹先生は令子さんにとって、最も頼れる相棒的存在。

 

「これは、ライトミステリーなんだから、甘い設定にいちいち目くじらを立ててツッコむな、私!」と必死に自制心を働かせようと努力するも、やっぱり、ツッコミたくなるのは損な性分なのかもしれません。

 

特に、どうしても許せないのが、令子がなんでもかんでも、土井徹先生にしゃべりまくることだ。いや、わかっています。ミステリーというのは、ストーリーの中にヒントを埋め込み、読者に推理する楽しみを与える読み物であり、誰かしらが、事件を語らなければ成立しないということは重々承知であります。ヒントは、時に地の文に隠され、時に主人公が語り、ある時は端役が重要なことを言うこともあるかもしれません。まぁ、それは、作品によって違うのでしょうが…。でも、たとえ、どんな設定であろうとも、たとえライトミステリーであろうと、私は、警察官が外部の人間にペラッペラと事件を語るというストーリーが蕁麻疹が出るほどキライっ。というか、「あーりーえーなーいー!!!」と叫びたくなるのです。「謎解きはディナーのあとで」を読んだ時に感じた苛立ちに似ています。

 

 ライトミステリーにマジツッコミをせず、ユルさを許容できる人ならば、そこそこに楽しめる作品です。多分、既に、ドラマ化しようと目を付けている人いるだろうなぁ。土井先生も、令子さんも、それなりにキャラが立っているし、作品全体としてホンワカした感じがあるし…。私のイメージでは、土井徹先生は藤村俊二(但し、十年ぐらい前の)で、令子さんは宮崎あおいかな。

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「悲桜餅」 和田はつ子

2011年10月10日 | わ行の作家

「悲桜餅」 和田はつ子著 ハルキ文庫 2011/10/09読了 

 

 同じハルキ文庫で高田郁の「澪つくし料理帖」シリーズには、必ず、和田はつ子の「料理人季蔵捕物控」シリーズの宣伝が載っている。二つのシリーズはハルキ文庫的「料理は人を幸せにしてくれる」という括りになっているらしい。で、初めて「料理人季蔵捕物控」を読んでみた。

 

 日本橋・塩梅屋の季蔵は、元武士から料理人に転じた異色の経歴の持ち主。先代から跡継ぎとして見込まれたのは、実は、剣の腕があってこそ。表の「料理屋の主」だけでなく、法では裁き切れない悪者を密かに処刑するという隠れ者としての裏稼業まで引きつぐことになってしまう―というところがストーリーのベースになっている。

 

 「捕物控」というシリーズの名前通り、料理小説というよりも、時代ミステリー的な色彩が強い印象。主人公の季蔵が、そこそこのオッサンということもあり、少女漫画チックな「澪つくし料理帖」シリーズとは別の味わいがあるのかな…と興味深く読み始めていたものの、何かがひっかかる。読めば読むほどに、こじつけっぽいく、色々なものがあまりにも都合よく裏で結びついている。つまり、ミステリーの部分が「お見事!」という感じでスッキリと頭に入ってこないで、「なんだ、結局はそういうオチなのか」とちょっとガッカリさせられるような陳腐さが匂ってくるような感じ。この時点で、私の頭は「ケチをつけてやりたい」モードに入ってくいるので、ハルキ文庫のうたい文句にあるような「料理は人を幸せにしてくれる」という効用もイマイチ感じられなかった。

 

 シリーズがすすむにつれ、面白くなっていくのだろうか??? 今のところ、最終評価はペンディング。

 

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「夢の守り人」 上橋菜穂子

2011年10月07日 | あ行の作家

「夢の守り人」 上橋菜穂子著  新潮文庫 2011/10/06読了  

 

 「精霊の守り人」から始まる「守り人」シリーズの第3弾。今回は、半月も掛からず数日で読了!

 

 主人公のバルサが、奴隷狩人に追われていた旅人を救出するところから物語が始まる。旅人は、木霊に愛され、永遠の命を手に入れた旅の歌い人ユグノ。ユグノは人の魂に響く歌声を持っているが、それ故に、彼の歌を聴いて心揺さぶられ、この世に生きる悲しみや不条理に堪えきれず、夢に逃げ込んでしまい、眠りから覚めなくなってしまう人もいる。

 

 バルサの古い友人で呪術師のタンダは、眠りから覚めなくなってしまった姪っ子を助けるために、夢の世界に入っていき、そこで、とらわれの身となってしまう~というあたりからが、多分、物語のクライマックスで、アクションシーンなども盛りだくさんなのですが… でも、本当のテーマは、極めて静謐で哲学的なことのように思えました。

 

 「夢の中に逃げ込んでしまう人生」と、「運命を受け入れ、与えられた環境の中で戦う人生」― どちらを選びますかという、かなり難しい命題。もちろん「運命を受け入れ、与えられた環境の中で戦う人生」が模範解答なのだろうけれど、でも、「夢の中に逃げ込んでしまう人」が、自らの選択として逃げているわけではないかもしれない。「夢の中に逃げ込んでしまう人」として生まれたこと自体が、逃れられない運命なのかもしれない―。どんな病気も同じことですが、心を病むことも、完全に回避する方法がないだけに、その苦しみについて考えずにいられないストーリーでした。

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「まひるの月を追いかけて」 恩田陸

2011年10月06日 | あ行の作家

「まひるの月を追いかけて」 恩田陸著 文春文庫 2011/10/02読了 

 

 多作の人気作家であることは知っているけれど…多分、過去に読んだことがあるのは「ライオンハート」1冊のみ。今回「まひるの月を追いかけて」を読んで解ったのは、なんとなく私好みではないんだなってこと。

 

 ストーリーは虚実が交錯して二転三転する。主人公の静の異母兄が取材旅行の途中で失踪。静は過去に数回しか会ったことのない異母兄の恋人に誘われて、2人で兄を探す旅に出る ―という設定の無理矢理っぽさからしてイマイチ好きになれない。

 

 その上、旅の途中で、兄の恋人だと思っていた人は、恋人になりすましていた別人であると判明!!! しかも、レストランのウエィトレスがテーブルにぶつかってバッグを落としてしまった時に、中から免許証がこぼれ落ちて「あっ! 名前が違う」と気付くって… 安っぽいドラマにありそうな場面だなぁ。

 

 兄がなぜ失踪したか、アッと驚くその理由は最後の最後で解き明かされるのだが…これもまた、ずいぶん昔に聞いたことがあるような昭和っぽい陳腐さ。

 

 と、思っていたら、wikiによれば、「郷愁的な情景を描くのが得意で、郷愁の魔術師と称されている」らしい。でも、私には、そのフィルターが1枚挟まったような、セピア色っぽい情景描写がそれほど魅力的には感じられなかった。

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「原発・正力・CIA」 有馬哲夫

2011年10月01日 | あ行の作家

「原発・正力・CIA」 有馬哲夫 新潮新書 2011/10/01読了

 

 子どものころ、家でとる新聞が時々変わった。勧誘のオジサンが配る洗剤やタオルは、主婦にはそれなりのパワーを持っていたのだ。でも、小学生5年生の時、母親に「読売新聞だけは絶対に取らないで」と懇願した。

 

新聞が不偏不党でないことも、報道がコマーシャルに結びついていることも、私は読売新聞から学んだ。そして、子どもながらに「読売は読まない」ことに決めたのです。

 

というと、とんでもないマセガキのようですが…当時、毎年のように最下位争いを展開していたタイガースファンにしてみれば、阪神がたまに勝ってもベタ記事扱いの読売の運動面は読むに堪えない偏向報道であり、球団とメディアを両方持って善良なる大衆の心を操作するなどケシカラ~ンと思っていたわけです。

 

小学生の頃はそこまでロジカルに考えていたわけではく、漠然とした嫌悪感というか… 単なる、負け犬の遠吠え(当時の阪神は、本当に弱かった。。。)にしか過ぎませんでしたが、でも、今振り返ってみると、結構、メディアの本質を掴んでいたのかもしれません。(ちなみに、他のメディアも多かれ少なかれ偏向報道であることを学んだのは、もうちょっと後のことです)

 

という、与太話はさておき「原発・正力・CIA」は、アメリカの公文書館に保存されている「正力松太郎ファイル」と題されたCIA文書を読み解き、構成したもの。

 

正力松太郎は読売新聞社主、日本テレビ放送網社長を務めた日本のメディア王。警察官僚出身の男が、なぜメディアを手にいれようとしたのか、そして手に入れたメディアをどのように使ってきたのか、CIAとどのような関係にあったのか―そこに迫ることで、第二次世界大戦敗戦後の日本という国の成り立ち、日本人のメンタリティがいかに形成されてきたかを暴いていく。

 

この本は2008年に出版された。当時も大きな反響があったが、2011311日という日を経験した今こそ、改めて、日本の原発導入の裏に、正力個人の政治的野望が存在し、読売新聞が、社主の個人的野望を国家的利益に変換した文脈で国民に原発のメリットを知らしめるメディアであった―という歴史的事実を、きちんと認識しておかなければならないと思う。

 

読売新聞という1つのメディアだけの問題ではなく、メディアとは、そういう危うさを持った存在なのだということ。もう1つは、日本の原発を導入において、正力個人の政治的野望は偶然そこに存在していただけで、そのさらに向こう側には米国の意思、米国の国益が存在していたということ。そして、1940年代に存在していた米国の意思は、2010年代にも消失することなく、存在していると考えるべきなのだろう。

 

311を経て、日本は急速に脱原発にシフトしつつある。津波の映像、原発の爆発の映像が繰り返し流れ、被災地から遠くに住む人も心に傷を負った。原発推進にプレー機を踏みたくなるのは自然の流れだと思う。

 

ただ、スリーマイル島事故以来、新規の原発を一基も建造せず、もはや原発先進国ではなくなってしまった米国にとっても、日本がリードを握る分野を手放すことは歓迎であろう。廃炉ビジネスが主流になりつつ米国の原子力産業にとっても歓迎すべき事態に違いない。原油価格が高止まりすれば、米国国内の油田開発の採算改善につながる。そういう文脈で、米国が日本の脱原発を理解し、歓迎しているであろうことも認識していなければならない。っていうか…民主党政権、そういう前提で、政策考えているんですよね?????????

 

良い悪いは別にして、今の政治家には、正力ほどの野望と妄想に取り憑かれた人はいないような気がする。米国にしてみれば、正力のようなキーマンがいなくなっても、勝手に「空気を読んで」米国の意向を察知するようになった日本は、利便性が高まったのかもしれない。

 

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